歳末風景から消えた洗車の列
仕事納めが終わって、年末年始の連休にはいると、住宅街では狭い道路に洗車の列ができて歳末の風物詩になっていた。それが近頃はこうした光景が姿を消し、若者の車離れと、車は単なる足代わりとしかみない風潮がひろまり、歳末風景に変化をもたらした。
かつて、車は"三種の神器"といわれる時代が続き、ステイタスシンボルとして高級車などグレードを競った。とくに、男たちの間では車好きが昂じて排気量の大きい2000cc以上の3ナンバーが流行、若者の間ではスポーツ車タイプが好まれた。
モデルチェンジが1年ごとに行われ、高級車や外車が飛ぶように売れて、自動車産業は絶頂期を迎えた。男は3人寄ると車の話で、女性たちの目には奇異に映る時代が続いた。
年の瀬が押し迫ると、住宅街の道路は洗車の列で埋まった。人には触らせず、休日になると長靴姿で丹念に車を洗ってワックスで磨きあげる。「家の掃除もろくにしないのに」と女房族を嘆かせた。
ピカピカに磨き上げた車は男たちは平日は乗り回せない。買い物、保育園通いと連日、乗り回すのは女房族だった。家の中の掃除は丹念にするが、車の掃除には手を出さない女性が多い。
アメリカの車社会を経験した友人に、その点を聞いたら「車は足代わりという考えが徹底していて男も女も洗車や掃除はあまりしない。日本には"三種の神器"という考えが根強く、男は車への執着が強すぎる」と解説してくれた。
車に関する限り、日本でも女性たちは"足"と割り切って、車への執着やステイタスなどいう考えはなく、現実的で一歩進んだ姿勢で車社会に対応しているのを知らされた。
いまは、車社会もアメリカ並みになって、グレードを競ったり、ステイタスと考える男性も少なくなり、「足」として間に合えばよいという現実的な考えが主流になってきた。アメリカとは比べものにならない狭い道を、ガソリンをばら撒くように走る高級車を乗り回すのは日本の風土にはあわない。
派手な大型のベンツを、これみよがしに走らせるのはヤクザや暴力団に多く、社旗をはためかせる新聞記者を「パッカードに乗った森の石松(侠客・清水次郎長の子分)」と揶揄した評論家がいた。バブルで俄成金になった親が息子にせがまれて派手な外車を与えて、街じゅうにターボーエンジンの轟音を響かせて、虚勢を張った姿もすっかり消えた。
そして。いま全盛なのは1300ccクラスのコンパクトカーで、軽自動車も幅をきかせている。3ナンバーは探すのに苦労するほどで車社会も、ここ5年ほどの間に大きく様変わりした。そして、運転するのは女性がダントツ、「一姫、二太郎、三ダンプ」と女性の運転を危ぶんだのは遠い昔、休日など週一運転の男性のほうが危ないと警戒されようになった。
服装に気を配ってお洒落しても、車の汚れには頓着しない女性が中心の車社会になった。道路に洗車の列ができた歳末風景がほとんど見られなくなったのも、そうした時代の反映かもしれない。コイン洗車も以前ほど混まない。スタンドで格安の洗車券を買って月に1回は洗車するようになり、車を洗いながら新しい年への夢を描くのがなくなった。「足」といえば、ピカピカに磨きあげる靴は、どことなく野暮ったく映ることもあるから不思議である。
洗車の列が描いた歳末風物詩に、ちょっぴり郷愁を感じるが、古い人間といわれそうなので口には出さない。
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