2009/12/22

女性にもてる民主党

 鳩山民主内閣の支持率は、最近の世論調査で各紙とも軒並みに急落し「朝日」は50%ラインを割った。政権の前途に黄信号をあげる気の早い予測記事を掲げる報道ぶりの中で、「朝日」は翌日の紙面で「民主政党支持率は堅調」と分析、いままで自民党を支えてきた「高齢女性の心変わり」が原因と指摘した。
 さらに「朝日」は「いったん捨てた恋人には戻らぬ」とまで明言、高齢女性だけでなく、20代以上の全女性の民主支持率は40%を越え、自民支持の10~25%を大きく引き離したデーターを克明に1面に載せた。解説面では「自民に愛想が尽きた」という自称”自民党の恋人”だったという作家・橋田須賀子さんにコラムで語らせて「女性にもてる民主党」を取り上げた。
 自民党政権時代に育った政治記者の政治センスと、こんどの政権交代を評価しようとする記者層との感覚のズレを物語っている紙面づくりに、”揺れるマスコミ”の一面をみた。

 政権をとって100日、それも政策格差のある3党の連立政権で、国民に見放された自民政権の後始末を負わされる。それに加えて世界的な経済不況の中で、初めて政権について民主党のお手並み拝見というのは気が早い。世論調査の支持率低下を下り坂と断じて、あたかも危険信号といわんばかりの各紙の報道ぶり。数字が出たからといってそれを大々的に問題として取り上げる新聞・マスコミ報道は、将来展望の視野に欠けている。
 米国のオバマ大統領の支持率が40%に下落しても、それほど大騒ぎはしない。世論の支持率は尊重しなくてはいけないが、だからといって「先行き不安」「不透明感」などと安直に書きたてるマスコミには、「日本の総理(そうり)は草履(ぞうり)より長持ちしない」と米国人に揶揄された悪弊の残糟が残っているのかと、考えたくなってしまう。
 国民のほうがはるかに賢く、そんな観測記事には目もくれない。再生不能に陥ったままの自民党の姿をみれば、現実離れした”危険信号”報道などは見向きもしない。世論調査の結果を紙面に載せるのはよいが、一面トップに大々的に扱うセンスが問題である。民主政権への警告という観点というのなら、然るべき内容と解説があってバランスがとれる。

 「民主 政党支持率は堅調」は、前日のトップ「民主政権の支持急落」を補完するかのように、見出しもわずか2段の扱い。ただ、内容は中身の濃い分析で、読者に目立つように載せてほしかった。4面の関連解説記事も読みごたえがある内容だった。
 「朝日」(22日付け)の1面の片隅に載った「男女別、年度別の政党支持率の変化」図表をみて驚いた。麻生政権のときは全世代で女性は自民党支持だったが、鳩山政権誕生の兆しがみえはじめた09年6月になると、50歳代までの女性は自民から民主支持に変わった。60歳が辛うじて27%と自民、民主とも同数の支持率、70歳になると自民が39%に対し民主は20%と自民が圧倒的に強かった。ところが鳩山政権になった9~12月になると、全世代で女性支持率は40%を越え60歳代は自民18%に対して民主支持は46%と最高、自民の味方だった70歳も一挙に42%をマークして自民支持の25%に大きく水をあけた。
 60~70歳代の女性は、戦中、戦後の苦難を生き抜き「平和」や「豊かさ」を自民党と共に享受した世代で、政権運営の経験がない民主党には警戒感が根強かった世代である。政治意識も高くなく、夫唱婦随で自民党を支持してきた女性たちである。
 それが、自民党に絶望してごく自然に民主政権支持に激変した。一時的なブームやムードに乗せられる世代ではなく、生活感覚に厳しく、孫子の将来を男性より深く心にかける世代である。毎日、スーパーの安売りチラシに目を凝らし、ポイント稼ぎをして生活費を考える。パートなどの働き口もない世代だから老後生活も心配になる。将来展望もなく、官僚まかせで、税金の無駄遣いを見せられると怒って、きのうの味方を敵として民主党に走る。ミーハー的な気まぐれではなく、彼女たちが如何に真剣であるかを知ると、民主党も油断しておれない。

 「総選挙前は”やれるものならやってごらん”と思っていたら、テレビに出てくる閣僚は格好よく、新しいことをやってくれそうだ。まじめそうで筋を通すのかしら」と自民同窓生の橋田さんも心変わりを語っている。数十万はする舶来スーツを着てふんぞりかえり、官僚の書いた答弁を機械のように読むだけの閣僚、政治家イメージが定着しているのに対して、明らかに既製とわかる安いスーツで予算削減の仕分け作業に激論をかわして徹夜する民主党の副大臣、政務官。それをみると「案外、やるもんだ!!」と感じるのは女性だけではない。見学にきた河野太郎氏が「羨ましい」と漏らしたのも理解できる。
 たしかに、鳩山首相には決断をしぶる優柔不断さは目立つが、「こども手当」も最後は所得制限を設けず「社会がみんなで子どもを育てる」と決断した。これで、子供を抱えて教育費に悩む主婦層にまた人気が出るだろう。「捨てた恋人には戻らない」といわれるように「女性にもてる民主党」は安定し、一方の自民党はソデにされてしまう。永田町しか知らない政治記者には、ウーマンパワーの実態と、その怖さが理解できないのかもしれない。

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2009/12/20

年の瀬に”忘却の整理”

 年の暮れになると、「年忘れ」や「忘年会」など「忘」のつく言葉が多く使われる。「年忘れ」は古くから、その年にあった面白くないことや苦労、不幸を忘れようとすること。そのために「忘年会」が盛んになる。そんな中で『忘却の整理学』(外山滋比古・筑摩書房)が刊行され、「日本人の忘れることを嫌う「忘却性悪説」を否定、「忘却があってこそ人生は生きるにたえられるものになる」という外国の詩を紹介して、話題をんでいる。

 外山滋比古氏は、お茶の水女子大学名誉教授。専門の英文学のほか思考、日本語論、レトリックの分野で独創的な分野での活躍が知られて、著書も多く、講演でも有名だつた。20年ほで前に定年退官したが、最近、当時の著書『思考の整理学』が、東大、京大でベストセラーになって、書店の店頭をにぎわす”復権”ぶりをみせている。日本ではあまり手がけられなかった「忘却」論を、エッセー風に、読みやすいように纏めて出版した。数年前からあたためたていたという「忘却論」は、20年ぶりの復権を機に発表され、年の瀬というタイムリーさもあって、広く読まれている。Photo
 「小さいときから、忘れるのはよくないこと、困ったことだと思い込まされている。学校で勉強したことはよく覚えておけ、忘れてはいけない。覚えているかどうか、忘れた頃に試験される。忘れないでよく覚えていて記憶力のよいのは”頭がいい”とされ、忘れっぽいのは”頭が悪い”ときめつけられる。忘却は貧乏神以上に恐ろしい。忘却からすればとんだ濡れ衣である。世間は大きな誤解をしていることに気づかない・・・」
 そんな書き出しではじまる。忘れることを「忘却」と堅苦しいことばで親しまれるようになったのは、戦後間もない昭和27年、NHKの連続ラジオ・ドラマ「君の名は」である。毎回、冒頭に「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」で始まり、いつのまにか人口に膾炙するようになった。それを知る世代も少なくなったが、もともと冷たい感じの「忘却」という言葉になにがしかのロマンチックな響きを添えるようになった、と外山さんは述べている。たしか、共感はするが、普通には「忘れる」とは何かはあまり考えない。

この一年を振り返って、記憶にどめておきたい楽しい思い出のほかに、早く忘れてしまいたい悲しみや不愉快で嫌な出来事は、誰しも一つや二つはあるだろう。そんなとき、忘年会で憂さを晴らそうと、飲んだり歌っても嫌な思い出は簡単には忘れられない。
 外山さんの忘却の整理学はおもに知的な事柄を論じているが、日常の生き方、人生の在り方についても当てはまる。忘れようとしても、胸にくすぶり続ける嫌なことは、仕事など失敗のほかに人とのコミュニケーションで、騙されたり、裏切られたり、悔しい思いをさせられたケースもある。思わぬ病気や事故などの不幸に見舞われたことへの忘却もある。
 何年ぶりかに持病が再発して長期に療養を余儀なくされたり、また人との間でちょつとした行き違いから諍いになったり、齟齬からショックをうけて精神的に傷つく場合もある。こんな記憶は新しい年に持ち越したくないと考えても、思いどおりにはゆかない。
 そんなときに役立つのは”忘却の整理学”である。
 ただ忘れたい、思いだしたくないと酒などに紛らわすよりも、その原因、経過、どう対処するか冷静に考えて、問題を整理して自分なりの決論を出すこと。忘れようと逃げないで、いまいちど正面から立ち向かって考えなおす。そうすると、自分の思い過ごしだったり、病気の場合は健康への過信による不摂生が原因だったことに辿りつく。そして、気持ちの整理できて忘れられたり、また教訓として記憶が再生し、禍を福にかえることも可能になる。
 年の暮れの大掃除は、家や身の回りだけでなく、精神面でもして欲しい。忘却は心の埃や汚れを落として新しい記憶を再生させる。「拭き込みし柱の艶や年忘れ(万太郎)」といった心境になれるのも、忘却の整理をきちんとするとが大切と、教えられた。

 余談になるが、「忘却・記憶は呼吸と同じ関係」と外山さんは述べている。深呼吸をするときは、まず最初に息をしっかり吐いて肺を空っぽにしてから、深く吸い込む。これは、忘却で胸にたまった不快なものをしっかり吐きだす、そして、記憶という新しい空気を深く吸うのである。この順序が逆になって、記憶することばかりしか考えないと、頭は常に満杯で新しい記憶の入る余地がなく、覚えらない。吐き出すという忘却があって、はじめて新しい記憶ができる、つまり覚えることができるというのである。
 パソコンの世界では、「コンピューターは記憶の巨人である。完全に大量の情報を記憶し、それを操作、処理する能力をもっている。完全記憶を実現しているが、個性がない。忘却ということを知らないからである。記憶だけなら人間はコンピューターに適わないが、忘却と記憶をセットで考えれば、人間はコンピューターの出来ないことをなしとげる」と述べて、これまでの「忘却観」は一変しなければならないはずと結論づけている。
 「忘却は力である。忘却は破壊的ではなく、記憶力を支えて創造的はたらきを持っている」という主張、気ぜわしい年の暮れの一日、それを考えてみた。

 

 

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2009/12/04

流行語にみるオトコとオンナ

  ことしの流行語発表には「政権交代」がトップになり、「事業仕分け」「脱官僚」など政治関係が上位を占めたが、「草食系男性」や「歴女」など女性パワーを象徴する言葉が目立つた。女性が活発で生きいきする反面、男性は消極的でひ弱くなる傾向は、若者だけでなく中年から熟年にまで広がろうとしている。
 忘年会シーズンで、日本特有の飲み会などが多いなかで、不景気で会社や企業などの忘年会が減って一路家路に急ぐ男性がふえたが、女性グループによる”食事会”と称する飲み会は増えている。その時間帯も昼から夜に変わって、かつては男性だけだった”午前さま”が中年、熟年の女性間にも見られるようになって、零時過ぎまで楽しんで「今夜はシンデレラよ」という新語まで生まれて世の中変わったものだ。

 流行語になった「草食系男性」は、コラムニストの深澤真紀が2006年に命名。協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛やセックスには積極的でない、主に40歳前後までの若い世代の男性を指す。自動車の購入など顕示的消費にも興味を示さず、バブル崩壊後の経済停滞が、その精神構造に影響を与えたという指摘もある。
 一昔のように派手な外車やスポーツカーを乗り回して得意になっていた大学生は、いまはほとんど姿を消した。ローリングを楽しむ若者のバイクにも出会わない。車をステイタスシンボルとする傾向はなくなって、圧倒的に女性ドライバーがふえ、休日や日曜日も妻が運転する車の助手席にただ座っているだけの夫がふえて、それが普通になった。
 「男子厨房に入るべからず」は死語。スーパーの買い出しから、台所にたって一家の料理づくりを楽しむ夫がふえて、なにもしないで食事時にテーブルで待っている夫に対して「家事仕分け」などと、妻がもの申す必要もなくなりつつある。
 「優しく、強調的で家庭を愛して台所に立つ息子」の姿に、たまたま訪れた父親が「嫁の尻に敷かれて情けない」と憤慨したり、母親の手伝いにキッチンに入る大学生の息子に「情けない」と怒鳴った父親の話などを聞かされる。台所に立つ男性も、妻の手助けや家事仕分けの義務感からやっているわけでなく、自分が楽しんでいるのである。その気持ちが世代の違う親には伝わらない。こうした世相から「草食男」が生まれた。

 一方、女性は活発、活動的になった。仕事や政治の世界への女性進出は目覚ましく、実績もあげている。戦乱が続いている中近東などでレポーターにも女性が目立つ。テレビ映りは男性よりも女性もほうがよいという面はあるが、危険地帯で男性記者はなにをしているのかと憤慨したこともあったが、最近は抵抗感もなく当たり前に思えてきた。
 女性は男性にはひけを取らない逞しさと、能力をみせはじめた。頭はよく、マスコミなどの入社試験でペーパーテストは常に女性がトップだった。
 子育てが終わり、子どもたちも結婚したりして熟年になった女性たちは、家事から解放されると旅行に出かける。海外旅行がブームだった頃、ツアーの参加者の八割近くは女性で男性は肩身が狭く、ツアーを申し込む前に旅行社へ「男性の参加はなん人」と尋ね、男性が少なく、女性ばかりなのでキャンセルしたこともあった。
 定年後のツアーには熟年カップルもいるが、男性は10数時間も飛行機に乗りたくないと同行をこばみ、女性が仲間をつくって、毎年のように外国へ出かける時代が続いた。
 ことしの流行語の対象になった「歴女」は、歴史好きというだけでなく”歴史の旅”を楽しむ行動的な女性たちである。時代小説を読んで史跡も訪ねるなど、本格的に「歴史通」になる女性が増えている。きっかけとなったのは戦国時代などをテーマにした映画やゲーム、またイケメン俳優が出演した大河ドラマなどといわれている。
   1970年代中期から1980年代にかけてファッション雑誌やガイドブックを片手に一人旅や少人数で旅行する若い女性を「アンノン族」と呼んだ。一種のブームで、旅行の主役として女性客が重視される最初の契機となった現象でもあるが、彼女たちは夫が定年を迎えて、熟年にさしかかってアンノン族が復活したのでないだろうか。
 当時に比べて、旅ははるかに便利になったし、歴史の見かたにも人生経験を積んで幅がでて興味が深くなったらしい。戦争など現代史には興味が薄いのに、ロマンに富む古代史に人気があるのは、いかにも女性的である。歴史だけでなく、旅をしてその土地の名物料理を楽しむグルメ志向も手伝って彼女らはますます行動的になる。
 むかしアンノン族、いまは「歴女」とよばれる時代になった。

 忘年会シーズンになって、中年女性たちの集まりや会食が盛んになった。一方、団塊世代でリタイヤーした男性たちは、会社との縁が切れると飲み会の誘いもなく、忘年会もあまりないとボヤくのを耳にする。「女房たちは連夜のように”午前さま”で面白くない」と浮かぬ顔をする。女性パワーもそこまできたかと驚いていたら、知り合いの女性から「童話のシンデレラは12時に魔法が解けるのでその前に帰らなくてはならなかったのに、楽しいあまり時間を越えてしまい、お姫様の姿から、召使いの姿に戻ってしまった。私たちも12時前には帰らなければならないのは分かりきっているけれど、シンデレラのように、楽しさのあまり帰りが12時を過ぎてしまうのです」と聞かされた。
 「シンデレラになるわよ」という造語まで生まれ、流行語にはならなかったものの、知人のボヤきと嘆きは、一般的なケースになりつつあるのを知った。女性の集まりは、昼間のお茶とランチの会食と思っていたら、いつの間にか、夜の集まりに変わり、アルコールもはいる居酒屋から、二次会はカラオケで盛り上がるのが定番になってきたと聞かされて二度ビックリ。またには夜の忘年会になっても、門限はせいぜい9時ごろと思っていたのは認識不足だった。
 男性は定年になって職場を離れると、交友の機会がなくなり友達づくりが下手である。特別な趣味もなく、会社人間で通してきた世代ほどその傾向が強い。
 その点、女性は気軽に仲間やグループに参加する。町内会などの地域活動も、男たちは女房任せで顔も出さない。子ども関係のPTAも同様である。それに、女性は趣味の会などのグループにも気軽に参加すから、交友の輪が広がる。
 子どもが成長してPTAとは無縁となっても、OB、OG会と交際を続ける。町内会の役員も同じで、気のあった仲間同士の付き合いを絶やさず、ときには一緒に旅行にも出かける。年末になると忘年会が重なって、連夜のように外出するようになる。

 男性は声もかからず、しよんぼりテレビでも見ながら留守番。時計と睨めっこしながら女房どののご帰館をひたすら待っていると侘びしく愚痴りたくもなる。現役時代の”午前さま”のお株を妻に奪われ格好になっても、あまり文句もいえない。
 最近は、ケイタイという便利なものがあって、12時を過ぎてシンデレラになった女性たちは、帰宅の遅れを電話すると、夫から雷が落とされるから、「会が伸びて帰りが遅くなります」とメールを送る。楽しみを中断されることもなく、盛り上がるのである。
 夫たちも、ケイタイで帰宅時間を確かめることは容易だが、妻のまわりの仲間たちの手前、そんな野暮なことはできないと苛々が続く。それにしても、「シンデレラ」という造語を考えだした女性たちの巧みさとウイットには感心されられる。
 童話のシンデレラのように、12時を過ぎて魔法がとけ”良妻”ではなくなるのは困るが、年に1度ぐらい羽目をはずして解放感に浸るのも悪くはない。そんな気持ちが隠されいるとおもうのは男の僻み目だろうか。
 草食男化した夫は、妻の”午前さま”に頭から怒鳴って怒りをぶつけることもなくなったらしい。影でボヤくよりも、文句を正面から言ったほうが、そこまで心配してくれていたのかと妻も詫びて、夫婦円満になるかもしれない。
 魔法が解けるのを心配して、帰宅時間を気にするところに、「シンデレラ」のポイントがあると思うと、彼女らの造語力に感心させられてしまう。

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2009/11/27

贈られた砂時計

 誕生祝いに砂時計を贈られ、その魅力をあらためて知った。アナログやデジタルの時代になって、まわりが有用本位だけの道具に囲まれてその環境に慣らされてしまった暮らしに時を刻む潤いを与えてくた。美しいフォルムのガラスの細いくびれから、砂がゆっくり流れ落るのをみていると、時の流れそのものを感じて気持ちが落ち着いて見飽きしない。
 忙しさに追われ、万事が能率、合理本位の暮らしのなかで、太古の時代に発明された道具がひとつぐらいある生活は、心にゆとりを与えて煩雑さを忘れさせる。

 砂時計というと、病院で検査のため採血するとき血止めに、砂が落ちきるまで3分間、採血した箇所を抑えているのを思い出す。痛くも痒くももないが、「待つ」というのは実際より長く苦痛に感じられる。だれが考えだした知らないが、そんなとき砂時計から赤、黄、青などのカラフルな砂が音もなく、ガラスのくびれから落ちてくるのを眺めていると苦になせない。
 近頃の病院には、採血に砂時計を使わず、すぐ血止めの絆創膏を貼ってOKというのが主流になって砂時計は身受けない。尊い血の一滴を何本も抜きとられると多少の不安はある。そんなとき、砂時計を見ながら止血をまつを待っているのも悪くはない。002_2

 そんなこともあって、入浴でお湯に漬かっている時間を測るのに砂時計を思いたった。サウナでもかつては使っていたが、いまは時計のところが多い。タイマーや時計も使ってみたが、湯気で故障したり痛んでしまう。砂時計はそんな心配はない。
 そな話を、親しい友人になにかの話のついでに話した記憶がある。友人はそれをおぼえていて誕生日に贈ってくれた。自分で買ったものなら、恐らく入浴用にしか使わなかっただろうが、折角のプレゼントだからと、他の使い方や効用を考えた。
 よく見ると、なんの変哲もない形と思っていたデザインも悪くをない。貰ったのは5分計なので形もそれなりに大きい。木製の4本の柱の中にガラスの器が「天」と「地」の球形にわかれ、カラーの砂鉄が入っている。天と地を結ぶ細い"くびれ"は、その形から「蜂の腰」とよばれるのも知った。砂が「蜂の腰」を通り方で時間を測定すのだから、かなり微妙にできており、曲線も滑らかで美しいフォルムを作っている。
 なんでもビニールやプラスチックで大量生産、コストを安くする時代なのに、砂時計だけはガラスである。砂が落ちる速度で時間がきまるのだから、プラスチックで型にはめて作ると微妙な狂いが生ずるので、滑らかなガラスを使ったのだろう。4本の柱も木にこだわってアンティークな色合いを見せている。
 タイマーとしてでなく、机に置いて色のついた砂が流れおちるのをなにげなく眺めている。「地」がいっぱいになると、天と地を逆さまにして置き変えて眺め。そな繰り返しをしているとねいろんな思いが浮かんだりして結構楽しい。現代人には時の流れや時の刻むのをゆっくり眺める心の余裕かないので、精神のリハビリ効果もある。
 時計はかっては、柱時計など振り子が小さな音をしながら左右に揺れるのが普通だった。そのためにネジまきが欠かせなかった。いまは振り子時計は姿を消し、時刻を知らせる音もしないもの、さらには数字で時刻を知らせるデジタルが主になった。
 かつて山荘で一人暮らしの老人が、シーズンオフになって人が訪れる人もなくなると、各部屋に時を刻む音がする時計をおいて淋しさを紛らわした。時計の音がすると家の中に人がいるような錯覚をおこして侘びしくない、とエッセーに書いていたのを思い出した。この場合もデジタルの時計では意味がない、チクタクと音がする古時計だからいいのだろう。

 砂時計は音はたてないが、この山荘で一人暮らしの侘びしさをまきらわす古時計と似た心が癒されるものがある。いまの若い人の感覚では理解できないかもしれないが、すべてがデジタル化す世の中には安らぎがない。砂時計を求める人も少なくなって、デパートでも文房具売り場でないと手にはいらない。砂時計と文房具の関係はよく理解できないが、子どもたちに古い歴史的な道具を教える教材として扱われているのだろうか。
 砂時計の起こりは古代ローマ、ギリシア時代に遡るといわれるが、11世紀の航海には必需品とされていた。地球を一周したマゼランは、18個の砂時計を船に積んでナビゲーションとしたという記録が残されている。一日計の砂時計で時刻の補正は、正午の天頂にくることを利用したていう。中国でも、それ以前から使われており「沙漏」や「沙鐘」といわれていた。
 砂時計の効用には、現在もさまざのな使い方がある。病院での採血後に血止め時間の測定に使われたり、サウナには付き物だったが、それも時計に変わってきた。お風呂で入浴時間をはかるのには便利である。健康的な入浴法が話題になり、40度前後の温めのお湯に15分ぐらい漬かるのが健康的といわれているが、風呂場に時計のある家庭は少ないだろう。感覚的に15分という時間はとてつもなく長く感じる。その点、5分計の砂時計をおいて、砂が落ち切ったところで「天」「地」を3度ひっくりかえせばよい。黙って湯に漬かっているのは退屈の場合は、時計の砂の流れ落ちるのを眺めていると思ったより早く時間が経つ。
 体温計を脇の下に入れて、時計と睨めっこしているよりも、砂時計があると落ち着く。体温を測る場合は、体に異変を感じたときが多く、なんらかの不安があるが、カラフルな砂が流れ落ちるのをみていると、病気のことも忘れてリラックスする。
 パソコンの起動が遅いとき、真黒な画面をみて苛々しているよりも、砂時計をみていると苛々もなく画面が開く。人それぞれに使い道があるが、なんの目的もなく所在のないまま、砂時計の天地を変えて遊んでいると心が和んでくる。
 砂時計など、昔の遺物だとバカにしないで、有効に生かしたり、なにもしないで砂が落ちてくる様子を眺めているだけけでも楽しい。合理的一点張りで無味乾燥のデジタル砂漠に、砂時計は心をリフレッシュするオアシスのように思えてきた。

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2009/11/20

米大統領のお辞儀と礼三息

 米国のオバマ大統領が宮中で天皇、皇后両陛下と面会した写真が米国で物議を醸した。米テレビ各局の日曜討論会で話題にななり、「深々と頭を下げるのは"謝罪"」や「醜い」という論評が、右翼系だけでなく知日派の一部から出た物議には驚いた。
 「郷に入ったら郷にならう」といみられるオバマ大統領の態度に、日本では「事前の勉強?」や「礼儀正しい」と好感をもたれているが、米国には時代錯誤的な傲慢さと大国意識から抜け切れていない意識が根強いのを改め知らされた。
 現在の日本でも、お辞儀の仕方もしらずに、礼節を欠いたまま曖昧に過ごす世代が多くなっている。オバマ大統領の大統領へのお辞儀は、最敬礼をおもわせる丁重なものだが、最敬礼する機会も薄れて、その意味やと仕方さえも正確に知らない国民がふえている。
 米国は歴史が浅く、王政の歴史がない。「国王や皇帝に従ってこなかった歴史」を世界初の民主国家として誇りにさえしている傾向がある。外国の元首に頭を下げるのは降伏、屈辱とさえ思っているムキがあり、頭を下げられた側も儀礼の一つと考えて降伏、屈辱などの意識はまったくない。そんな米国の考え方は、王政コンプレックスの裏返しではないかと思いたくなる。戦後60年も経っても、日本を敗戦国扱いにしか考えず、大統領が敗戦国の元首に頭をさげるのはトンデモナイということになったら、世界平和にも響く。Photo_2
 米国人は、中国がかって批判した"覇権主義"の残り粕を早く捨てて、世界のリーダーとして見識を広めて欲しい。その意味からも、オバマ大統領の相手国の礼節を尊ぶという行動は高く評価されて然るべきである。
 日本には「礼三息」という思想が古くからある。いまの学校では教えないので、お辞儀や握手の作法も満足しらず、挨拶さえもきちんと出来ない親もふえている。米国のオバマ大統領のお辞儀批判という時代錯誤を指摘する前に、日本でもお辞儀や握手の仕方を身につけて欲しい。そるため「礼三息」の一部を紹介しよう。

「礼三息で丁寧なお辞儀」 お辞儀には「立礼〔りつれい〕」、「座礼〔ざれい〕」の2種類があり、また礼の深さで分類すると「最敬礼」「敬礼」「会釈」の3種類がある。「礼三息〔れいさんそく〕」は、息を吸いながら腰から上を前に倒し、止まったところで息を吐き、そして再び息を吸いながら元の姿勢にもどる。丁寧な印象を与え、自分自身の精神状態を落ち着かせる効果もある。
 また握手は、一般的に右手で立って行うのが一般的。日本人の中には座りながら握手をする人がいるが、これは本場西洋では行われないよ。
 「意がないことを示す」 お辞儀は自分の首を差し出して、相手に対して敵意がないことを表現したことに由来するといわれる。飛鳥~奈良時代、中国の礼法を取り入れ、身分に応じたお辞儀の形が制定されたのがお辞儀の始まりといわれている。
 日本での丁寧な挨拶はお辞儀が一般的だったが、西欧文化の浸透により、握手も一般化して、握手の由来は諸説ある、手に武器を持っていないことを証明することから始まった。武器を持つ利き手は右手の人が多いため、握手をする手は右手になったのだ。
 「辞儀と握手は同時にしない」  頭を下げるだけのお辞儀はあまり良くないといい、お辞儀をし足りなかったと思い、何回も頭を下げてしまうこともある。そうなると敬意や奥床しさ(深い心づかい)、丁寧さなど、本来お辞儀で伝えられるべきものが伝わらない。
 立礼の場合、「最敬礼」は直立の姿勢から腰を基点に45度以上体を曲げる。「敬礼」は30~45度、「会釈」は15度程度。「最敬礼」は日常ではあまり見られななくなったが、謝罪する時や本当に心から感謝の意を表したい時、また神前や仏前など儀式的な場面で用いられる。
 握手は背筋を伸ばし、必ず相手の顔(目)を見て行う。強すぎず、緩すぎないように握る。強すぎては相手に不快感を与え、また緩すぎても好意を表せない。アメリカでは弱い握手は「Dead-fish handshake」と呼ばれ、死んだ魚を握るようで気持ちが悪いと言われている。お辞儀をしながら握手をするのは卑屈に見えるので、あまりしない方がよいとされている。(日本文化いろは事典)

 かっても「最敬礼」は神事などのほか滅多に使われなかった。戦争前も天皇陛下に対する場合だけで、いまも宮中でも文化勲章の陛下からの授与によくみられる。閣僚の任命式にも、人によって天皇への敬礼の角度に多少の差があるが、最敬礼が多い。
 オバマ大統領の場合は、だれが「作法」を教えたか国務省も明らかにしていない。ただ「大統領が初めて会う日本の元首に敬意を表するのは自然のこと」と、最敬礼を肯定している。
 日本のマスコミ、新聞でも、この問題を早々と取り上げたが、ある意味では、米国人の世界観や日本に対する考え方にほとんど触れないのは残念だった。お辞儀の問題だけでなく、それを一流ジャーナリストや政府高官が批判する裏には、日本に対する認識不足があることは否めない。米軍基地で米兵の暴行をはじめ地位協定が完全に順守されないのは、こうした意識改革が60年前とあまり変わっていないことを物語る。
 民主新政権は、日米関係で「対等」を強く主張して、アメリカ人一般の日本認識を改めるよう運動してほしい。大統領のお辞儀問題をトピックとしただけ扱わないで、その裏に隠された波紋の深刻さを追求するのは、あたしい日米関係の構築にも影響する。

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2009/11/13

パソコンの"もの忘れ"増長

 中高年の間にもパソコンが普及してネットライフを楽しんでいる高齢者が少なくない。「パソコンをやっているから認知症にはならない」と信じているが、最近、「ネット依存は記憶力を減退させ"もの忘れ"を増長させやすい」と脳科学研究者の間で唱えられはじめられた。年齢には関係がなく、一日じゅうパソコンと向き合う中年会社員の間に、こうした悩みを訴えてクリニックを訪れるケースも出てきたという。
 かつては"ワープロ文盲"、いまは"パソコン文盲"といわれて、パソコンで文章を書くようになってから急速に漢字を正確に書けない人が多くなった。難しい漢字でもきちんと読めるが、いざ書くとなると、朧げな文字は浮かぶが自信がない。思いだそうと焦るとますます正確な字画が吹かばずにパソコンの文字変換に頼る。その繰り返しから、漢字の手書きから遠ざかってしまい、さらに"文盲"の度合いが進む。
 年齢を問わず、多くの人が悩んだり経験する。日頃、パソコンで文章を書く機会の多い人ほどその傾向が強く文字変換に頼るから、いざ改まって手書きで手紙を書こうとすると辞書を片手に四苦八苦、文章の流れも乱れてしまう。漢字忘れを克服するため、せめて日記ぐらいは手書きにと挑戦するが、時間がかかるのとコンプレックスから長続きはしない。
 携帯電話のメール交換から葉書や手紙を書く習慣は薄れる。パソコンのメールも同様、ブログも、ひと昔前と違ってかなり長文なエッセーなどを書くようになって、漢字が浮かばなくても「変換」でなんの苦もなく書きこなせる。悩みだった文盲コンプレックスも忘れて、それが当たり前のように思って気にならなくなる。0002

 ところが、人の名前を思い出せなかったり、車のキーなどの置き場所を間違えて探し回る"もの忘れ"が、年とともに多くなって、さては認知症の前兆かと人知れれず気になる。そんな矢先、脳神経外科医・築山節氏の『フリーズする脳』(NHK出版・生活人新書)に出会った。
 パソコンが突然、機能が停止して操作不能になることを「フリーズ」という、文字どうり「凍って」しまってニッチもサッチもいかない瞬間的なもどかしさは、パソコンを使う人はだれで経験しているだろう。築山氏は脳の機能をパソコン用語で解説、著書のタイトルにするほど、パソコンと脳の関係を詳しく研究している。
 「インターネットと物忘れの関係」「ネットで調べた知識は忘れやすい」「ネット依存に陥っていくメカニズム」などが、具体的な診療例から解説されており、パソコンマニアの陥りやすい落とし穴に共感させられた。
 インターネットを使うようになってから「思い出す力」が低下したと訴える人が多く、ある民間会社の調査で「10代から60代のパソコン利用歴1年以上のユーザーを対象に調べたら、約10%の人がインターネットを使うようになってから物忘れがひどくなったと訴えていた」という調査が紹介されている。
 その原因についていくつか解説されているが、ネットの検索機能を使って即座に答えを出すのが日常化され、かつてのように思考をコーディネートしなから粘り強く「思い出す」努力をしなくなったのが原因ではないかと、指摘している。
 たとえば、「岐阜の名物は?」と聞かれると、地元に縁のない人は岐阜の風景を思い浮かべたりしているうちに「岐阜には山や川があり、飛騨高山を思い出して木工細工をあげたり、長良川の鵜飼から鮎を使った名物があるはずだ」といったふうに思い出す。ところが、現代はパソコンのインターネットで「岐阜・名物」と検索すれば一発で回答がでてしまう。
 ネットは検索ひとつで「なんでも答えてしまう」利便さから、「思い出す能力」が劣化し、やがては「物忘れ」の頻度が増すようになるというのである。

インターネットで得た知識は忘れやすいと築山説は述べている。記憶というものは、能動的に作った手かがりが多いほど、自分の意思で引き出しやすくなるという根拠である。認知症になった人は昔の記憶はしっかりしているのに、昨日今日のことは覚えていないといわれる。痴呆した老婆が、家計が苦しかった新婚時代に買ったバケツを宝物のように押入れに仕舞っておき、嫁が捨てたら大騒動になった話を聞いた。能動的な手による記憶と通ずるように思える。
 ある情報や資料を調べるため図書館に通ったがみつからず、大きな本屋まで出かけて本のページをめくっているうちに偶然みつけて買って帰り、家で読んだ本からの記憶や、人に電話したり、現地へいって調べたことの記憶はもっとも引き出しやすい。多くの選択肢のなかから適切な方法を選び、意志的、計画的に並べて情報に近づいてゆくのは、まさに高次脳機能を使う活動であると、築山氏はのべている。
 そこへゆくと、インターネットのプロセスが単純化され、検索のキーをたたけば瞬時に調べられる。反復したり、努力して自分の記憶にする必要がない。インターネットをあまりにも便利に使うことによって、日常生活の中で、知識を得るまでのプロセスに多様性や複雑さをなくし、思いだす手がかりのない記憶がどんどん増えてゆく。インターネットを使うようになってから物忘れがひどくなったと訴える背景には、こうした点もあるらしい。
 要するに、しっかり調べて、しっかり記憶するという習慣がなくなり、忘れたらまた検索すればよいと安易になって「お気に入り」にいれておけば記憶したように錯覚してしまう。パソコンに限らず、一事が万事で、これが日常的になって物忘れが酷くなるというのである。

 「フリーズ」というのは、凍るように固まって瞬間的に機能が停止するだけで、また回復する。故障や損傷とは違ったパソコン現象といわれている。人間の脳のフリーズも同じで記憶を携わる前頭葉そのものに損傷があるわけではないが、その頻度が多くなると認知症への黄信号にもなると警告している。
 パソコン、インターネットの利便性や有用性は、大いに活用してネットライフを楽しむのは当然だが、ネット依存に陥る危険性も承知しておいたほうがよいだろう。築山氏は「インターネットは現代社会に開いた落とし穴のように、人々をネット依存症の世界に引き込んでゆくところがある」と警告し「ネット依存の人たちは感情系の快を求めている。趣味の情報だけでなく、仕事でも自分のプラスになる情報は快と考える。インターネットはねそれがあまりにも簡単に得られる。しかも、周囲の情報を多面的に捕えようとする脳機能は次第にお休み状態になっしまうから現実の面倒なことは忘れている。そこに嵌まってくると、感情系が優位になっやめられなくなる。これがネット依存症のメカニズムだ」と解説している。
 ネット依存症から抜け出すのには、ネットの世界に入ってゆく最初の段階を外すことから始める。一日のはじまりに、パソコンのメールをチェックしてそのままインターネットを見詰めるという習慣をやめる。ネットサーフィンなど、感情的な快に結び付くので、やめるのはますま辛くなるが、一度、電源を切ってパソコンから離れて外の散歩をするとか、部屋の片付けとか整理をする。部屋の片づけは,高次脳機能を維持する基礎的なトレーニングになることが立証されている。雑多の仕事を見つけては、作業手順を考え、メモに書き留めて実行することからはじめる。こういう習慣を身につけることは脳にとってもよいという。
 ネットライフを有効に楽しむためにも、早速、実行してみよう。

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2009/10/30

ドラマ「不毛地帯」を観て

 上映中の日航問題の問題提起をした映画「沈まぬ太陽」、外務省機密漏洩事件をモデルにした小説「 運命の人」 (全巻)が完結刊行されて話題になった。その間、シベリヤ抑留から帰還、商社マンとして防衛庁の戦闘機選定、外国資本による自動車業界の再編などをめぐる政財界の陰謀と戦う元陸軍参謀の遍歴を語る「不毛地帯」が、30年ぶりに完結ドラマとして放映を開始され"山崎豊子ブーム"は出版・テレビ界を賑わしている。

 フジテレビが開局50周年番組の最後を飾る大作ドラマとして、10月から来年3月までの連ドラ「不毛地帯」(木曜ドラマ)の放映を開始した。山崎豊子の30年前の長編ベストセラーが原作で、過去にも映画、テレビドラマ化が行われたが、大作のため前半だけで終った。最後までの完結は今回のドラマ化がはじめて゛制作側の意気込みは大きかった。すでに3回放映されたが、視聴率は10%前後を低迷、制作者の期待を下回った。
 最近話題の新作「沈まぬ太陽」と「運命の人」の間に埋没、「シベリア抑留問題」や「米国など外国メーカーによる自動車界の席捲」「中東の石油掘削」という、いはば過去の問題への関心の低さに加えテーマの重さが原因ではないかといわれている。
 テレビドラマをみながら、原作をあらためて読みなおしてみると、戦後史で見落とせない日本の防衛問題の内幕、それをめぐる政官商の癒着、米国資本の思惑、それら介在する日本商社の陰湿な競争、さらには中東の石油開発をめぐる諸外国資本の謀略に翻弄される弱体ぶりが露呈されて、その真相を知らされた。
0001_3 テレビドラマでは、原作ほど克明には描けないだろうが、おなじ山崎作品でも「運命の人」や「沈まぬ太陽」よりもスケールが大きく、歴史的事実にもとずく傑作であることを認識して欲しい。主役の唐沢俊樹は、過去のドラマ主役よりも線は細いが、「白の巨塔」から6年ぶり、2度目の山崎ドラマの出演で好演している。来年3月までの放映を楽しみにしたい。

 ドラマの主人公、壱岐正は陸軍中佐の大本営参謀、終戦の天皇の詔勅に対し、参謀総長から命令書が出されていない以上武装解除に応じないと抗戦する満州の関東軍を説得する命令を持参した東京から満州に飛ぶ。そして、関東軍総司令官に命令書を伝達、任務をおえて日本に帰還することになっていたが、日米開戦の作戦起案者としての責任を主張し祖国への帰還を拒み、関東軍と運命を共にする。
 日ソ中立条約を犯して、終戦の7日前に侵攻してきたソ連軍に拘置され、重労働の刑を宣告されシベリヤに送られる。その間、戦犯を裁く東京軍事法廷へソ連側の証人として「戦争責任は天皇にある」と証言を強要されが、拒否したため、あらためて戦犯として11年の刑を宣告されシベリヤ奥地の収容所に送られた。零下30度の極寒の中、重労働を強制され11年の刑期を終えて、最後の引き上げ船で舞鶴に上陸、祖国の土を踏んだ。
 テレビドラマの第一回放送では、2時間のスペシャル番組として、シベリヤ抑留の苛烈な重労働、ソ連の陰惨な謀略と仕打ちを中心に描き「不毛地帯」の実態を克明に訴えている。関東軍の80万兵士が、理由もなしにシベリヤに連行されて重労働を課せられる。ソ連は日本軍と戦闘したことはないから「捕虜」とはいえないので「戦犯」として、重労働25年などの極刑を宣告する。捕虜の場合は、国際法によって扱われて保護される。戦争中、日本軍の連合軍捕虜に対する虐待が裁かれ、絞首刑に処されたが、ソ連の日本人シベリヤ抑留に対する国際的な法的の根拠はなにもない。突然、占領して満州国を領地のように宣言、武装解除した日本軍をソ連人として命名し、ソ連の法律で戦犯として裁くという乱暴極まりない国際法無視である。

 捕虜を戦争目的に使うのは、国際法で禁止されている。横暴をきわめた日本軍もこれだけは守って、連合軍の捕虜を直接、戦争には使用しなかった。後方で建設工事などに使ったが、戦争には直接関係のない建設事業という名目をとってきた。
 ソ連は、本来は捕虜扱いにすべき関東軍の将兵をソ連国民として、裁判にかけて重労働の刑罰を課すというやり方は狡猾で、米英など他の連合軍からも抗議ができなかった。しかも、天皇の責任追及をする法廷証人に、旧日本軍幹部を仕立てるというやり方を「不毛地帯」ではじめて知って、その狡猾な悪知恵に驚いた。
 ドラマの主役である壱岐正中佐をはじめ、鉄道司令官の秋津中将など5人の幹部は東京のホテルで厚遇され、証言を拒否した壱岐らをかばって秋津中将は自決した。証言を拒否した壱岐らは、戦犯として断罪され再びシベリア奥地の流刑地に流される。
 シベリア抑留問題は、ある意味では北朝鮮の拉致問題にもまさる人権問題である。日本政府は、その非道さをソ連に抗議したことはなく、なぜか不明のまま伏せられて現在にいたっている。日ソ友好、日ロ問題のために真っ先に解明されなくてはならないが、80万とされる抑留軍人はすでに老齢化し、国民もシベリヤ抑留の悲劇を知らぬ世代が大半になった。
 「不毛地帯」のテレビドラマで、このソ連の不法さをしっかり見てほしい。「不毛地帯」というタイトルの意味を歴史的な事実として、山崎豊子も訴えたかったのだろう。それが視聴者にも通じたのか、初回の視聴率は20%近かったが、2回目になると9%に急落、低迷を続けている。

 主人公の壱岐は14年ぶりにシベリアから帰国した。陸軍幼年学校から陸軍士官学校へ、さらに陸軍大学を首席で34歳の若さで大本営参謀になり、太平洋戦争の作戦を起案した陸軍の超エリートだった壱岐に対して、防衛庁は熱心に自衛隊入りを口説くが「戦争で多くの犠牲者を出した責任から、二度と防衛関係の仕事はしない」と、防衛庁入りを拒否した。
 関西系の近畿商事の大川社長は、はやくから壱岐に目をつけて入社を懇願していた。軍人の世界しか知らない男が商売には不向きと断り続けたが、根負けして社長付き嘱託として入社を快諾した。「私の軍歴を利用して防衛関係の商売という狙いなら断る」と条件をつけ、社長も無条件でそれを認めて、繊維部に配属した。
 その頃、東京では防衛庁で第二次防の戦闘機種選定をめぐって、商社間で熾烈な戦いが展開されていた。防衛官房長が防衛現場を指揮する空幕長の意見を無視、政界工作も絡んで名門商社が仲介する米国A社の戦闘機が閣議決定の寸前だった。試作は2機しかなく、性能にも疑問が多く、壱岐の近畿商事が推すロッキード社の新機種が性能的にも優れ、邀撃専門の日本の戦闘機には最適と自衛隊幕僚部も推薦していた。
 それが名門商社の仲介と総理などへの政界工作から、性能が未知の機種に決定するのは、日本の空の防衛に由々しいと、聞かされた壱岐は翻意して戦闘機選定をめぐる商戦に参加する決意をした。国益を損ねてはという軍人特有の血が騒いだのである。
 士官学校、陸大同期の親友であるK空幕長に真偽をたしかめたら、性能的にも優れ、日本の防衛に最適のロッキード社のF-2に決定するよう協力してくれと頼まれた。そのためには、価格リストなど内部資料の提供もするからと、内密の連絡ルートもできた。壱岐は終戦時に顔見しりになった政界の有力者に、官房長が推すA社の戦闘機は試作機は2機しかなく、いかに危険かの情報を伝え、総理派への政治資金を提供して閣議決定を延長させるのに成功した。
 閣議決定の延期に疑問をもった防衛官房長は、特務隊に命じて壱岐の部下でかつて防衛庁資料部にいた自衛官が戦闘機の価格リストを漏洩したのを突きとめて告発、逮捕させた。やがて壱岐も警察の取り調べを受けることになる。
 ここでドラマの第三回は幕となり、続きは来週に持ち越された。

 ここまでは、ほんの序の口で、これからがドラマの本番を迎える。原作によると、壱岐は官房長の推す米国A社の戦闘機をばすし、不利とつたえられていたロッキード社のF-2を二次防の戦闘機として閣議決定に持ち込んで逆転勝利をする。
 それを機縁に航空担当となり、各商社の"航空戦"の渦中の人となって注目を集めるようになる。防衛関係の仕事はしないと明言した志とは違った結果になって、その運命に巻き込まれてゆく。国益第一、国防が損なわれると聞かされて壱岐の軍人の血が騒ぎ出したらしい。
 その後、外車導入による自動車メーカーの合併、再編成の仲介にアメリカのフォードなど世界の自動車メーカーと渡り合って日本の自動車メーカー保護のためニューヨークに飛んで、虚々実々の駆け引きや交渉を展開、その道でも内外で一躍有名になる。さらに、中東の石油開発問題に乗り出してイランの王家一族やメジャー各社と採掘権をめぐる熾烈で陰謀の渦巻くエネルギー合戦の指揮をとる。
 シベリア帰りの大本営参謀の波乱の人生を綴る人物ドラマと思っていたら、二次防の戦闘機種選定をめぐる政官癒着の陰謀と介在する商社の熾烈な戦い、外資による自動車メーカーの攻防と再編の影にうごめく商社の存在、さらに中東の石油開発をめぐる国際的な利権争いの内幕の複雑さなど、はじめて知る社会派ドラマの虜になった。全5巻、3000㌻におよぶ超長編のエンターティメントである。
 テレビドラマは、キャストのキャラクターや演技に左右されやすく、原作とはイメージが異なる場合が多いが、来年3月まで20数回にわたってゆっくきり楽しむのも悪くはない。重いテーマーだからと、視聴率はやや低迷しているが、壱岐をめぐる色恋沙汰もあり、アメリカ、中東の風物など結構楽しめるだろう。

 

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2009/10/28

"風邪は外に落としておいで"

 信州の北部地方に「風邪は外に落として来れば治る」という俗言がある。風邪をひいて快方に向いたら、大事をとって家に籠っているよりも、外に出て新鮮な外気を吸ったほうが回復が早い、という意味である。一般的に知られている「風邪は人にうつせば治る」という俗言とも一脈通じたものがあり、薬漬けで安静第一主義の現代医学界への揶揄とも受け取れる。
 夏の終わりに風邪をひき、持病の喘息もからんで長引いた。医者に「レントゲン写真に変な影があり、肺炎の疑いもある」といわれて驚いた。咳はとれなかったが、特別の自覚症状もなく前日まで週4回の水中歩行を日課にしていた。とくに疲労感もなかっただけにショックだった。血液検査では炎症の数値はそれほど高くないのにと医者は首をかしげながら、抗生物質、気管支拡張剤、ステロイド剤を処方し、体操、水中歩行などはドクターストップ。
 そして、安静を命じられ一夜で病人にされてしまった。若いときに結核を患わった経験から、医者の指示を忠実に守るようになっていた。言われるままに10種近くの薬を飲みつづけ、秋晴れの空を羨ましげに眺めて一日の大半は横臥の身となった。2日おきに通院、検査の連続でその都度、薬の処方が目まぐるしく変わる。
 執拗に続いた頑固な咳も下火になって症状は改善されたが、気力が衰えて欝状態に陥り不眠の日が続いた。過去に多くの病を克服してきた体験から、薬漬けによる副作用ではないかとか考え、血圧、甲状腺など持病以外の薬は独断で服用をやめた。「安静」の指示も破って、家の中を動きまわり、テレビの流し見はやめて読書に専念したら、不眠は解消して脱力感もなくなった。次の診察日に、薬の処方を中止して、安静は解除し軽い運動は許可して欲しいと訴えたら、医師もそれを認めて、プール以外はOKとなった。

 このとき思い出したのが、幼児期から祖母に「風邪は外へいって落としてきなさい」といわれた信州の俗言である。風邪をひいて熱も下がり、咳も下火になって快方に向かうと、外の空気に触れないと治らないから「外へ行って風邪を捨ててきなさい」と、追い出された。
 寒い土地柄だから、「またぶり返さないか」子ども心にも不安で一杯だった。昔の年寄りは、孫の症状をよく観察していて、外に出すタイミングを心得ていた。それを知らずに、祖母を恨んだこともあったが、外へ追い出され外気に触れたり、遊びまわると不思議に元気が出て風邪も完治した。どういうタイミングで「外に落としおいで」というのかは、分からないが祖母の言いつけはいつも的中した。同郷の妻や友人からも、同じような体験談を聞かされた。
 こんども、医者のOKが出たので、休んでいた健康体操の会に出席、軽いストレッチをしたら元気を取り戻した。レントゲンの影はどうなったかよく分からないが、医者は「ジムでも軽い自転車漕ぎやウォーキングミルはOKです」というので、ジム通いも復活させた。秋の日差しのなか、軽いドライブも楽しむので、「日光を浴びると睡眠がよくとれる」といわれるとおり、あれほど苦しかった不眠からも解放され夜も怖くなくなった。
 「風邪は人にうつせば治る」というのは、医学的にはなんの根拠のない俗言に過ぎない。その解釈にもいろいろあり、風邪の回復期にはウィルスが体内から発散するという説がある。人にうつすのは困るが、回復期になると外に出たくなるという解釈は、「外に捨てて来い」という俗言と似ているように思えた。

 医学界の「安静第一主義」には疑問がある。昔の結核療養は「一に安静、二に安静」といわれ、療養所ではひたすら安静療法が励行された。午前に1時間、午後は2時間をきちんと安静、それも眠ってはいけない。うつかり眠ると、夜の睡眠ができなくなると、看護師さんが見回りにきて眠らないよう注意された。本もご法度なので、こっそりラジオをイヤホンで聴いた。そんな時代が懐かしいが、「安静」がそれほど効果があったか疑問である。
「安静」の効果について、最近、こんな研究を知った。
オランダの大学で、坐骨神経痛の治療に、安静治療の患者と、仕事など通勤しなが治療させた患者を無作為に抽出して比較、観察した結果、神経痛の回復度にはまったく差がなく、安静にせず活動しても無害であることが立証された。「安静を指示すると、患者によっては重病であると誤った認識を与えられて回復が遅れる」という指摘もあり、世界的な整形外科医たちも、この説を積極的に支持しているという。ベッドでの安静が最高の治療法というのが世界に共通した考え方や定説も怪しくなってきた。
 外科では大手術をした翌日から、廊下などを歩かせる。安静第一主義からの脱皮である。悪いところは切り取って問題がないから、筋力低下を防ぐために「歩け、歩け」という。
 ところが、保守的な内科は、昔どおりの「安静」を守っている。たしかに、坐骨神経痛や外科とは違うのだろうが、症状がきえて病状が安定しているのになお「安静」を強いるのはどうだろう。長くベッドに横になっていると、足腰の筋力が衰えて病気が治っても歩くのに苦労する。
 私の経験から、喘息で1週間入院しただけで、脚の筋肉が衰え歩くのに支障、たった7日間でとショックを受けた。知人が肺炎を患って2週間入院したが、同じような経験を聞かされた。今回の肺炎騒ぎでも、同じ悩みに遭遇して早く筋トレを始めなくてはと痛感した。
 医師も看護師も揃って「安静、安静」と唱えるのは、内科の保守性だろうか。
 検査、検査の挙句、薬漬けという医療体制は、医療費の増額にもつながる。こんなとき「風邪は外に落として」の俗言のほうが、自然療法の摂理に適っているように思えてならない。

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2009/10/16

映画「さまよう刃」を観て

 極悪化す青少年犯罪と少年法をめぐる"罪と罰のバランス"に問題を提起した、東野圭吾のベストセラー小説「さまよう刃」が映画化された。娘を青少年グループに拉致、暴行されたあと殺害され、怒りと悲しみから復讐する父親、それを追う捜査官が、それぞれの立場から法と正義の狭間に苦悩する社会派ドラマ、「私ならどうする」と考えさせる深刻な問題を投げかける。
 原作は5年前に刊行され、昨年、映画化の発表と同時に文庫本(写真)になると、150万部のベストセラーとして評判になった。原作は500㌻におよぶ長編だが、凄絶な犯行描写や娘を殺された父親の悲嘆と絶望、犯人への追跡に協力する周囲の人たちの同情と共感、さらには犯人の1人を殺害して殺人犯となった父親を追う捜査陣の葛藤と悩みを克明に描く。ミステリータッチで読者を惹きつけて一気に読ませるのは、直木賞の東野圭吾ならではのドラマである。
 そのエンターティメントを2時間そこそこの映画にどうまとめるか、はたして原作の迫真力と重い問題提起をどこまでクローズアップできるか興味があった。「正義の味方か。違うな。法律を犯した人間を捕まえているだけだ。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ。法律が傷つけられるのを防ぐために、必死にかけづりまわっている。法律は完璧じゃない。それを守るためなら、警察は何をしてもいいのか。人間の心を踏みにじってもいいのか」と、原作のラストで捜査指揮をした警察官の口を借りて語らせた、著者のメッセージを映画は果たして伝え切れるのだろか疑問に思っていた。
 ベテラン俳優の寺尾聡のキャラクターと演技力が、それを見事にカバーして、原作ほど直接的ではないが、人の命を単なる肉体としか思わず暴行、殺人をゲーム感覚で行ってきた主犯少年が、寺尾(娘を殺された父親)に銃を突きつけられて恐怖感に顔をひきつらせ、わなわな震えるシーンは圧巻だった。「死の恐怖感にさらされないと、彼らは命の重さが分からないのだ」という寺尾の独白は、原作者のメッセージを上回る説得力があった。Image0010_5

 一台の黒い車が、夜の道で少女に忍び寄って強引に車内に連れ込み、女の子の悲鳴が闇を切り裂く。翌日、荒川べりの河原で少女の死体が発見された。腕には麻薬の注射痕が数カ所、遺体には2人の男の体液が残されていた。知識もなしに乱暴に打った麻薬のため心不全を起こして死亡、河原に捨てられた、と捜査陣は判定した。
 翌日、身元が判明、会社員長峰重樹(寺尾 聡)の一人娘、中学生の絵摩と分かった。2年前に妻を亡くし、絵摩だけを生き甲斐にしてきた長峰は、警察からなんの連絡のないまま悲しみに暮れて茫然自失に陥った。数日後、犯人の名前と住所を告げる密告電話がかかってきた。真偽のほどは分からず逡巡の末、長峰は告げられたアパートへ向かう。
 留守宅へ上がり込んで、部屋を物色すると数本のビデオテープがみつかり、その中に娘の絵摩が麻薬を打たれて2人の男に犯されている模様を録画したテープがあった。犯行の一部始終を目の当たりにし、娘を弄んで楽しんでいる犯人の声にうちのめされた。たまたま帰宅した犯人の1人を後ろから襲い、復讐の鬼となって惨殺(映画にはないが、陰部を切断して恨みを晴らす)した。虫の息で死ぬ寸前の犯人から、主犯の菅野快児の潜伏先を聞き出した。
 「信州のペンションに潜伏している」という言葉だけをたよりに、長峰は警察に「犯人の一人を殺したのは自分である。主犯の菅野を追って復讐の旅にでる。始末をつけてから自首するからそれまで待ってくれ」という意味の手紙を書き、会社にも届けた。警察は長峰の手紙から、犯行現場のアパートに踏み込むと、あまりにも凄惨な殺害に驚き、さらに現場に残されたビデオテープから彼らの犯行の詳細のほか、他の少女たちを同じ手口で襲って暴行しテープ録画に悪質な犯罪の実態をはじめて知った。
 主犯の菅野をリーダーに高校中退の3人グループで、車を提供して運転や見張り役をさせられ、暴行などには加わらなかった中野誠が巻き込まれるのを恐れて、長峰に密告電話してきたことも警察は突き止めた。

 娘を殺した主犯の菅野を追って長峰が長野県に入ると、その長峰を警視庁は犯人殺しの殺人犯として全国に指名手配して捜査陣を長野に送り込み、長野県警の協力を要請する奇妙な展開になった。本来なら女子中学生や高校生を次々に襲っては暴行するグループの主犯である菅野の行方を警視庁は追うべきなのに、被害者でもある長峰を追跡する構図は納得できない。仇討や復讐は禁じられているといっても、こんどの拉致、暴行殺人事件を起こした主犯を警察がかぼって保護する結果にもなり兼ねない矛盾に、捜査陣の警官の間にも疑問と苦悩が見え始めた。なかには、警視庁の指令を無視し長峰にこっそり情報を流して支援する動きもでてきた。心情的には長峰に同情を寄せる捜査員も少なくなかった。
 「自分の娘や家族が長峰と同じような目にあったら、復讐して犯人を生かしておかない」と公言して、長峰の犯人探しに協力する空気がペンション経営者の間に生まれた。警視庁の指名手配ポスターの写真をみて、長峰と似ていると思っても通報しなかった。
  廃業中のペンションに潜伏という手掛かりしかない犯人探しは進展もなく、長峰は疲れ果ててある高原のペンション流れついた。経営者の父親を手伝う中年の木島和佳子は、挙動から長峰と見抜いて彼をかくまう。長峰もはじめて素情を明かし、パソコンに取り込んで携帯していた娘が暴行されたビデオテープをみせる。子供を事故で亡くした和佳子は身につまされて、犯人探しの協力を申し出る。迷惑をかけるからと断るが、父親の木島隆明が長峰を慰めようと猟に誘い「これだけ頑張ったのだから、死んだ娘さんも納得してくれだろう」と、翻意を促す。
 ペンションに帰ると、警視庁など捜査員が待ち伏せしていた。木島は警官の前に立ちはだかって阻止、長峰に猟銃とジープを渡して逃亡させる。警官たちも、深追いをせずに逃亡をみのがす。彼らも心情的には長峰に同情、警視庁の指令のままに行動しなかった。

 数日後、主犯の菅野は、かって拉致、暴行した女子中学生と小諸市郊外の廃業ペンションに潜んでいることを捜査陣は突き止めて、浅間山麓の雪原のなか逮捕に向かう。最初から事件捜査に加わっていた警視庁捜査一課の織部孝史刑事(竹野内豊)は、被害者でもある長峰逮捕に積極的な警視庁の方針に疑問を抱いていた。長峰に娘の仇を討たせてやりたいという気持ちから、主犯の菅野が浅間高原の空きペンションに潜伏していると長峰の携帯電話に匿名で知らせた。浅間山麓の雪原を、復讐劇の最後の舞台としてやりたかったらしい。
 警官隊がペンションに踏み込むと、連れの少女が大声をあげて菅野を逃がした。逃亡資金稼ぎに売春していたことを自白、捜査員は「そんな男を逃がすのか」と呆れ、逃亡先を「川崎駅」と吐かせた。織部刑事は、近くに隠れていた長峰の携帯へ「川崎駅に逃げた」と流す。法の枠を越えても、長峰に不条理に殺された娘の仇を討たせやりたいという思いにかられていた。
 最後の舞台は、人混みで賑わう川崎駅前の歩道橋(原作は上野駅)に移る。不良グループの仲間に逃亡資金を持参するよう強要、落合場所を歩道橋と指定した主犯・菅野を待ち伏せる大捜査網が張り巡らせれる。仇討のため菅野殺害をねらう長峰が猟銃を持っていることから、警視庁は捜査員に拳銃を持たせ、万一の場合は長峰射殺も辞さない態勢をひく。
 法律では仇討は禁じられ、長峰はすでに犯人の1人を殺害した殺人犯である。主犯の菅野の長峰絵摩殺害は立証されていない。法に照らして、菅野を仇討から守るため長峰射殺は正当という論理である。被害者でもある長峰に同情的な捜査員が多く、本部の指令どうり引き金をひくべきか迷い、法と正義の狭間に"さまよう刃"の拳銃を手にしながら捜査網をしぼっていった。映画に映し出される捜査員の表情からも、そのさまよいが窺われる。
 やや遅れた現れた主犯・菅野は、緊迫した雰囲気に危険を察知、歩道橋から駅前広場の人混みに逃げる。通行人の女性を盾に逃亡しようとする先に、猟銃を構えた長峰が立ち塞がっていた。その剣幕に押されて盾にした女性を放す。長峰は菅野に近寄って銃口を彼の喉元に当てて無言のまま対峙する。
 そのとき、警視庁の捜査本部長から「撃て」と射殺命令が出た。拳銃を構えて長峰ににじり寄る捜査員の前に、突然、織部刑事が立ちはただかって「待て!!」と阻止、捜査員は引き金から指を放して、長峰と主犯・菅野の息詰まる対峙を見守る。少女たちを拉致、連行しては凌辱、暴行を繰り返し、反省の色も全くなかった菅野の顔が、みるみるうちにひきつり、死の恐怖にさらされてもがく。長峰は執拗に銃口を突きつけたまま動かない。菅野は逃れようと後ろに倒れる。群衆がその緊迫した光景を見守り、いつ長峰の銃が火をはくか固唾をのむ。
 突然、一発の銃声がして長峰は、背中を血に染めながら倒れて動かない。菅野の上着を握ったまま放そうとしない。菅野はその手をもぎ放そうともがきまわる。捜査員が駆け寄って菅野を取り押さえる。長峰はすでに事切れたまま横たわっていた。
 拳銃を発射、長峰を射殺したのは、この事件を最初から担当してきた警視庁捜査一課のベテラン刑事真野信一(伊東四朗)だった。長峰に同情、犯人の動静を密告したり、捜査員の拳銃発砲を阻止した織部刑事の先輩でもある。

 「長峰の猟銃には弾は入っていなかった、空砲だった」
 真野刑事は織部刑事に打ち明けた。真野は、それは知らなかったが「長峰ははじめは主犯を射殺して娘の仇を討つ積りだったが、そのうちに気持ちが変わって、ただ復讐するだけでは意味がない。ああいう連中に"命の重み"を自覚させるのには、死の恐怖に晒して、とことんまで追い詰めるしかないと悟ったらしい」と寂しそうに漏らした。
 警察官らしく法に従ったという気持ちはなく、真野も後味の悪さと、法と正義の間に悩む割り切れなさを感じていた。映画の観客や原作の読者も同じではないだろうか、とキャストの名前だけが流れる暗い画面を見入っていた。
  

 

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2009/10/06

医者には"神様の顔"

 ヨーロッパには「医者には三つの顔がある」という警句があった。
 医者に脈をとられているときは"天使の顔"、治療を受けているときは"神の顔"、ひとたび治療費を要求されると"悪魔の顔"に見える、というのである。この警句は、ローマ、ギリシア時代に遡る古いもので、風刺詩のひとつして長いあいだ語り継がれてきた。
 「医は仁術」という東洋思想とも一脈通ずるものがあるが、「悪魔の顔」という言い方はいかにも西洋らしい。

 腹の調子がなんとなくスッキリせず、心配になって主治医を訪ねた。診察室の天井を指さしながら「あれですよ」というだけである。禅問答のようで首をかしげていると「お天気のせすですよ」と説明して、くわしい診察はしない。
 腹具合と天気がどんな関係があるか知らないが、主治医の一言に安心して、翌日からは症状も嘘のように消えて元気になった。
 体の不調を訴えるたびに「T先生の顔をみてきたら・・」と家の者に言われる。病院へ行っても、型どおりの問診と触診だけで「たいしたことはありません。薬も要りません」と軽くあしらわれるが、とくに不満はなく主治医の顔をみて声を聞いただけで元気になる。西洋の警句そのままに、"天使"に会っているような錯覚に陥る。家の者も主治医も、病気に対しての神経質ぶりを見抜き、その辺をよく心得ていて適当に扱われてしまうのである。

 そんな関係を30年ちかく保ってきて主治医のT先生の手から離れることになった。
 関東のある政令都市の市立病院副院長で、専門は消化器外科、手術にかけては評判の名医とされ多くのガン手術も手がけて実績をあげている。手術を受けて回復した人や世話になった患者たちが集まって「T先生を囲む会」をつくって、旅行などを20年も続けている。
 会員は200名ちかく、こうした患者会は珍しい。そのT先生は15年前、定年退職のあと私立病院に勤務したが、自分の患者のアフターケーの受け皿にするためだった。その後、再び市立病院に乞われて、かつての患者たちを主に週1回だけ診察しているが、評判を聞いて診てまらいにくる新患者も多く予約への割り込みも難しいほどだ。
 82才という高齢に加えて、電子カルテの導入などで「メスを執れなくなったら辞める」を口癖に来春は、診察の現場から去ると宣言、「他の医者を探すように」といわれていた。
 T先生との出会いは28年前の胆石手術である。胆石はあったが、痛まなかったので15年近く放っておいた。痛みだしたのでT先生の手術を受けるため入院、胆嚢を切除した。造影剤も入らぬほど40個もの石が詰まっていた胆嚢は一部が肝臓に癒着していた。
 肝臓からの剥離もうまくゆき、手術に立ち会った外科医は「成功」と開腹を閉じようとした。「3時間後には切り取った肝臓から胆汁が流れだす恐れがある」と、T先生は胆汁を外へ排出するゴム管を3本付けるよう指示した。立会い医たちは「こんなに綺麗に剥離できたのに」と首をかしげたが、3時間後には黒い胆汁が流れだした。
 「あのまま腹を閉じたら、胆汁が腹部にたまって腹膜炎をおこし危険になるところだった」と、後日に明かされた。命拾いをして評判どおりの名医ぶりを知った。朝、昼、夕と日に3回は、手術や外科部長の多忙の中を縫って病室に顔を出し、日曜には時間があるからと丁寧に説明するために病院にくる。腕が確かだけでなく、その誠実さが多くの患者を惹きつける。

 初診者に対して「私のようなヤブ医者でよいのですか」というのがT先生の口癖で、紹介した知人から「本当に信用してよいのか」と念を押されることが、なん度かあった。患者の症状に対する訴えや不安には熱心に耳を傾けるが、自分の診断には確信をもっている。患者の訴えによって診断がコロコロ変わるようでは、名医とはいえない。
 胆嚢手術をした1週間目に激しい下痢に襲われた。夜中に十数回トイレに駆けつける激しさに看護師も見かねて「絶食」の指示を求めた。まだ三分粥しか許さなかったが、「手術のため一旦、外に出された腸が腹におさまる調整作用の影響で心配ない。きょうから五分粥にする」と取り合わず「食事を摂らないと腸の調整が遅れてしまう」と、目の前で食事を摂らされた。
 食欲はまったくなく下痢で憔悴しているので、指示どおりやっとの思いでお粥を飲み込んだ。食事を済ませたのを見届けてT先生は「あすの朝は下痢がぴたり止まりますよ」と言い残して四国で開催される消化器学会に出かけてしまった。このときほど、先生を非情と恨んだことはなかったが、翌朝は下痢がぴたりと止まって快便になって先生の言うとおりになって、診立てを変えない診断の確かさに驚いて逆に尊敬するようになった。
 それ以来、この医者ならと心に決めて、消化器以外の病気など健康管理のすべてをお願いすることにした。定年後、車で1時間もかかるところを来る必要はないから、血圧や持病の管理は近所の医者に掛かりなさい、と指示された。持病の甲状腺亢進も落ち着き安定していたので近くの医院に替えた。その1年後に突然、持病が再発し、またT先生のところへ逆戻りして30年もお世話になった。その間、喘息、肺炎などを患ったが、適切な処置で事なきを得た。
 同じような経緯で、T先生のところへ逆戻りする患者がふえ、いつのまにか病友として付き合うようになった。その輪が次第に広がって、診察日に顔を合わせるのが楽しみになった。それだけに、T先生の引退は惜しまれ残念がられた。"天使の顔"と"神の顔"を併せ持っているように尊敬していた患者たちの多くは、先生のメスでガンから生還したり、大手術を克服して生き永らえた人たちが大半である。

 医者が神様にみえた経験は二度ある。いずれも全身麻酔をする大きな外科手術をしたときで、執刀する外科医の顔が神様にみえて拝みたくなった。執刀医の腕によって生死が決まる場合もあるから神様にみえるのも当然である。
 神様は自分勝手に簡単に選べないように、どんな医者と巡り会うかは運命である。患者はとかく手術をしてもらう主治医の腕を自慢したがる。その心の底には、自分の神様は一番だという意識と、無理してもそう信じた込みたい心理が働くのだろう。
 「悪魔の顔」という実感はあまりないが、病院のどこでも無愛想である。街のクリニックなどの窓口で最近は患者の名前を呼ぶのに「さん」ではなく「さま」と、丁寧語を使うのが共通しており、番号表示の公立や大学病院とは対照的である。ただ、訳も分からずに、あまり待たされると、悪魔の召使を連想したくなる。
 医師不足といわれながら、これだけ医療情報が氾濫すると一番難しいのは医者選びである。神様の世界のように医者同士は互いに悪いところは隠しあって表に出さないから、運と考えて信ずるしかない。だれでも、神様にあやかりたい気持は同じだろう。

 

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