6月 19, 2009

映画「真夏のオリオン」を観て

 第二次世界大戦末期、米軍の本土上陸を阻止するため出撃した潜水艦と、それを追い詰める米駆逐艦との激烈な海戦の影に隠された戦争ドラマが、64年ぶりにアメリカから届けられた一枚の楽譜から明らかにされた。その名は「真夏のオリオン」、青年潜水艦長が恋人から"お守り"として出撃前に贈られたものだった。

 「亡国のイージス」「終戦のローレライ」の海戦映画でヒットした福井晴敏の監修による映画「真夏のオリオン」が公開された。特攻など戦争で散っていった兵士たちの鎮魂、軍国日本への反省などが主流となっていた戦争映画のパターンから脱したヒューマンな人間ドラマを主軸にし、さらにロマンを加味したストーリイは、いままでの戦争映画には見られない一種の爽快感と斬新さを感じさせた。0002_3

 1945年8月3日、30歳になっばかりの倉本孝行海軍少佐(玉木宏)は、潜水艦イー77号の艦長として、米軍の補給路遮断作戦のため5隻の潜水艦と共に呉を出港、沖縄沖へ向かった。同行のイー81号潜水艦の有沢義彦艦長は、倉本と海軍兵学校同期の親友で、ともに27歳の若さで潜水艦長になった俊英である。
 東京は下町の商家に生まれた倉本。有沢は鹿児島の、代々海軍士官を務める厳格な海軍一家に育った。兵学校同期125名の首席に近い成績の有沢は、海軍中枢の軍令部入りのエリートコースを約束されいたが、潜水艦乗務を望んでわざと試験を落として成績順をさげた。
 倉本は、兵学校入学当初から頑なに潜水艦乗りを志望していた。戦艦や巡洋艦は艦長といっても、作戦行動中は連合艦隊司令部の命令に従わなくてはならない。その点、潜水艦は一艦で秘密裏に行動するのが基本で、一度港を離れれば艦長は誰からの指図も受けずに独自の行動ができる。その独立性と自由が倉本にとって大きな魅力だった。

 そんな二人は意気投合、戦艦大和が東シナ海で撃沈され連合艦隊が消滅してから、海の一匹狼として暴れまわり米国の艦船攻撃を仕掛けることを生甲斐として親交を深めていった。ピアノが好きで音楽の道を志して親元を離れ、兄を頼ってきた有沢の妹、志津子(北川景子)は音楽学校を辞めて瀬戸内を望む家で戦災孤児の面倒をみていた。兄の親友である倉本にひそかに想いを寄せ、沖縄への出撃前夜、「必ず生きて帰ってきてください。お守りです」と渡した一枚の楽譜、自作の「真夏のオリオン」が、倉本艦長をはじめ94名の乗組員の命を救い、対戦相手の米駆逐艦長を感動させるドラマのキーワードになった。
 オリオンの星座は、冬はよく見えるが、「真夏に輝けば、この上ない吉兆」と、船乗りの間では昔から信じられていた。オリオンはギリシャ神話の海神ポセイドンの子で、水上を歩く能力を授かった狩人。その巨人が棍棒を振り上げる姿が星座の形になっている。古代の船乗りにとって、この3つの星は航海の重要な目印だった。現在も、航路を見失い、道に迷う船乗りには、自分の居場所を教えてくれる守り神とされている。海軍一家に育った志津子は、海の守り神としてのオリオンを知っており、「迷わずにきっと帰ってきてください」と、倉本に自作の詩を添えた楽譜を渡した。

 出港してから8日目の8月11日、倉本のイー77号は、はじめて作戦地域に入った。低気圧の接近で海は大荒れの中、潜望鏡は敵の石油タンカー2隻と護衛駆逐艦の船団の姿をとらえた。「総員戦闘配置」警報ブザーの音が鳴り響き、上官たちの怒声が飛び交うなか乗員たちは一斉に持ち場に走る。
 先行していた他の4隻の潜水艦による防衛線は敵に突破されたのか。親友の有沢艦長のイー81号も仕留められなかったかという不安が倉本の脳裏をよぎる。それを押しのけるように「魚雷戦用意」を発令、4本の魚雷を次々に発射した。だが、発射後3分過ぎても、4本の魚雷は沈黙を続け雷撃は失敗に終わった。
 失敗すると、敵の駆逐艦に77号の存在が知られて爆雷攻撃で逆襲される。倉本は即座に急速潜航を命じて敵の追及から逃れた。敵駆逐艦からの不気味な探信音がピーン、ビーンと77号の艦体をノックしはじめた。一刻も早く、この海域を離脱しないと危ない。攻守逆転である。倉本は一転して大胆な行動をとり、追ってくる敵駆逐艦の真下を潜りぬけ、また潜望鏡震度まで浮上して再び魚雷攻撃に出た。駆逐艦は完全に裏をかかれ、タンカー2隻に魚雷が命中して炎上、イー77号を追うのをやめてタンカー乗組員救助に引き返した。
 倉本の作戦は成功したが、タンカーを仕留めるのに8本の魚雷を使ってしまった。物資不足で14本の魚雷しか搭載できなかったので、残りはわずか6本しかない。これからの作戦を考えると、戦果はあったものの効率のよい戦いとは言えなかった。艦長の苦悩をみて、乗り組んでいた特攻兵器の人間魚雷「回天」の搭乗員たちが、「回天なら一艇で一隻は沈められます」と出動を申し出た。

 回天は"地獄の兵器"といわれる特攻魚雷で、高性能の爆薬を積んで搭乗員もろとも敵艦の体当たりして撃沈させる。米軍も「KAITEN」とよんで恐れていた。潜水艦に4艇の回天が搭載され、その発動権限は艦長に任されていた。
 倉本は、「生きのびて帰ってくるために戦う、死ぬために戦ってはならない」と、常々、口にして「若い命を犠牲にしたくない」と、いままでの作戦では一度も回天の発動を許さなかった。「死ぬために」猛訓練させられてきた回天搭乗員たちの間でも、倉本の存在はよく知られていた。
 潜望鏡を覗きながら「もったいないでしょう」と、回天搭乗員の申し出を倉本はさりげなく交わす。「出撃する機会も与えられず、このまま生き恥をさらす身にもなってください」という悲痛な訴えにも、瞬きひとつすることもなく搭乗員と見つめあって「ああ、実にもつたいない」と繰り返すだけで多くを語らない。
 倉本は生粋の海軍士官として、命を無駄に扱う特攻作戦に反対した。終末兵器とさる回天の使用にも、表だって海軍首脳部の指示に背かずに「回天を使う状況に遭遇しない」と、自分の判断を述べるだけで軽くかわしていた。

 倉本のイー77号潜水艦は、こんどの沖縄作戦に参加する前に、すでに13隻の米軍タンカーを撃沈していた。この戦いで新たに2隻のタンカーに魚雷を命中させ、合計15隻のタンカーを1年半の間に葬っている。
 タンカーに魚雷を命中炎上させた直後、倉本は突如、近くの海上に潜水艦を浮上させて、敵にその姿をさらす大胆な作戦に出た。敵駆逐艦の砲撃を浴びない射程距離外であることを計算に入れての浮上で、魚雷攻撃で駆逐艦を撃沈させる絶好のチャンスだった。沈みかけたタンカーからの乗員救助中のため、国際ルールに従って水雷攻撃をせずに潜航、現場を離れた。
 戦争末期で、食うか食われるか、国際ルールなど無視して戦闘する中での倉本の行動に米駆逐艦長も感動、好敵手として勝負することを決意する。米駆逐艦もこの作戦で、すでに倉本の親友である有沢艦長のイー81号など4
隻の潜水艦を海の底に沈めており、日本のイ-77号潜水艦と米国の766号駆逐艦の秘術を尽くした虚虚実実の激戦を迎えるクライマックスシーンが、スクリーンに展開される。
 米駆逐艦は、かすかなスクリューやエンジンの音をたよりに倉本の潜水艦の位置を探りながら執拗に迫ってくる。イー77号は潜航と浮上を繰り返しながら敵の追及をかわし、残った魚雷6本を注ぎ込んで駆逐艦攻撃の最後の決戦にでた。
 魚雷発射には、深海から適正深度まで浮上しなくてはならない。敵に発見される危険を伴う賭けだった。倉本は深度20㍍まで一気に浮上、潜望鏡を覗くと、レンズを洗う波の彼方に艦ナンバー「766」、灰色の艦体がくっきりみえた。間一髪、「撃て!」と号令、残り全部の魚雷を20秒間隔で発射させた。続いて起きた爆裂音に「命中」と艦内はわいたが、潜望鏡には敵駆逐艦の健在な姿が映り、魚雷攻撃は完全に交わされ失敗とわかった。
 敵もさるもの、魚雷を発見すると、とつさに爆雷を浅深度で爆発させて魚雷の進路を変えて交わしたのである。命中と思わせた爆裂音は駆逐艦が投下した爆雷の音だった。乗員たちから深いため息がもれた。

 イー77号潜水艦は急速潜航が間に合わず、迫ってくる敵駆逐艦の真下に潜り込んだが、艦尾が敵艦の海底部に接触して潜航舵が破損、制御不能に陥った。頭から海底に突っ込む形でふらふらと海中を沈降してゆく。深度計の針はみるみるうちに振れ、30㍍・・40㍍・・50㍍・・と沈降が止まらない。いったんは、バラストタンクの排水で沈降速度が緩んだが、それも束の間、80㍍・・90㍍・・と沈降を続け、ついに安全潜航深度の100㍍を越えた。
 警告を発するように艦内の電球がパリン、パリンと乾いた音をたてて次々に割れてゆく。思わず乗組員たちから怯えるような声が漏れた。映画でみていると、最悪の事態を実感させられて怯えてしまう。
 110・・・120・・・130・・。倉本艦長は、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせたが、油圧がかからないから、沈降をとめる手段はない。「魚雷発射室浸水」「送油管損傷」と悲鳴があがる。機械のメーター類を覆っている厚いガラスが、次々に割れてメーターが剥き出しになる。165・・・170・・・とイー77号は沈みづける。ついに180㍍を越えた。いつ潜水艦が圧潰しても不思議ではない。
 185・・・190・・・激しい衝撃が艦を襲った。前方に投げ出され、装備類、壁、防水扉に叩きつけられた乗員たちから悲鳴と呻き声がおがった。そして、沈降が止まった。深度計は190㍍を指したまま針は止まっていた。
 海底に着いたまま、イー77号は救われた。まさに天佑だった。安全深度を90㍍も越えながら、依然として水圧に耐え続けている艦体を倉本は頼もしげ仰いだ。

  倉本は海底から脱出するための艦内復旧作業を急がせた。海底に着低してから、すでに12時間を経過、艦内の酸素も限界に達していた。そこで、特攻の「回天」からの酸素放出を決断、充満した炭酸ガス濃度を少しでも少なくして、機関や魚雷発射の復旧に当たらせた。「回天」から酸素放出に踏み切った潜水艦長は例がなく、"悪魔の兵器"といわれる特攻兵器を潰して、乗員を生きて帰そうとする信念を物語っていた。その「回天」からの酸素放出も限界になり、2隻目の回天に手をつけなくてはならぬ緊急事態に追い込まれていた。
 回天に搭乗する特攻隊員4人が、倉本を囲んで「艦長、われわれが行きます」と出撃許可を迫った。前にも「もつたいない」と彼らの要請を断ったが、生還の可能性が薄い海底に釘付けになったままという深刻な状況である。
 倉本は「まだ魚雷が1本残っている」と、暗に回天の出撃拒否を仄めかして、特攻隊員らと沈黙のまま対峙した。その隙に一番若い20代の特攻隊員が、回天3号艇に通ずるラッタルを懸命に駆けのぼって、無断で出撃しようとした騒ぎがあった
。倉本は、「いいか、俺たちは死ぬために戦っているんじゃない。生きるために戦っているんだ」「人間は兵器じゃない。たった一つの命だ」と、諭すように説得した。こうした「生きるため」という倉本の説得は、潜水艦の乗員たちにも伝わって海底から脱出するための復旧作業がはかどり、奇跡的に艦の修復は終わった。

 

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6月 06, 2009

「女」の「オバさん」化

 日本女性の平均寿命は86歳にのびた。男性は79歳というから、女性はますます長生きして元気になり、女ならではの国も女性天国ならぬ"オバさん天国"になりそうだ。街や展覧会などには、中高年女性が溢れてそのパワーに圧倒されるがちである。
 いま評判の脳科学者・茂木健一郎氏が近著「化粧する脳」(集英社新書)の中で、「女」の「オバさん」化について書いていた。面白い観察とおもったので、その一部を紹介しよう。

 「世の女性はその実質において「女」と「オバさん」に分かれているように思う.。若さとか、見せかけの問題ではない。
 隠すのが上手い女性が「女」である。ところが、女性は「オバさん」化してしまうと、「隠す/見せる」のコントラストを欠いてしまう。それは顔や化粧の問題ではない。「言動」の問題である。時も場所も選ばず、何事も包み隠すことをしなくなってしまうのだ。僕はこれを「無意識の垂れ流し」と名付けている。
 おそらく、「女」も「オバさん」も思っていること、感じていることの「総量」は、そう違わない筈だ。しかし、「オバさん」は思ったことを片っ端から口にしてしまう。その一方で、「女」は口数が少ない。心に思ったことのうち何を表出するかを考え、言葉を選ぶからだ。たとえば、大勢の人の集まる場所で、冷房の効きが悪いとか蒸し暑かったとする。そんな場面で「オバさん」は、会場に入ったとたん、声をあげてしまう。
 「あー、暑いわね、暑い、暑いわよねえ、暑い、暑い。クーラーが壊れているのかしら。喉渇くわよね。ほんと暑い。窓、開けたほうがいいかしらね・・」と。
 このように、思ったことを逐一言われ続けると、同席者にとってはノイズになってしまう。周りは聴こえぬふりでもしてやり過ごすしかなくなる。「いちばん暑苦しいのは誰だ?」と心の中で呟きながら。Photo_2
 「女」は思ったことのすべてを口にしようとはしない。だから、「この部屋、暑いですね」と一言いったとたん、周りの男性たちはそわそわしはじめる。「何か冷たい飲物を持ってこようか?」「窓を開けようか?」。(中略)
 男はこういう状況になると、いてもたってもいられなくなる。彼女が発した「暑いですね」の一言の真意を探ろうと、必死になってしまう。要は発した言葉に駆り立てられるのではない。隠された言葉に駆り立てられるのだ」

 週に3回ほど、運動不足解消と股関節痛のリハビリをかねて、フィットネスクラブに通っている。ジムでマシンを使う筋トレのほかプールで水中歩行をしているが、オバさんラッシュに辟易させられている。若い女性よりも、時間がたっぶりある中高年女性が多く、なかにはクラブに通うのを日課にして、一日を過ごす女性もいる。
 朝一番に来て、午前中はジムで過ごし、エアロビグス、ヨガなどの教室をハシゴした後、午後はプールで水中ウォークやアクア、そして最後は入浴してさっぱりして帰る、といったパターンが多い。昼ごろになると、ロビーで彼女たちはお握りや弁当を広げて"会食"をはじめる。男性は座る場所もなく隅で小さくなっている。人の集まるロビーで平気でお握りをほうばる無神経さに呆れ、決められた場所以外では人前ではものを口にしないエチケットなどまったくないのに驚く。
 それに、迷惑なのは、プールの水中歩行コースで、立ち止まってお喋りしている。一定の速度で歩く人にとっては、リズムを狂わされて運動にならない。水中歩行は話しながら歩くくらいの速度でといわれているが、立ち止まったままのお喋りは傍若無人である。
 ほとんどが「オバさん」で、「女」を卒業した人たちだが、たまにコーチが注意しても平気でお喋りしている。運動をしにきているのか、お喋りをしにきていのか分からない。
 ある友人が講演を聞きにいったら、後ろの席にいたオバさんグループが、講師の話にいちいち頷く声が耳について集中できなかった、と話していた。彼女たちは真剣になって耳を傾けて相槌をうっているのだろうが、まわりの人にはノイズになってしまう。

 茂木センセイも、オバさんパワーに迷惑と感じたことがあるのだろう。化粧は周りの人を意識して他の人の視線を受け入れるかたちで自分を磨く。そのことの深い意味が、近年の脳科学の研究の中から浮かび上がってきた。化粧は人間の社会性の象徴である、と述べている。そうした難しい話はともかく、化粧は、隠すところはファンデーションなどで隠し、顔の表情に反映しやすい唇や目元などはアピールする。この「見せる/隠す」のコントラストが顔の美しさを生んでいると、解説しているのは、だれも理解できるだろう。
 いずれしろ、他の人の視線を意識することから、隠す、見せるという言動が生まれてくる。女性がある年齢に達すると、化粧はするものの「隠す」という意識が次第に薄れて、周りの人の視線を意識する度合が減ってくる。だから、万事が大っぴらになって、傍迷惑も考えずに行動する。こうなると、もう「女」ではなくなって「オバさん」化すいうのが茂木説である。
 「自分の言動を選択し洗練させることで、「女」は男性を惹きつける。これは、化粧と同じである。自分の言動も隠すところは隠し、見せるところは見せる。このコントラストをつくれるだけでずっと美しくなれる」と、茂木氏は結んでいる。
 これは、年齢に関係なく、自分は「女」と思っている女性でも、その言動によっては、すでに「オバさん」化していることになり、すでに男性を惹きつけることに関心がなくなった女性でも、「女」であリ得ることを意味している。女性はいつまでも「女」であってほしい。

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6月 02, 2009

山崎豊子「運命の人」佳境へ

 沖縄返還をめぐる日米密約漏洩事件をモデルにした山崎豊子「運命の人」(全4巻・文芸春秋社)は、好評裡に第3巻が発売された。毎日新聞の西山太吉記者が密約電文をスクープ、それにかかわった外務省の女性事務官とともに逮捕、起訴された「西山事件」の経緯を克明に描いてきた第1、2巻から、問題の核心に迫ってドラマチックに盛り上げてゆく。タイトルの「運命の人」をより鮮明しながら、山崎豊子ならではの本領をみせる佳境に入った。

 37年前の事件、沖縄返還にさいして米国が復旧費として支払った400万ドル(約15億円)は、実は日本政府が米国側に払った見せかけのものだった。国民を欺いたその密約を暴いた新聞記者の努力も、女性事務官との男女問題にすり変えられた問題だけに、山崎豊子が沖縄問題への熱情を傾けて書きあげた長大作が、果たしてどこまで読まれるかという声をよそに40万部に迫るベストセラーになった。それたけに、第3巻への展開が注目されたが、国家権力の罠にはまって失意のドン底に落ちた弓成記者(西山記者)と家族の過酷な運命、男女問題へのすり変えられた国民の知る権利と報道の自由との戦い、国家機密の名の下に密約の存在を隠蔽する外務省首脳、さらには検察に乗れられて罠とも知らずに微妙に揺れるの女心の女性事務官などをリアルに描きだしていた。3_2

 第3巻は、検察の男女問題へのすり替えから風向きが変わった国民の関心をよそに、問題の核心である密約の存在を外務省首脳に追及する弓成弁護団の法廷戦術、そして、報道の自由のため証言台に立つ各社の新聞記者が取材手段の内幕をのべる証言を克明に伝える書き出しから始まる。事件が明るみに出て夫の情事にショックをうけ弓成との深い溝に悩む妻、由里子と崩壊寸前の家族の悲惨さ。また、「弁護団の方針は上品すぎる。そそのかしか、そうでないか、法廷でなぜはっきりさせないのだ」と弓成記者を励まし、「あの底の知れん女に悪乗りされるぞ」と苛立つ同僚他社の政治記者などの結束ぶりを書いている。
 公判当初は、世論の関心をそそるため弓成記者と女性事務官の関係を中心に、「情を通じ、それを利用して」と、密約漏洩の「そそのかし」と勢いよく攻勢に出ていた検察側は、女性問題には一切ふれず密約と、その存在を論理的に追及する弓成弁護団に押され気味で迫力がなくなっていった。密約問題について深く勉強せず、「知る権利」など報道の自由は国家のためには無視という傲慢さが裏目にでて、検察の敗色が濃くなった。

 こうした空気を反映、初公判から1年7ヵ月ぶりに判決公判迎え、本山裁判長は女性の三木事務官に国家公務員法違反として「懲役6ヵ月、執行猶予1年」の有罪判決をくだし、一方の弓成記者には「無罪」と判決した。弓成側の完全勝利だった。
 「弓成記者の行為はことさら執拗、強引に行われたとは認められない。肉体関係を利用してなされたことは認められ、取材の正道を逸脱したものとして社会的非難を免れないが、より正確な取材をしようとした記者の熱意や職業意識は理解できなくはない。
 三木被告との関係は、倫理的非難に値するとしても、法が深く立ち入るべきではない側面のあることなどを考えると、正当行為性がないとまで判断することできない」
 無罪の判決理由を本山裁判長は述べており、国家公務員法違反の最高刑である1年を求刑した検察側は完敗である。男女問題は「法が裁くものではない」という一言に検察の主張を完全に斥けられたのである。この判決に検察側は控訴、"弓成退治"を命じた佐藤栄作前総理は「あの裁判長はアカ(共産党員)だ」と激怒したという、
 弓成記者は、無罪判決を勝ち取ったものの、毎朝新聞がこの問題で50万部を失い社内首脳部の風圧が強まったことから、判決を機に辞表を提出して社を去った。朝、毎、読といわれる全国3大紙から毎日が脱落して、発行部数も朝日、読売が900万代をキープしていのに毎日だけは300万部に落ち込むという凋落ぶりに、弓成問題が拍車をかける形となった。その責任を感じた弓成記者は、予想される控訴審の準備に専念するという口実で生涯を賭けた新聞記者の仕事から身を引いて、ひとつのケジメをつけたのである。

 一方の女性事務官は、「早く裁判が終わって世間から忘れられたい」と公判当初から語り、控訴せず判決を認めたが、弓成記者の無罪判決に怒って「私の告白・三木昭子」を「週刊潮流(週刊新潮)」に発表して、弓成記者との関係を一方的に暴露した。
 初公判の法廷では、泣き崩れたか弱い女性を演じて世間の同情をかい、一部の女性運動家たちは「三木さんを守る会」を結成、街頭募金活動をはじめた。マスコミや世間から身を隠すため弁護を担当した坂元弁護士事務所に逃れてアルバイトを続け、女性運動家との接触を避け、差し出された街頭募金も返却して身を潜めていた。心身の不調を理由に公判の法定も欠席、姿をみせたのは初公判と判決公判の2回だけだった。
 「早く世間から忘れられたい」という彼女の意を汲んだ坂元弁護士の指示によるものだったが、坂元氏に隠れてこっそり週刊新潮の松中記者に接触、新宿・京王プラザホテルの45階のラウンジで、カクテルのサイドカーを含みうっとりとした声を漏らしてインタビューに応じていた。半年もこうした甘い雰囲気のインタビューが続き、二人の雰囲気は、キャンドルライトのもとで寄り添うように語らっている周りのカップルたちの一組として、溶け込んでいた。
 法廷でよろよろと泣き崩れた彼女には到底考えられない、彼女の別な顔があった。松中記者への接触も彼女のほうから積極的に仕掛けたものである。こうして弓成記者との情事の詳細にも触れる告白文を書かせ、判決当日にぶつけるというタイミングを計った。「早く世間から忘れられたい」と、細々と漏らす彼女からは想像もつかない大胆さだった。
 週刊新潮の松中記者も、スキャンダルの渦中にある女性の思わぬ接近に警戒したが、告白文の大特ダネを独占するために、45階の高層ビルのラウンジから夜景を楽しむ恋人まがいのインタビーに応じ続けていた。
 「弓成憎し」で貫いた膨大な告白を載せた週刊新潮は100万部が増刷され、密約と報道の自由を掲げて無罪判決を評価する新聞ジャーナリズムと、三木事務官の男女問題告白を満載する週刊ジャーナリズムとの激しい戦いが展開された。
 「法廷で無罪判決を勝ち取った弓成と新聞ジャーナリズムに対する痛烈の週刊誌判決であった」と、山崎豊子は小説のなかで書いている。

 そして、検察控訴から2年後、二審の東京高裁は、弓成記者に「懲役4月執行猶予1年」の有罪判決をくだし、弁護側の控訴に最高裁は、その2年後に「上告棄却」を決定、弓成記者の有罪が確定した。逮捕から約6年にわたる長い法廷闘争の末、弓成記者は一縷の望みを託した最高裁にも裏切られた思いにかられて、家族とは別居して独り九州の"バナナ王"とよばれる父親のもとに帰って、家業を継ぐのである。
 東京近郊の会社勤務の三木元事務官は、一審の坂元弁護士からの電話で最高裁の決定を聞くと「一審で自分だけ有罪にされ、片手落ちと不審を募らせていただけに、ようやく胸が晴れました。日本の裁判はやはり公正なんですね」と、語ったという。
 「告白」を発表したあとも、テレビのワイドショーにまで出演している彼女の態度に、弓成弁護団は控訴審公判で「弓成記者との関係が明るみに出るのを恐れて戦々恐々としてたという供述には似つかわしまない」とのべ「辣腕記者にダマされた。いいなりにされてしまったという被害者立場をとる心情と理由はできない」と問題にした。
 事件発生から6年も経つと事情も変わるだろうが、彼女の激しい豹変ぶりに、世間を騒がせた「情を通じて・・」は、なんだったのだろうとという疑問がわく。その間、終始、その問題には沈黙し通した弓成記者に対して、彼女の気遣った芯の通っている潔さが伺われるという声もでて、「密約漏洩事件」も次第に忘却の彼方に消えていった。

 国家権力と検察などによる過酷な運命に苛まされた弓成記者やその家族にとっては、事件は終わったわけではない。彼は妻子を残して独り九州の実家に戻って家業を継ぐが、バナナ王と呼ばれ九州一円を仕切っていた弓成青果は、大型スーパーの出現など時代の波に押されて後発企業に吸収され、廃業に追い込まれた。
 生涯を賭けるつまりだった新聞記者の仕事、最愛の家族、誇りをすべて失い、家業による再生の道も断たれて、競馬などギャンブルにのめりこんでゆく。小倉競馬場に通う日々を過ごすある日、日頃から贔屓にしていたスズカブライトに賭けた。夏の小倉記念杯を制覇すれば、秋の天皇賞、暮の有馬記念へと進む本命とされいたが、ゴール直前に失速して倒れた。だれにも止めることができなかったスピード故の突然の骨折事故だった。
 弓成は悲鳴をあげその瞬間、脂がのりきった政治部与党担当キャップだった時、自らの記者生命を断たれた衝撃が脳裏にうかび、五体がわなわなと震えた。いつ全レースが終わったか定かでない虚脱状態で、パドック横の庭園をさまよい、散水用の生ぬるい水をごくごくと飲む。水溜まりにぼんやり映っている窶れ、魂の抜け殻のような顔が、現在の自分の姿なのか、愕然とする。
 骨折したスズカブライトは、治療不可、痛み緩和のため即安楽死の処置がとられるだろうが、自分にはその道はない。さりとてありあまる時間がありながら、何かをする気力も失せ書物さえ絵空事としか思えなくなり、活字からも遠ざかっている。このまま無為に過ごしていれば、もっと堕落した惨めな人生しかないだろうーー。そして、弓成は「この土地を離れなければいけない」と、夏の終わりの夕陽が暗い雲間に沈む中、定まらぬ足もとで歩きはじめた。第3巻のラストシーンが、いつまでも脳裏から離れなかった。

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5月 26, 2009

首相の思いつき構想は迷惑

 麻生首相の思いつき構想や発言が多すぎる。突然、厚生労働省の分割構想を発表して関係を寝耳に水で慌てさせた。生活給付金をはじめとして、国の施策が首相の「一夜の思いつき」で実施されるケースや、発言撤回も多く、「首相の一言」の重みを肝に銘じて欲しい。
 こんどの、厚労省の分割構想は、発表前に政策担当や関係省庁によって検討された形跡はなく、麻生首相の"思いつき"とみられている。政府は慌てて、首相の指示に沿って、厚生労働省を社会保障省と国民生活省の二つに分割し、内閣府や文部科学省の部局を統合して再編、国民生活省に「少子化・児童局」を新設する構想を発表した。

 年金問題が浮上、医療保険問題の改編が課題になって、厚生行政の重要性が見直されたかと思うと、こんどは雇用問題の悪化が問題になって雇用対策、そして少子化問題と、社会保障と生活問題の比重が重くなってきた。だからといって、3ヵ月後には衆院議員の任期切れという時期に、こうした重要課題を提案するのは納得できない。
 2001年に中央省庁再編で、縦割行政の弊害をなくすため大幅な省庁の統廃合を実施、1府22省を1府12省に縮小してから8年しか経っていない。省庁の統廃合には、公務員を削減して人件費を節約するという狙いもある。
 麻生首相は、行政改革を骨抜きにして逆に公務員の数を増やしたり、官房副長官の増員など人員削減に逆行する動きが目立っている。その矢先の厚労省の分割発表である。省が増えれば、当然のように人員増になるから官僚は反対しない。
 省の数を増やしたからといって、社会保障や生活問題、少子化問題が解決するわけではない。それも、首相の一夜の思いつきだけで、事務当局で検討した末ではない。高齢者対策ひとつにしても、老人いじめをするだけで、これといった施策もなにひとつ打ち出さないで社会保障など、だれも信用しない。
 政治家や官僚には、もともと社会福祉という思想が薄い。贅沢三昧な生活をして生活苦の経験もなく生きたきた麻生首相に、社会福祉など理解できる筈がない。だから、省庁を増やせば解決すると安易に考え、思いつきで唐突に発表するのである。

 生活給付金は、麻生首相もまったくの思いつきで実施され、2兆円もの税金をつぎ込んだのは衆知の事実である。あの思いつきで、全国の自治体は大混乱、行政は停滞した。「金を恵んでやればよい」という首相の社会福祉思想は時代遅れである。それを補佐する側近も同様の頭脳しかないので、国民にはまったく迷惑である。
 しかも、任期も少なく、国民の支持も底をつき余命のない麻生首相が、社会保障や国民生活の改善を口実に省庁の分割という大問題を思いつきだけで断行されたらかなわない。殿様の一言とはいえ、現在の経済状況からみて制度改革は安直に同調すべきでない。
 その意味で、自民党内には少子化問題に関連する保育園と幼稚園の幼保一元化に慎重な構えをみせているのは歓迎できる。国民に迷惑をかける"思いつき施策"は、謹んで欲しい。低支持率を挽回しようと焦れば、焦るほど深みにはまる。麻生首相のノーテンぶりに、いつまでも付き合っているほど国民生活には余裕がない。

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5月 23, 2009

山崎豊子「運命の人」を読んで

 「沖縄を金で買うのか」といわれた日米密約漏洩事件をモデルにした山崎豊子の「運命の人」(全4巻・文芸春秋社)が発売された。「華麗なる一族」「大地」「沈まぬ太陽」などを発表してきた社会派作家の山崎豊子が沖縄問題をテーマに、最後の大作として取り組んだエンターティメント、37年前に問題になった密約を暴いた新聞記者逮捕の「国策捜査」「スキャンダルのすり替え」などを、どう問い直すのか読んでみた。
 「運命の人」のモデルになった外務省機密漏洩、通称「西山事件」は、沖縄返還をめぐり、米国が支払った土地の現状復旧費の400万ドル(15億円)、実は日本政府が米国側に払った肩変わり密約を、毎日新聞の西山太吉記者がスクープ、外務省が西山記者と外務省の女性事務官を機密漏洩罪として告発、検察が起訴して密約の存在を隠蔽しょうとした事件である。検察は、西山記者に密約文書を渡した女性事務官との間に男女関係があったことを公開、起訴状に「ひそかに情を通じて・・」と異例の記述をしたことから、国民の関心は「密約」から興味本位の「下半身問題」にすり替えられた。Photo_7
 「密約」は、米国の公文書公開で、その存在が確認されたことから、当時の外務省条約局長も数年前にそれを認めたが、政府はいまだに存在を否定し続けている。外交上の機密というよりも、国民を欺瞞する密約を隠蔽するため新聞記者を逮捕、「そそのかしの罪」として法定で裁くのは、国民の「知る権利」を損ねる問題として問題になったが、女性事務官との関係を暴くという検察の手口に国民もマスコミも、問題のすり替えという検察の罠にはまって、その本質を見失ってしまった。
 「白い巨塔」「大地」「沈まぬ太陽」など一連の社会派長編ドラマを書きつづけた山崎豊子は、「沖縄への強い思いゆえに」と10年の歳月をかけて西山事件を洗い直して、「運命の人」として1700枚の大作を書きあげ、その真相に迫ろうとした。
 この事件を扱った当時の作品、映画には見られない新聞社の内幕、マスコミの取材、政府と検察との癒着などを生々しく描きながら、西山記者を軸にした人間ドラマを展開してゆく。政府・検察の陥穽にはまったまま、男女問題としか捕えていない傾向が強いが、「運命の人」によって、疑惑に満ちた沖縄返還の日米交渉の真相、政府の意のままになる検察の権力の恐ろしさと、危うさを改めて知らされた。

 「運命の人」の中心となる毎朝新聞(毎日新聞)政治部の外務省詰めキャップ・弓成亮太(西山太吉)は、38歳、野心に燃え独特の個性をもち、政治記者として油ののりきった働き盛りである。外務省詰めは2度目で幅広い取材網の人脈を築きあげていた。記者嫌いの外務官僚からも「弓さん」と呼ばれ、親しみと畏敬を持たれる花形だった。
 彼は政治記者の駆け出し"番記者"時代、当時、佐藤政権の官房長官だった大平正芳(のちの首相) に食い込み、緊密な間柄を築きあげていた。外務官僚も、彼の政界への影響力を知って、積極的に近づいてそれにあやかろうとする高級幹部は少なくなかった。
 その中でも、外務省ナンバー2の安西審議官とは7年越しの付き合いで、部屋への出入りもフリーパスだった。キャップとして帰り咲き、審議官室を訪れて、たまたま出会ったのが審議官付きの女性事務官・三木昭子(蓮見喜久子) だった。10年のキャリアーをもち、代々の審議官付きをつとめるベテランで、38歳の既婚とは思えない若さと艶っぽさを漂わせる省内でも評判の美人秘書である。
 彼女は弓成記者のことは知っていたが、会うのは初めてだった。キャリアの高級官僚にはない個性的で精力的に仕事をこなすタイプに関心をもち、積極的に近づくようになった。
 1971年(昭和46年)5月、沖縄返還協定の調印を前に、新聞各社の協定内容をめぐる取材合戦は激化、そのピークに達していた。弓成記者の安西審議官室への出入りも頻繁になり、毎日のように顔を出し三木事務官との接触する機会がふえて親しく口を交わすようになった。上司のお気に入り記者ということもあって、審議官の留守中も招じいれて部屋に入れて、返還基地リストの機密文書を盗み見るチャンスを与えたりした。

 そして請われるまま、日米交渉に関わる機密文書コピーの束をこっそり持ち出して、赤坂見附の政治誌事務所に待っている弓成記者に届けた。文書の束は厚さ15㌢という膨大なもので、中から重要とみられる3通だけ抜きとって返され、彼女はなに食わぬ顔で役所に戻り同僚の男性事務官にも気付かれなかった。その3通が、のちに日米密約として問題になった電信文のコピーである。
 さらに、弓成記者が米国務省の招待で渡米すると、2週間の滞在中に機密文書3 通をワシントンの彼あてに送っている。
 ここまで読んでくると、二人の間には記者の取材常識を越えた異常なものを感じる。弓成記者の三木事務官への接触と機密を流させる方法には、特ダネのためには手段を選ばない強引さと節度に欠けた危険なものがある。一方の三木事務官が、国家公務員法に触れる恐れがある機密漏洩を大胆にやってのけ、なにが彼女をそうさせたのか疑いたくなる。多少の新聞取材経験のある者なら、だれもが首をかしげて疑問を抱くだろう。
 官庁取材では、文書の流れを押さえ、その関門でチェックすれば機密に接して特ダネにすることができる。関門で機密文書の出入りを受渡簿に記入していのは、下級職の女子職員が多く、文書の件名を書き移すだけだから、内容も知らず機密を扱っているという意識に欠ける場合が多い。目端のきく記者なら、予め問題を調べて見当をつけ、機密文書の決裁や稟議にまわされる頃に、それとなく文書の件名だけ尋ねれば、その存在を確認できる。
 三木事務官も秘書歴10年のベテランとはいっても、縁故採用で下級職の「外務省雇い」からスタート、運よく「事務官」試験にパスしただけで仕事の内容や意識は変わっていない。それに、外務省は「機密」書類が圧倒的に多く、安西審議官にまわってくる文書は大半が「極秘」扱いのため、機密にたいする感覚も麻痺、警戒心が緩んでいた。
 彼女が弓成記者に機密文書の束を渡しのも、機密ボケした意識の現れともみられる。

 「バナナ王」と呼ばれ九州一帯を仕切り、一代でのしあがった青果業者の長男に生まれた弓成記者は、稼業を継がす新聞記者を目指して慶応大に進学、箔をつけるため東大大学院で学んだ。毎朝新聞(毎日新聞)に入社、念願の政治部記者としてエリートコースを歩いた。自信家で強引さで政治家に食い込む当時の政治記者の典型的なタイプだった。
 妻の由里子は、逗子に代々続いた素封家の生まれで、父親は銀行員としてロンドン暮らしが長く、温厚な性格から「謙虚さに欠けている」と弓成記者との結婚に反対した。由里子に一目ぼれして2週間後には、いきなり逗子の由利子の家を訪ね、以後、日曜ごとに「ご馳走を戴きに来ました」と、一家の食卓に割り込んで新聞に書かれない政界の裏話などで話題を独占した。「うちの家風には?」と首をかしげていた母親や姉妹も、生まれや育ちが違う彼の精悍でエネルギーに魅了されて結婚に賛成した。
 強引さと自信家を物語る話だが、結婚後も、月給は全部仕事や付き合いに使うからと渡さず、由里子の実家からの援助で豊かな生活を送っていたという。夜討ち、朝駆けの政治記者暮らしで家族揃って食卓を囲むのは稀だったが、子煩悩で深夜に帰宅しても必ず二人の子どもの寝顔を覗き、由里子も愛車で送迎するなど円満な家庭生活だった。野心満々、自信家で精悍な弓成記者からは想像もつかない、家族思いの人柄を物語る隠されたエピソードである。

 さて、彼は三木事務官から、「密約」の存在を示す証拠となる3通の機密電文を手に入れながら、記事にするのを躊躇っていた。本来なら、国家を揺るがす大特ダネとして新聞紙面を飾り得意の絶頂に立っているのに、弓成記者は悩んでいた。
 密約の電文をナマのまま入手したとの報告に、本社の編集局は色めきたった。数日前、返還協定の全文を「朝日」にスクープされていただけに、これでリベンジが出来ると政治部長は興奮気味でデスクも弓成記者に原稿を督促した。弓成記者の態度いまひとつはかばかしくない。日頃、自信満々で精悍な彼らしい面影はなく、表情もいまひとつ冴えなかった。
 ある程度の予測はしていたが、いざ、密約を示すナマの電文を手にすると、その内容と影響力の大きさに弓成記者は身震いした。返還のため土地の復旧費として米国政府が日本に400万ドルを支払うと格好をつけて、その実、15億円もの巨費は日本が米国に支払ってやるという密約は、あまりに酷過ぎる。国民を完全に欺瞞したもので「肩代わりする」などという格好のよいものではない、と九州男児らしい義憤にからていた。
 米国は、ベトナム戦争の失敗で財政は底をついて、1円も払う余裕がないと議会は反対している。そして、日本政府は米国の顔を立てるために、そっくり払ってやるという密約。それなら、最初から土地の復旧費は日本政府が負担したほうがスッキリする。
 日米協定の内容は合意され、1週間後の6月17日には調印式が行われる。
 「入手してから何度、大スクープしてやろと思ったかもしれません。だが、下手に調印式前に書けば、これだけのネタですから、調印式のみならず、沖縄の復帰そのものにさし障りが出てこないかと、ついブレーキがかかってしまって・・」と、弓成記者は苦しい胸のうちを告白、ストレートの記事ではなく、署名入りの解説記事にしたいと懇願した。
 「そこまで考えた上でのことか」と部長は渋々了承したが、「こんな大特ダネをみすみす暖めるとは」とデスクは残念がる。そして、彼が躊躇っている理由をさらに聞かれた。「電信文の日付をみれば分かるように、入手してから8日しか経っていない。5月下旬からの僅かの間に3通すべてを目にすることが出来るのは外務省でもごく一部の者に限られる。電信文をスクープした記事を書けば、ネタ元を危険にさらしかねない」と、ニュースソースの三木事務官への配慮を説明、彼女との約束は破れないと、はじめて真相を明かした。
 結局、署名入りの解説記事にしたが、高揚感が湧いてこない。見出しに「軍用地補償費に疑惑あり」と大きく打ってほしいと整理部に掛け合ったが、裏付けがないと容れられなかった。3面左、8段抜きで大きく扱われたが、決定的な決め手に欠け、翌日、福田外務大臣が国会で「裏取引はありません」と疑惑を否定、手に入れた密約は陽の目をみなかった。

 年が明けて1972年(昭和47年) 2月、弓成記者は外務省詰めキャップから与党・国会担当の永田町クラブのキャップに異動した。出世の階段をひとつ上り、10名の記者を束ねる政治部記者の頂点を極めて、野心家の彼としては得意だったが、昨年、手にいれた沖縄返還をめぐる密約電文を懐に入れたまま、心に引っかかるものを抱えていた。
 国会では沖縄返還問題を野党が追及していたが。決め手がなく攻めあぐんでいた。前年の11月、社会党の横溝議員が弓成の解説記事に関心をみせて接触してきた。そのとき、密約の電文コピーをみせただけで別れた。そして、3月27日、衆院審議の最終日を1日残して、このまま密約電文に陽の目を当てず、歴史の裏側に埋没させてしまうよりは、有効に活かそうと決断、社会党担当を通して横溝議員に電文を渡した。
 予算委員会で横溝議員は、慎重に扱ってほしいという弓成記者の要望にもかかわらず、3通の密約電信文をナマのまま政府に突き付け、日付まで明かしてしまった。政府は困惑、言い逃れ答弁に窮して、外務省アメリカ局長は「保管してある電文と照合したいからと、議員席にきて電文を覗きこみ、すばやく文書回覧者の欄を読み取った。
 中二階の記者席で傍聴していた弓成記者は、唖然として声を上げそうになった。これをもとに外務省では密約漏洩の犯人探しが始まり、彼に文書を流した三木事務官に査問の手がまわることになる。
 ニュースソースを秘匿するため懸命になり、記事に書くのも拒んできた弓成記者の努力も空しく水泡のように消えたのは、思わぬ誤算だった。

 自分には犯人探しの手は及ばないと楽観していた三木事務官は、安西審議官付きの同僚事務官が人事課に査問されてから慌てて、弓成記者に3通の密約電文コピーを渡した当時の文書受渡簿だけを焼却処分して証拠隠滅をはかった。女の浅知恵でした受渡簿焼却が逆に彼女が犯人である証拠となって、彼女は機密漏洩の張本人として摘発され、弓成記者に機密の密約電文を渡したことを告白し、夫ともに警視庁に出頭した。
 4月4日、警視庁は三木事務官の供述により、弓成記者を国家公務員法違反の機密漏洩容疑て出頭を求め、その夜、逮捕した。これを機に、「西山事件」が暴かれたのである。
 弓成逮捕に対して毎朝新聞はじめ、マスコミは筆を揃えて「知る権利」の妨害、「政治逮捕」として検察批判のキャンペーン展開した。外務省職員から機密電信文を入手したからといって、国家公務員法違反で引っかけるのは卑劣だ。新聞記者の取材は、聞きだしたい情法を知る立場にある人間に対しては誰であれ、ありとあるゆる方法で接近して、政治家や官僚の机の引き出しを覗いて書類の盗み見をするする位の心意気がなければ、真実に迫る報道はできない、といった論旨で「弓成逮捕の不当」を国民に訴えた。
 「為政者に都合の悪いことは書くべからず。書いた者はこうなると、まさに見せしめ逮捕だ」と、新聞界の怒りが爆発、マスコミ対政府・検察の戦いへと発展する様相をみせて、一般の世論も同調し、連日のようにキャンペンが展開された。

 ところが、4月15日、東京地検は二人を起訴。、起訴状のなかで「弓成は三木とひそかに情を通じ、これを利用して三木に外交関係秘密文書ないしその写しを持ち出させて記事の取材をしようと企て・・」と、はじめて男女関係にあったことを公開にする挙に出た。
 「ひそかに情を通じてのくだりは、余事記載とはないか」と毎朝側は反発した。「余事記載」とは、「起訴状には犯罪の構成要件以外には触れてはならない」という決まり事である。「その点は内部でも議論を重ねたが、本件では弓成被告が三木被告を意のままに動かしたこど主要な要素で、余事記載に当たらない」と、検察側は答えた。
 密約の機密漏洩を裁くよりも、検察は弓成記者を最初からターゲットにしていたのである。その裏には佐藤政権をめぐる政権交代の自民党内の抗争があり、大平派に密着して主導権争いに影響を及ぼしていた弓成憎しという気持ちが佐藤首相にあった。
 機密漏洩に弓成記者が関わっていると聞かされた佐藤首相は、十時警察庁長官に指示して「弓成退治」を命じた。検察もそれを受けて動いたのである。機密を漏らした三木事務官は、検察側にとっては弓成退治のため、男女関係を証言させて彼を追い込む絶好の道具だった。それを知らない彼女は裏切られた男への復讐という

    

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5月 09, 2009

風光る五月の庭

 若緑がキラキラ輝いて風が光っている。花の季節が終わった若葉が輝く五月の庭は、一年でもっとも美しい。瑞々しさのなかに、新しい生命力が溢れている。そんな五月の庭が好きだ。

 猫の額ほどの狭い庭も、この季節には広くみえるから不思議である。丸く刈り込んだ笠のよう枝をなん段にも重ねた柘植(つげ)の若緑は格別である。高さは3㍍ほど、幹からのびた枝は半球状になって、その先に小さな葉をつける。40年になるが高さは当時のままで伸びず横に張り出す枝も変わらない。葉だけが、毎年、新しい
芽を出して新陳代謝を繰り返している。

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 年に2回、植木屋が枝の剪定をして形を整えるが、その跡に一斉に吹きだす新芽の美しさは圧巻である。正月前に形を整えるため剪定した葉が、五月になって一斉に若緑に芽吹く。
 柘植の葉は対生で、丸くて硬い。材は黄褐色で極めて緻密のため、印材、版木、将棋の駒、櫛などに利用されている。高級品としての用途に限られ、将棋の駒も代用品が普及し、今ではプロの棋戦に利用される程度となった。ツゲ材の製品は高価で工芸品としの価値も出てきた。
 その影響からか、高級な庭木とされ、垣根としてもっぱら利用されたものが、庭を引き立てるための中高木として珍重されるようになった。庭木用の低木性の「松」は格が高いが、狭い庭には不釣り合いのほか、形を整える手入れが大変なため柘植や槇がその代用として植えられた。
 わが家の柘植も、そうした当時の流行から石材の門を飾るため、その脇に植えられた。いまは、そうした流行も廃れて、柘植の垣根は姿を消し、庭に植える家も少なくなった。半球状に整えられた梢に芽吹く若葉の魅力は格別である。005_3

 柘植の脇でひと際高くのびて、分厚な幅広の葉を輝かせているのが、モッコクである。モッコクは高さ15mになる常緑の中高木。千葉県以西の温暖な地域にに生育し、南西諸島から中国・東南アジア・亜熱帯に分布する。
   葉は長さ3~7cm。鋸歯はなく、厚くて表面は滑らかで、裏面にも葉脈はほとんどみられない。葉柄は紅紫色を帯びる場合が多く、暗い林の中に生育するものでは赤味を帯びないこともあるという。
 庭木にもよく用いられ、根元にセンリョウやマンリョウを寄せ植えして「千両万両持ち込む」と読ませたりする、と図鑑に説明があるとおり葉は輝き、とくに若葉の美しさは圧巻である。09_003
 「真木」とよばれ庭木の核となる中心的な存在として、値も高く、植木屋自慢の木だった。ところが、花も滅多に咲かずに大きく成長するだけの変哲のなさに不満だった。こんな木がなぜ珍重がられるか不思議で、隣近所でも植える家は少なかった。中透きをしないと、鬱とおしくなって虫もつきやすいが、若い植木屋は自信がないのか、混み合った中の枝を切り落とさず表面の形を整えるだけである。
 若葉の頃が、この木の出番で、やや大ぶりぶ分厚な葉がキラキラ輝いて風に揺れる様は、まさに風光るそのものである。「真木」とよばれて格は高いが、素人目には葉が茂るだけの面白味のない木と思って、なんどか他の木に植えかえようとしたが、これだけのモッコクは勿体ないと賛成されなかった。
 玄人好みの木で、若葉の頃しか楽しめないので、つい邪慳に扱いたくなってしまう。神社や寺の境内には、モッコクの大木があるので、植木屋のいうことを聞いてそのまま残した。

 大きな石に這うように松を植えたが、いま新芽が棒のように立っている。そろそろ芽かきをしないいけないが、これも素人の手には負えない。それと、針のよう葉を透いて揃えるのも大変である。わが家の庭樹のなかでは、もっとも金かかかる"金食い虫"である。先日まで松の下でスズランが白い釣鐘のような清楚な花を咲かせていた。北海道の友人から贈られたもので、贈り主はすでに鬼籍にはいって久しいが、花だけはいもま毎年、咲かせてくれる。
  庭の若緑も、五月中旬には緑の濃い新緑となって瑞々しさが薄れてゆく。花の命は短いが、若葉の寿命もそう長くはない。いまのうちに楽しもうと、庭に出ては木々に感謝の声をかけるのが日課のようになった。 

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4月 25, 2009

水中ウォークブームとマナー

 水中ウォークをはじめてから3年、週に3回ほどプールにかよっている。最近、フィットネスクラブなどでは、水中歩行ブームのためウォーク・コースが数珠つなぎの渋滞ぶりで、ウォーカーのマナーの悪さが、楽しみを半減させている。
 股関節を痛めて、水中歩行が効果的と聞かされてはじめたのが3年前。水の浮力で身体が軽くなって歩いても痛みがなく、その効果につられて、いまでは欠かせない日課になった。プールの中を、ただ黙々と1時間近くも歩き続けられるか自信がなかったが、後ろ向き歩き、横歩き、つま先立ち歩き、踵歩きなど、いろいろなバリエーションを組み立てて歩いていると、時間があっという間にすぎてゆく。
 それに、プールへゆく時間と曜日が決まっているので、コースを歩く顔ぶれがきまっていて顔馴染みができる。深い付き合いはしないが、会話をかわすようになって楽しみがふえる。「継続は力なり」といっても、独りだけで同じ歩き方を繰り返していては飽きてくる。仲間ができると、歩き方を工夫したり、効果を確かめあったりするほか、軽い世間話もするので長続きするようになる。
 通っているフィットネスクラブは、ビルの4、5階にあって付近に高層ビルがないので眺望がよく、四季に変化する外の景色を眺めながら歩いていると、散歩しているような気持ちになって、気分転換には最高である。
 ジムやフィットネスクラブは、ビルの地下や外から見えないように遮蔽するケースが多く、それまで通っていたジムは地下のため穴倉にいるようで、体を鍛えるというだけで楽しみはなかった。ジムやクラブも環境が大切である。

 フィットネスクラブやジムというと、若い人やスポーツの筋肉マンを連想しがちだが、いまは若者よりも熟年層が圧倒的に多い。定年になって時間に余裕ができた団塊世代、美容と健康のための中年主婦が主流である。それに、最近は、足腰に故障ができた高齢者の参加が目立ちはじめた。
 月額8000千円程度の費用で、マシンで自転車漕ぎ、ウォーキング・ミルで歩行の筋トレ、ハワイアンを踊ったり、太極拳、ヨガに参加。最後はプールに入って水中ウォークをしたあとジェット・バスで体をほぐす。そして、広い浴場で入浴、マッサージ・マシンにかかる。暇つぶしに、毎日、朝から夕方まで過ごす高齢者もいる。
 「ここで入浴してゆけば、家では風呂に入らない。ガス代を考えれば大した費用ではないし、お友達ができてお喋りも楽しめる」といった高齢者の独り暮らしの女性も多く、データイムは中高年女性の溜まり場という様変わりである。
 カラフルで派手な水着になると年齢を忘れ、泳ぐのは大変だから、もっぱら水中ウォークで足腰の老化を防ぎ、すこし体力に余裕があると水中ヨガやアクアにも参加するといった具合で、プールはいつも賑わっている。水温は常時30度の温水プールだから、冬場も寒くはなく、身体が温まるから、はじめてプールに入る高齢者にも抵抗はないらしい。
 それに、プールの中では、水の浮力が転倒を防止して転ばないし、万一の場合も怪我をしない。最高の転倒防止という魅力も足腰の弱った高齢者には捨てがたい魅力である。

 最近、ちょつとした異変がおきた。1レーンしかない狭いウォーキングコースへ50代の中年女性グループが現れ、反動をつけながら大股で水を蹴りながらスピードをつけて列になって歩きはじめた。ロープにつかまりながらゆっくり歩いていた高齢者たちを押しのけるようにして追い越してゆく。彼女が歩いた後は水流の渦ができて、老人たちはよろめく。
 中年女性グループの先頭を歩くリーダーは、追い越しの際にも会釈もせず、まさに「そこ除け」といわんばかりの勢いに高齢者たちは逃げるようにロープやプールサイドに避難する。穏やかだった歩行コースの雰囲気が一変し、棘々とした空気が流れた。プールサイドにいた監視員もその剣幕に押されてなにも言わない。
 水中ウォークのガイドブックには「話しながら歩くようなスピード」と書いてある。水の抵抗に逆らいながら、一歩一歩しつかり踏み出して筋肉を強くする意識をもって歩けといわれ、それを心がけてきたのに、あの中年女性グループの馬力で闊歩するやり方は傍若無人で、マナーもなにもないと腹がたった。
 知り合いのスポーツ指導者に疑問をただしたら、こんな回答がかえってきた。
      「中年女性たちの水中歩行は有酸素的、高齢者の方たちは筋力アップが目的ではないでしょうか。彼女たちは筋力をつけることよりダイエットに関心があるので反動をつけて大股に勢いよく歩くのてはないですか?。それに、中年おばさまたちはストレス発散も兼ねて楽しんでいるのではないですか?。かつて日本は反動をつけるラジオ体操がさかんでしたが、ボブアンダーソン(米国のスポーツ理論家)が最新のストレッチをひろめてからは、反動をつけるバリスティックストレッチは危険が多いということで、静かに動くストレッチの全盛期になって今に至っています。バリスティックも使い方で効果が出るので良いと思っています」
 水中歩行には、ダイエット効果のあることを忘れていた。
 そういえば、脂肪のかたまりのような中年太りの女性グループだった。足腰に故障をかかえ筋トレしか頭にない高齢者には、"闖入者"のように思えてななかった彼女たちは、ダイエットだけしか頭になく、そのためには真剣になって馬力のように歩くのに懸命で、まわりの高齢者のことなど考える余裕もないのだろうと、納得がいった。

 ただ、問題なのは彼女たちのプールマナーである。本来なら分別盛りで周囲への配慮があって然るべき年代である。「お先に」にぐらいの挨拶をし、追い越しの際には少しスピードを落とすぐらいの良識があるのが普通である。自分本位に周囲の迷惑も考えずにガムシャラに歩きまくるのは問題である。
 水中歩行ブームが高まれば、ますますこうしたマナー知らずの中年女性が増えてくるかもしれない。泳いでいても狭い往復一緒のコースでは、手足や体が触れることもある。ひところ前なら、女性のほうから「失礼しました」と折れてでたが、いまは男性が「すみません」といわないと、変な目で見られかねない。
 初心者の場合、衝突事故やトラブルを避けるため、往路と複路を別々にして2本のコースに分けるクラブがふえてきたが、プールでのマナーアップは必要である。
 とくに、ラッシュとなる歩行コースは、ゆっくりと踏みしめながら歩く高齢者と、ダイエットのため勢いをつけて元気よく歩く中年女性とは、どうしても歩くリズムやスピードが違い、追い越しが起こるのは避けられない。
 追い越しが出来るようコースの幅を広げたり、交通整理をする必要があるが、それより先に、追い越しには会釈をかわすとか、声を掛け合うマナーを確立すべきである。老人は、とかく自分たちのペースで歩ける占有コースと思いがちで、ダイエットおばさんたちにペースを乱されると腹を立てる。
 一方、少しでもダイエットをと、スピードをあげて歩く中年女性は、高齢者への気くばりと、互いに不愉快な思いをさせないというマナーを心がけてほしい。追い越しながら「お元気ですね。頑張ってください」と声をかけるぐらいの余裕があれば、老人も「どうぞ」と笑顔で譲るようになり、不快な思いをせずに水中歩行を楽しめるようになるだろう。


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4月 03, 2009

ある市立病院のパソコン騒動

 首都圏の政令都市の市立病院で先月から、診療、会計事務処理にパソコン・システムを導入した。いわゆる電子カルテへのためだが、聴診器をマウスに変えた医師の戸惑いから診察時間が大幅にのびて、診察待ちに3時間もかかる大渋滞に患者からの不満が殺到する騒ぎが続いている。
 診察、会計処理を能率化してスピードアップするパソコンシステムの導入が、裏目に出た。予約しながら、診察は3時間遅れ、
医師はパソコン画面に目を奪われて患者と向き合う余裕もない診察に、患者の不満が増大している。

 世の中はすべてパソコン化し、街の理髪店まで導入している。病院でも規模がさほど大きくない私立病院では3年前からパソコン導入に踏み切っているが、規模が大きく、予算の制約がある公立病院は、その実施が大幅に遅れた。
 医師不足から退職したOB医師を嘱託医として応援を求めるケースも多いが、これらの医師はパソコン世代ではなく、不慣れなのが混乱を招いた。メスを執ったら難手術もこなす名医とされた消化器外科の権威も、パソコンのマウスは高校生にも及ばない。患者を診る診断は、正確で患者の信頼が厚いから、診察日には門前市をなすほど大勢の患者がかけつけ、予約もままならず、それに割り込むのにも大変である。名医の令名が高く、患者が押し寄せるので、定年退職後も自分が手がけた患者を見捨てられない、と医道精神から診察している医師も少なくない。

 診察は医師と患者の心の繋がりと信頼が重要で、とくに高齢者の場合は、血液検査のデーターだけで事務的に診断したり、「お年ですから」と方付けられるのを嫌う。また、医師に訴えて話を聞いてもらうだけで満足する。主治医の一言で安心して元気になるケースも少なく、「医は仁術」という要素は根強く残っている。
 たから、遠方から駆けつけたり、評判を聞いて新しく診察に訪れる者がふえて、OB医師は辞めたくても、辞められない。心が通わない医療の貧困を物語っており、自分の経験に自信があるから、検査や薬漬けにせず、患者の取れまく環境や病歴も熟知しているから、血液検査などの数値の微妙な変化にも「心配ない」と相手にしないので、患者も安心する。

  パソコン診察の導入によって、診察が機械的、事務的になって、OB医師たちはパソコンとの対応に疲労困憊、患者との心の触れ合いをする余裕がなくなった。診察時間を短縮する目的が、逆に長引く。それも、患者との対話ではなく大半をパソコンに費やすためとなって、これでは患者に迷惑をかけるだけと、引退を決意する医師もでてきた。
 患者にとっても、
主治医は顔色をみて、「調子はどう?」と聞くのに、マウスに手をおいてカーソルを移動させて口もきかないのに不信感を抱く。前回の血液検査結果を画面にだして「少し血糖値が高いかな」というだけで、問診もしない。
 これが、新しく導入された「電子カルテ」の実態である。パソコンに不慣れのため診察よりも、カーソルを動かすほうに気持ちがいっている医師。患者と話したり、説明する名医と評判の「主治医」の顔は消えてゆく。
 聴診器は、いまは医師の「かざり」だけで滅多に使わないが、電子カルテになって、聴診器がパソコンのマウスに変わってしまったのかと、寂しくなる。電子カルテは、カルテ公開には便利で、他の病院でもパソコンで簡単にみることができる利便があるが、まだ、系列の同じ病院間でないと電子カルテは通用しない。
 「薬は二週間分にしくだい」というと、「四週間にして欲しい。入力しなおすのは大変だから・・」という。 前にもらったときに「四週間分」と入力してあり、血圧の薬など、どうせ飲むのだから構わないだろうしいわれる。
 検査結果と薬の処方箋は、その場でプリントして渡してくれた。これは、ひとつの進歩かもしれない。注射のため処置室にいったら、そこにもパソコンの端末があって看護師さんがみていた。「もう、これがあるから医療ミスはありませんよ」と、パソコン馴れしている若い看護師さんは胸を張り、不慣れな主治医とは対照的だった。
 たしかに、電子カルテのメリットは大きいが、患者と医者の会話や振れあいが少なくなって、なんでも検査の数値だよりに頼って、患者と医者の間をクールにさせて、「医は仁術」という思想がまた一段と薄くなるのが現実である。

 パソコン世代の医師たちが、自由にパソコンを活用した、診察時間を短縮して多くの患者を診るための過渡的な現象かもしれないが、それならパソコン診察によって浮いた時間を患者との対話や診断に使ってほしい。パソコンに限らず、電子機器の登場で便利にはなるが、無機質な器具の仲立ちは、とかく人間関係の暖かみを失わせて無味乾燥にさせがちである。医療現場では、心や体の悩みを抱えた人が集まるので、クールにならないよう心がけてほしいと願わずにはおられない。

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4月 01, 2009

:検察リークに振り回されるマスコミ

 西松建設マネーの東京地検特捜部の捜査態度は、「検察国家」への道を突き進む恐れがある、と元東京地検特捜部長が危惧するコメントを発表している。民主党小沢代表の秘書に対する地検の強制捜査に対して、検察首脳の一部に批判があると伝えられていたが、これほど明確に論理的な問題提起は初めてである。
 小沢代表に対する「政治と金」をめぐる金権政治批判もさることながら、検察が政治を支配する「検察ファッショ」の再来は、日本を恐怖国家に陥れるおそれがある本質的な問題として、国民はこんどの地検の手法を注視すべきである。

 小沢代表秘書にたいする地検の捜査手法に疑問をもち「特捜の体質変容を危惧する」コメントを4月1日付けの「朝日」に載せたのは、リクルート汚職事件などを指揮した元東京地検特捜部長の宗像紀夫氏で、かなり長文のものである。
 こんどの地検の強制捜査の時期、手法には、検察の伝統と歴史のなかで異例なものとして、過去の汚職摘発の歴史と対比させながら克明に批判している。
 そのなかで、とくに印象に残ったのは、小沢代表の大久保秘書を起訴したときの東京地検次席検事の新聞発表への疑問である。
 「政治資金収支報告書の虚偽記載は国民を欺いて、その政治判断をゆがめる重大悪質な事案と判断した」という地検次席検事の談話に対して、宗像氏は「わざわざ、こんな趣旨の説明は不要で、最後まで事件の進展を見ていただきたい、といえばよい」と真っ向から批判している。
 そして「なぜなら、検察の伝統的な考え方では、政治資金規正法違反は、たとえば多額のウラ金を取得していたというケースでない限り、事件の最終目的とはなりえないからです」と語っている。「第二、第三の、贈収賄や脱税などのより悪質な犯罪の摘発が控えているときのみ、政治資金規制法違反による強制捜査といった例外的な捜査手法が許される」と明言している。
 
こんどの大久保起訴は、そこまでいっていないので、地検に焦りがあり、居丈高に「悪質、悪質」と強調する次席検事談話となった。捜査に確信がある場合は、多くを語らずに淡々と起訴事実の説明だけで、感情むき出しのコメントなどしないのが通例である。「負け犬の遠吠え」にさえ聞こえる次席検事談話に、些細な取材経験の身からも不審に思っていた。まさに、宗像氏の指摘どおりである。

 さらに、こんどの地検捜査では、捜査が進展しないためか、マスコミの一部に情報をリーク(漏えいする)が異常に多い点に疑問をもった。リークというのは捜査に自信がないから、予測や虚偽の情報をもっもらしく漏らす、検察や警察の手法である。かって、ある地方の名門小学校が火事にあい、警察は火事見舞いを出す癖のある精神薄弱者を犯人に仕立てた。弁解能力のない精神薄弱者を犯人として、こっそりM紙だけにリーク、特ダネとさせた。疑問や記者の意地から警察発表のウラを徹底的に洗いなおしたら、完全な冤罪で、リークして捜査課長は免職ととなる事件を担当した経験からも、リークと特ダネは紙一重の危険性がある。
 こんどの事件でも、大久保秘書が容疑を全面的に認めたと一部のマスコミが報道、弁護士側はそれを否定して問題になった。先日の国会でNHK予算審議にかんで無所属議員から追及され、ニュースソースは明かせないとNHKは逃げるだけでニュースの真偽には確答をさけた。
 これはあきらかな、検察のリークで、マスコミが振り回された例である。その後、大久保秘書の容疑を認めたという報道は嘘のように消えて、後追いする新聞もなくなった。いまのマスコミには意地かなく、発表に頼りきりという記者が多い。
 かつては、抜かれたニュースは後追いせずに、その真偽を調べなおすのが記者の意地でもあった。だから、簡単に捜査などのリークに振り回されなかった。これはマスコミの堕落ともいえる。

 こうしたリークに関連して宗像氏は、検察とマスコミの関係にも言及している。
 「マスコミは検察と一体になっていますね。弱者の目を持たなければならないのに、強者の目で事件をみているように思える。在職中は検察に好意的な記事を読むと心地よかったが、検察の現場を離れた今、そうした記事を読むと異様な感じがします」と、率直に語っている。
 自民党の二階産業経済大臣の西松建設からのマンション提供など数千万円の便宜供用容疑が取りざたされながら「地検は強制捜査の方針を固めた」と、マスコミは報じてから10日余を過ぎても、検察は一向に動かない。
 宗像氏の言う検察の伝統的な政治資金規正法違反の捜査手法からすれば、職務権限があり、便宜供用が民主党の小沢代表よりも証拠がそろっている。それにもむかかわらず「固めた」とリークして世論の目をかわす検察の態度は不公正である。一説によると、現職閣僚は首相の同意がないと強制捜査ができない内規が検察との間にかわされいるという。
 麻生首相が、先月来、数回、書類整理と称して帝国ホテルにこもって密会しているといわれる。そして、その翌日に極まったに検察の動きがあると伝えられ、密会の相手は検察首脳と囁かれている。真偽のほとは確かめようがなく、大手マスコミは、こいした件はいっさい報道しない。
 小沢代表が辞任せず続投している裏には、検察との駆け引きがある。検察の動きを見守っているのは知る人ぞ知るで、代表の椅子にこだわっているわけではない。国民は、検察が喧伝するイメージ作戦ただけにとらわれず、検察と政府が組んだら、なんでも出来るという強権、恐怖国家への道を歩む危険が潜んでいることを見逃さないで欲しい。
 「検察はいつでも、どんな事件でもむやれるといことになったら、"検察国家"iになってしまいます」と、元特捜部長の宗像氏が、コメントを締めくくっているのは、なにを意味するのか、よく考える必要がある。


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