トップページ | 三日で消えた”不眠症” »

2011年1月21日 (金)

ある寒中見舞い、硬骨の40年

 先輩のMさんから「寒中見舞い」が届いた。年に一度、賀状を交換する程度で疎遠になっていた。喪中の報せはなかったので賀状は出したが返信はなく、すでに90歳を越しているだけにもしやと不安がかすめた矢先の寒中見舞いである。
 「生きているうちに一度会いたい。朝日は最近ますます悪くなる一方です」と達筆の添え書きがあった。卆寿を越してなお意気盛ん、定年後40年間、「朝日はダメになってゆく」と憤慨し続けるMさんの硬骨ぶりに叱咤された。”恍惚の人”になってもおかしくない年齢なのに、”硬骨の人”を全うするパワーに敬服した。
 Mさんとは前任、後任の関係だった。編集から外郭団体の社会福祉団体の責任者に横滑りして定年を迎える同じコースを歩いた。駆け出し時代、支局は違ったが、育てられた支局長がたまたま一緒で、たがいに私淑して同門の門下生として付き合っていた。
 銀座の老舗、銘菓店舗の長男に生まれたが、家業は弟に譲って慶応へ進学、朝日に入って新聞記者の道を選んだ彼は、戦後ジャーナリズムの申し子だった。英語をはじめ外国語に通じ入社後、外報部に配属という異例のスタートを切った。支局に配属され記者のイロハを叩きこれ4年後に本社へあがるのが通例で、直接、外報部というケースは特別扱いだった。
 基本的な記者訓練なしの本社勤務はMさんにはマイナスで、上司のデスクや先輩とそりがあわずに4年後に仙台支局に飛ばされた。同期入社のものが地方勤務を終えて本社にあがるのに、彼は逆に地方へ流されて記者教育のやり直しである。
 入社したばかりの新人とサツ回りから始めた出戻り記者のMさんは、よく辛抱した。そのときの支局長が慶応出のGさんで、とかく上司に反抗しがちなMさんの性格を心得ていて厳しさの中でも他の新米記者とは別枠で記者教育した。彼はすっかりG支局長に従順になって尊敬した。そのG支局長は私にとっても長野時代に鍛えられた恩師でもあり、同門の士として親しく付き合うようになった。
 論客で筆がたち、筋を通そうとするMさんは、経済部に戻って活躍したが、デスクや部長と衝突することが多く、編集から展覧会などを担当する企画局に転出させられた。世渡りが不器用な人だけに「正論」をふりかざして妥協しなかったので、企画局でも本流には乗れず、外郭の社会福祉団体「厚生文化事業団」の事務局長で定年を迎えた。
 文化事業団は、朝日に寄せられた寄付金をもとに福祉関係を担当するセクションだが、ここでのMさんの活躍は目覚ましく本領を発揮しながら思う存分に動いた。読者からの寄付金の受け皿的な性格が強かった事業団を、厚生省も手をつけない先端福祉活動に発展させチャリティを主とする慈善団体から”社会福祉のパイロット”へと変えた。
 その一例が、難病の筋ジストロフィ患者の自立支援活動。原因不明のまま筋肉が委縮して手足が動かずに最後は心臓の筋肉萎縮のため20代で若死にする。遺伝的な要素が多く厚生省や医療施設でも手が出せず、限られた寿命の中で詩や小説、絵を書いたり、萎えた手で懸命に楽器を叩いて生き急ぐ若者の姿に感動したMさんは、彼らの支援活動と積極的に取り組んだ。人権問題としても厚生省の無為無策をせめ、一方では患者の全国組織づくり活動を支援して、彼らに生きる力を与えて筋ジストロフィ対策を大きな社会問題としてクローズアップさせた。そして、電動車いすの開発と普及を呼び掛け、障害者福祉に新しい1頁を開く画期的な事業の口火をきった。
 チャリティと称する慈善中心から、障害者の自立支援、介護へと日本の社会福祉が大きく様変わりした1970年代で、社会福祉に対する考え方も大きく変わり、関心も高まる日本の社会福祉の黎明期でもあった。

 たまたま私が編集から転身、Mさんの後任として福祉部門の責任を命じられた。職場が違うから顔を合わせる機会もなく、社会福祉の門外漢である私は彼の活躍や業績についてまったく知らなかった。まさか彼の後を継ぐとは想像もしていたなかったが、かつてG支局長を私淑する同門として気ごころは通じていたので、交友が再開してMさんによって”洗脳”された。そして、社会福祉についての認識を改め、障害者福祉、ボランティア問題などと取り組めた。障害者がツアーを組んで海外旅行をする「車椅子ヨーロッパの旅」を実行した。
 当時は、社会福祉専門のスタフから「車椅子ツアー」の海外旅行など危険で無理と猛反対され、日航からも40名の車椅子団体の搭乗は無理と断られた。ヨーロッパやアメリカで出来ることが、日本でダメというのは納得できないと、北欧の航空会社に頼んで「車椅子ツアー」を実施して成功、手足が不自由のうえ言語障害のある重度障害者だけのヨーロッパ・ツアーも敢行して、5年がかりで軌道に乗せて「もう心配ないから」と民間旅行社に任せた。現在も年に1便、車椅子だけのツアーが実施されており、障害者、それも手足の不自由な人でも海外旅行が出来ると夢を叶えてやるキッカケを作ったのを誇りにしている。
 これも、Mさんから社会福祉への目を開かせて貰ったお陰と感謝している。

 時代とはいえマスコミ、とくにその先達と自負している「朝日」の低迷ぶりは酷い。テレビや週刊ジャーナリズムに影響されて、日本の将来を考えない表面的な現象しか報道しない。とくに政治面にそれが顕著で、日本の政治をここまで悪くしてしまったのはマスコミ、「朝日」の責任ではないかと、OBたちが集まるときまって憤慨する。
 硬骨漢だりを到るところで発揮して、その才能を存分に生かせなかったMさんの嘆きもよくわかる。それにしても卆寿を迎えてなお「ますます悪くなる」と鬱憤を晴らす、旺盛な批判精神には頭がさがる。鬱憤や批判の裏には「朝日」を愛する気持ちが脈々として息づいているからで、定年後も40年にわたって説きつづけてきた盛んな意気に敬服させられた。

 

|

トップページ | 三日で消えた”不眠症” »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65617/50644527

この記事へのトラックバック一覧です: ある寒中見舞い、硬骨の40年:

トップページ | 三日で消えた”不眠症” »