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12月 27, 2008

歳末風景から消えた洗車の列

 仕事納めが終わって、年末年始の連休にはいると、住宅街では狭い道路に洗車の列ができて歳末の風物詩になっていた。それが近頃はこうした光景が姿を消し、若者の車離れと、車は単なる足代わりとしかみない風潮がひろまり、歳末風景に変化をもたらした。
 かつて、車は"三種の神器"といわれる時代が続き、ステイタスシンボルとして高級車などグレードを競った。とくに、男たちの間では車好きが昂じて排気量の大きい2000cc以上の3ナンバーが流行、若者の間ではスポーツ車タイプが好まれた。
 モデルチェンジが1年ごとに行われ、高級車や外車が飛ぶように売れて、自動車産業は絶頂期を迎えた。男は3人寄ると車の話で、女性たちの目には奇異に映る時代が続いた。

 年の瀬が押し迫ると、住宅街の道路は洗車の列で埋まった。人には触らせず、休日になると長靴姿で丹念に車を洗ってワックスで磨きあげる。「家の掃除もろくにしないのに」と女房族を嘆かせた。
 ピカピカに磨き上げた車は男たちは平日は乗り回せない。買い物、保育園通いと連日、乗り回すのは女房族だった。家の中の掃除は丹念にするが、車の掃除には手を出さない女性が多い。
 アメリカの車社会を経験した友人に、その点を聞いたら「車は足代わりという考えが徹底していて男も女も洗車や掃除はあまりしない。日本には"三種の神器"という考えが根強く、男は車への執着が強すぎる」と解説してくれた。
 車に関する限り、日本でも女性たちは"足"と割り切って、車への執着やステイタスなどいう考えはなく、現実的で一歩進んだ姿勢で車社会に対応しているのを知らされた。

 いまは、車社会もアメリカ並みになって、グレードを競ったり、ステイタスと考える男性も少なくなり、「足」として間に合えばよいという現実的な考えが主流になってきた。アメリカとは比べものにならない狭い道を、ガソリンをばら撒くように走る高級車を乗り回すのは日本の風土にはあわない。
 派手な大型のベンツを、これみよがしに走らせるのはヤクザや暴力団に多く、社旗をはためかせる新聞記者を「パッカードに乗った森の石松(侠客・清水次郎長の子分)」と揶揄した評論家がいた。バブルで俄成金になった親が息子にせがまれて派手な外車を与えて、街じゅうにターボーエンジンの轟音を響かせて、虚勢を張った姿もすっかり消えた。
 そして。いま全盛なのは1300ccクラスのコンパクトカーで、軽自動車も幅をきかせている。3ナンバーは探すのに苦労するほどで車社会も、ここ5年ほどの間に大きく様変わりした。そして、運転するのは女性がダントツ、「一姫、二太郎、三ダンプ」と女性の運転を危ぶんだのは遠い昔、休日など週一運転の男性のほうが危ないと警戒されようになった。

 服装に気を配ってお洒落しても、車の汚れには頓着しない女性が中心の車社会になった。道路に洗車の列ができた歳末風景がほとんど見られなくなったのも、そうした時代の反映かもしれない。コイン洗車も以前ほど混まない。スタンドで格安の洗車券を買って月に1回は洗車するようになり、車を洗いながら新しい年への夢を描くのがなくなった。「足」といえば、ピカピカに磨きあげる靴は、どことなく野暮ったく映ることもあるから不思議である。
 洗車の列が描いた歳末風物詩に、ちょっぴり郷愁を感じるが、古い人間といわれそうなので口には出さない。

 

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12月 22, 2008

カレンダーは買う時代へ

 カレンダーは銀行や自動車会社など企業から貰うものと、考える慣行が長年続いたが、ことしは不況を反映してカレンダーを小型にしたり、配布をやめる企業もでてきた。
 来年になると、不況がより深刻化してカレンダー廃止に踏み切る企業がふえ、カレンダーは好きなデザインのものを買う時代になるだろう。若者の間には企業名の入ったものを敬遠、センスや部屋にマッチしたものを選ぶ傾向があり、これが一般的になりそうだ。Aki_kiku_070

 カレンダーに有名な西洋絵画を載せ、とくに現代アートをあしらった大型の豪華なのものを付くっていた自動車大手のトヨダも、ことしは日付だけの実用本位なものに一部を切り替えた。
 来年のカレンダーを発注する頃は、景気も現在ほど最悪の状態ではなく、この歳末には大型のデラックス・カレンダーを貰ったが、車の売れ行き不振から派遣社員の大量解雇に踏み切った来年は、果たして貰えるか分からない。
 銀行、証券会社など、金融企業が出すカレンダーにも豪華な絵画入りのものが多かった。ことしは一年12ヵ月を載せた特大ものは姿を消して、デザインも省いた日付だけの実用本位のものに切りえる銀行もでてきた。毎年、預金者に配っていた家計簿やカレンダーは、郵送する予算がないので取りにきて欲しいという大手銀行まで現れた。
 出入りする建築会社も全廃、シクラメンを買うと貰えた園芸センターの花のカレンダーも消えて、中小企業には全廃の傾向が目立った。かつてのオイルショックの不況時と似てきた。

 あれほどデラックスのカレンダーは、制作費用も大変だろう。不況乗り切りの経費削減に、各企業がカレンダー全廃、もしくは縮小に踏み切るのは当然かもしれない。しかし、一般にカレンダーは企業から貰うものといった考えが根付いていて、貰えないとなると侘しい思いにかられる。
 石油ショックの頃、「カレンダーなしの正月だよ」と嘆いていた老人家庭をみて、手持ちのカレンダーをやった記憶がある。銀行との取引もなく、車には乗らず自動車とは無縁の老人家庭では、近所の魚屋、八百屋から貰うカレンダーが唯一のものだった。いまは街の魚屋などは消えてスーパーだけである。
 年の瀬に、新しい年のカレンダーが手に入らないと暗い気持ちになる。景気のよいときは、企業のカレンダー攻めで、飾る場所もなく
持て余した。捨てるに捨てられずに困った。
 故郷の親戚に石材店から、毎年、大型の日めくりを送ってくる。カレンダーの時代に「ひめくり」は珍しいが、掛ける場所がない。三代も前から家風として同型の分厚い日めくりを得意先や親戚に配り続けており、孫の代になっても変えられないという。
 貰ってもらった知人も故人となって、貰い先がないまま眠っている。世間との関わりがうすると、カレンダーなしの侘しい暮らしとなって、老人世帯にはこうした暗い影が広まるだろう。

 貰う時代から、買う時代になった、と頭を切り替えて、自分の好みにあったカレンダーを買う習慣を身につける必要がある。絵ひとつない部屋の装飾としてカレンダーの果たす役割は無視できない。
 日付だけの予定を書き込むだけの実用的のものだけでは味気ない。花や山の写真、外国の美しい風景をデザインしたカレンダーは、暗い不況の時代だからこそ欠かせない。
 自分で買うとなれば、選択に神経を使い、また愛情も湧いてくる。来年はどんなデザインのものにしょうかという楽しみも出てくる。貰うよりも、買うほうがリッチな感じになる。
 年の瀬に、新しいカレンダーをみて、そんな感慨が浮かんだ。

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12月 19, 2008

「風のガーデン」の最終回を観て

 フジテレビ開局記念の連続ドラマ『風のドラマ』(倉本聰)は、2ヵ月余にわたり第11回の最終回で幕になった。毎回、15㌫を越える高視聴率を維持し続け、多くの感動と涙を誘った。
 季節の草花が咲き乱れる富良野の美しい花園を舞台に展開され、主役の中井貴一をはじめ緒方拳などの好演が盛り立てる中で、家族、親子とはなにか、死への対処という根源的なテーマを、美しく、明るく描いてみせる、奥深く、内容の濃いドラマだった。

 最終回を観終わったあと、「人が最後に帰る場所を描くドラマ」という作者・倉本聰の言葉が浮かんだ。「死」という重いテーマを美しい花々の富良野の風景に忘れ、親子の愛情に涙し、さまざまな人間模様に目を奪われていた。
 膵臓を犯され余命半年の末期がんとは思えぬ中井貴一、病を偽って富良野の森においたキャンピングカーで寝起きしながら、自分で麻酔薬の延命処置をして、会うことも許されない子どもたちの動静をうかがう。知的障害のある息子とは、親と名乗れぬまま触れ合って、花々の名前や花言葉を教わる。息子は「ガブリエル天使」と呼んで中井を慕って、来年咲く花の球根を二人で森に植える。花が咲く頃には父親はこの世にいないと知らずに球根を懸命に植える息子の姿に、思わず胸が熱くなった。

 中井は、がん治療の最先端をゆく麻酔医の権威として、中央医学界でも知られていた。家族を富良野に残して東京の大病院に勤務、中年の働き盛りで人気があり、華麗な女性関係が家族にもれて、妻はそれを苦に二人の子を残して自殺した。父親の緒方は、札幌では有名な外科医だったが、富良野で訪問医として、残された孫と暮らしていた。そして、親としてケジメをつけるため、中井を勘当して出入りを禁止、ここ7年近く音信が途絶えていた。
 自分も末期がんに侵されたのを知った中井は、家族がいる富良野を死に場所にしようと、キャンピングカーに延命装置を付けて、家族には隠れて森でのキャンピングカー暮らしをはじめた。

 知的に障害があり、ガーデン作りを手伝っている息子と巡り会い、親と名乗れぬまま触れ合いを深めているうちに、娘にも知られる。英国へ留学、ガーデンづくりを勉強、祖母と母が残したガーデンを引き継いだ娘は、勘当された父親である中井に気付いたが、祖父の緒方の手前もあり、キャンピングカーに近寄るのをためらっていた。
 許されざる父親とは知りながらも、親子の血が二人を結びつけ、ときおり森で会うようになった。孫の気配から、緒方は勘当した中井が富良野の森でキャンプ暮らしているのを察知、こっそり車に近寄る。なかに入って、診療施設並みの設備が整い、薬から中井が末期がんに侵されていることを知って驚く。
 孫娘には、その事実を告げて、余命、半年と迫った中井を家庭に迎えてやることにした。父親の責任としてケジメを付けるため勘当、結果的には孫たちの親子の絆を絶ったことを詫びて、中井と7年ぶりに対面、無言のうちに許しあう。キャンピングカーから引き上げて、自宅に帰るようにすすめたが、中井はもう暫くキャンプ暮らしを続けたいという。淡々と語り合い、互いに医者らしく振舞う親子対面のシーンは、緒方と中井の呼吸があった演技に泣かされた。

 中井がキャンプ暮らしに拘った裏には、彼をガブリエルとよんで慕う息子への交流を続けたいという理由があった。知能に欠陥のある息子に父親と名乗れば、彼の弱い頭は理解を越えて混乱し収拾がつかなくなる。息子は父親は死んだと聞かされ、そう信じている。
 ガブリエルで通したほうがよいという親心で、緒方もそれに同意して、中井が余命も切迫して自宅へ帰るときは、孫は旭川の姉の所に預けた。自分がなぜ、ガブリエルさんと別れるのか理由が分からないと塞ぎこむ息子に中井は胸を詰まらせる。
 旭川へ発つ息子を森の木陰からみて、無言の別れを告げる。なんともいえない悲しみ、無情さに涙してしまうシーンだった。富良野の美しい風景や花々が涙を隠してしまうが、ドラマのなかでは胸に深く刻まれた悲しい場面である。

 ウエディング、ドレスの娘の介添として、ガーデンの中のバージンロードを一緒に歩くのが死ぬ前の唯一の願い、と告げられた緒方は中井の夢を叶えてやろうと奔走する。結婚相手はいないので、毎年、花の季節に密の採取にきて富良野に滞在する知り合いの業者の若者を花婿に仕立てる協力をし頼む。
 最終回に、その結婚式が実現、中井は花嫁姿の娘と組んでガーデンのバージンロードを歩いて、夢が叶えられ.る。幸せそうに笑顔で歩くが、中井は最初から自分の夢を叶えるための演出と気付いていた。そこまで気を使ってくれる家族の暖かさが嬉しかった。
 膵臓がんの進行から、自宅に帰ることを決意して、キャンピンクカーを整理、その車を花婿になってくれた青年にお礼として進呈するため車のキーを、娘から渡してもらう。
 7年ぶりに懐かしい自分の家に帰り、かつて自分が使っていた部屋で最後の闘病生活をはじめる。娘が緒方の指示にしたがって介護をするが、「これから、最後の闘いがはじまる。よく見ておきなさい」と孫娘を励まし、中井は死の床のなかで「家族の暖かさをはじめて知った」と、苦しい息遣いで途切れとぎれにもらす。

 そんなある一日、中井のかつての愛人で東京の病院で看護部長をしている女性が訪れる。「一目だけでもお会いしたい。介護をさせてください」と涙ながらに緒方に懇願するが、「家族だけで面倒をみて送ってやりたい。本人もやつれ果てた顔を見せたくないでしょうから」と、言葉を尽くして丁寧に断る。
 一家がバラバラに崩壊した原因のひとつになった女性への恨みを思わせる峻厳な口調もうかがえた。責任は自分の息子である中井にもあり、相手の女性ばかりを責められない。情においては、死の前に一目でも会わせてやりたいが、ケジメをつけなくてはと苦渋を浮かべた表情は、ベテラン俳優ならではと感じた。
 家族や親子は、なにかの拍子に傷ついて崩れることもあるが、いざというときには、一つに纏まって固く結ばれる。ただ、それにはケジメが必要で、親子だからと情に負けては元に戻ってしまう。
 言葉を区切りながら、一言、一言、自分自身に言い聞かせるような口調で応対していた緒方の態度から、そんな風に読み取れた。

 中井は家族だけに見守られて、間もなく息を引き取り別の世界へ旅立った。享年46歳とあるだけの黒い画面が印象に残った。
 翌年、富良野は厳しい冬があけて、春を迎える。中井が息子と一緒に植えた球根からブルーの美しい花が咲いて風に揺れていた。
 息子もまたガーデンに帰ってきて、中井のキャンピングカーが置いてあった窪地を歩きながら「ガブさんは天国へ帰ってしまったのだ゛ろうか」と囁いて、あたりを見回す。花々が咲きみだれる富良野のガーデン、そのなかをカブさんと呼んだ中井の面影を求めながら走りまわる息子、それを追う娘のフィナーレは、倉本聰ならではの終幕だった。

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12月 13, 2008

暮れの庭の手入れ

 毎年、師走にはいり年の瀬が迫ると、植木屋がきて庭の手入れをする。庭といっても20坪そこそこ、猫の額ほどしかないが、庭師が様式に則って造ったものだけに、素人では手に負えない。
 いまでこそ、ガーデニング、ブームたが、40年前の和風建築時代には、ぞぞれの家が建築に見合った庭づくりをした。近年、庭のない洋風建築が主流となり、和風造園の庭師も減ってしまった。当時、一緒に和風造園をした近所の人たちが組になって、植木屋に依頼して暮れの庭の手入れをする。歳末に欠かせぬ行事で、これが済むと新年が迎えられると気持ちが落ち着く。Aki_kiku_048

 庭師といわれた人たちは、ほとんど老齢化から引退。造園業者は大きな庭園を扱うが、猫の額のような個人の庭は手がけない。定年退職者が趣味を兼ねて始めた高齢者事業団にも頼んだが、基本的な造園技術のセオリーを身につけていないから、手入れが気にいらない。むしろ脱サラで、40年代に転向、造園学校で勉強した人のほうが安心できる。
 またまた、造園農家の紹介で知った脱サラの植木屋に依頼してから5年経った。近所も一緒に頼むので日程調整も大変だが、昔の庭師と違って、横から口を出しても気軽に聞いて貰える。実生で生えた千両の赤い実があると、かつての庭師は「山木で庭の風情の邪魔」と、有無もいわずに引き抜くが、脱サラの植木屋は「残して欲しい」という気持ちが通ずる。
 わずか20坪そこそこの狭い庭に、「起承転結」もないと思うが、庭師は門の近くに植えた大きな百日紅が「起」で、座敷からみえる横這いの松が「承」の部分に当たるも見せ場と喧しい。そして最後は紅白の斑入りの山茶花を「結」として締め括り、庭に大小の石を数個据えて、庭の外周は石を並べて、庭を舟の形にしたのが自慢だった。縁側に腰を下ろして一服しながら、樹の配置や枝ぶりを眺めては楽しんで仕事をしているのである。

 暮れの手入れにくると、赤い花をつけたばかりの寒椿の枝を惜しみなく切り落とす。見ていて思わず「あっ」と声をあげた。そんなことが続いたら「旦那のいない日に剪定する。いちいち声をあげられたら仕事にならない」とぼやかれた。
 樹のためには中の枝を透いて風通しをよくしないと駄目になる。寒椿なども花が群れていては風情をこわす。一枝に一、二輪残してこそ花も引き立つのである、と講釈をされた。かと思うと、百日紅は、他所では小枝を根元から剪定、瘤状にしておくが、「あれは素人だ」といい、枯れた細い枝を2、3本残しておく。樹の皮が剥けてツルツルの幹になって猿も登れないところからサルスベリと名付けられた。そん殺風景な樹だからこそ、瘤状の先にか細い枝を残してこそ冬の風情があるのだといわれると、なるほど思う。

 いまの植木屋にはそうした美意識や哲学がない。それに、剪定道具の機械化で、一枝、一枝、残すべきか斬るべきか吟味しながら手鋏で切り落とすのでなく、電気鋸で外見だけ整えて音を立てながら剪定する。たしかに能率はよいが、来年の芽も一緒に刈り取られてしまう。さして、来るたびに電気鋸の性能がよくなっている。
 これでは、樹の中透きはできる筈がなく、またそうした技術も持ち合わせていない。うっかり大切な枝を斬ってはと迷い、外見だけ整えておくほうが無難である。
 かつて庭師がきた頃は、剪定したあとは道ゆく人の姿が見えるほど中透きをするので、不満だったが、いまは物足りない。その話を植木屋にしたら、私たちの年季では無理、下手に切ると叱られるという。和風の庭でも、植える樹には流行があり、かつては高価だった槙の樹は姿を消し、松も手入れが大変と敬遠されるという。

 綺麗に散髪したような傘を幾重にもつけた柘植をみると、新しい年へ装いを感じる。その脇で千両が赤い実をつけ、万両も葉の下に紅色の実を垂らしているのをみると歳末を感じる。
 庭の蜜柑を食べにヒヨドリや四十雀がやってきて、庭は賑やかになった。ことしは例年より暖かく、冬の日を浴びながら庭を眺めていると、師走の忙しさから一刻のがれる。

 

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12月 10, 2008

麻生政権・割れ鍋にとじ蓋

 麻生内閣の支持率は、各新聞の世論調査で軒並みに20㌫台に急転落、党内では批判グループが次々に台頭、「末期症状」「がけ淵」とされているが、倒閣や総辞職、解散の声はあがらない。
 内閣支持率が危険水域を越え民意が離れれば、当然、政権交代するのが民主政治の常道である。とくに、今回の場合、支持率が底を付いたうえに、首相には小沢民主代表が麻生氏よりよいと、はじめての要望がでた。それでも、自民党は国民の要求に頬被りして解散・総選挙を先送りしようとしている。
 これは、あきらかに自民党流のアベコベ民主主義である。支持率が下がれば、総選挙には勝てない、民主主義のルールよりも政権に恋々とする党内利益が優先する日本独特の政道である。
 安部首相が投出し辞任したときは、福田氏という交代候補がいて、世論とは逆支持で福田総裁に雪崩れ込んだ。その福田氏が1年持たずに、これまた投出すと、国民の総選挙要望を無視して、こんどは麻生氏にま雪崩こんだ。それから2ヵ月も持たずに、麻生首相は安部、福田両首相以下の不支持へと急落した。

 もうこなると、替え玉はいない。アベコベ民主主義を半世紀近くも許してきたマスコミもいまさら「倒閣」の厳しい論陣ははれない。自民党は、そんなにも人材に枯渇しているとは思えないが、民主党の優勢で勝てる見込みの薄い総選挙には貧乏くじは引きたくないと、表にはたたず「党内の結束」を口にして表面を繕うだけである。
 俗に、『割れ鍋にとじ蓋』という言葉がある。本来は割れ鍋にも適当に似つかう蓋があるところから似た者夫婦を譬えたが、最近は、「ひび割れを修繕した鍋に、無理やり修繕した蓋を入れようとすると、鍋も蓋もバラバラに壊れて、どちらも使い物にならなくなってしまう」という解釈も出てきた。いまの麻生政権と自民党はまさにその『割れ鍋』で、傷者は傷者どうし、仲良くやりましょうと、必要以上に詮索しあわないで、表面上そっとうまく付き合うことによって、お互いに壊れずに、政局を乗り切りろうとしているしか思えない。

 支持率の急低下以来、にわかに活気づいてきた反麻生や批判グループの中堅・若手も勇ましい声はあげるが、最後には決まったように「倒閣ではありません」と付け加える。
 「とじ蓋」はも「閉じ蓋」ではなく「綴じ蓋」が正解と、どの事典にも載っている。中堅・若手や反麻生グループも、麻生政権に幕をひく「閉じ蓋」ではなく、適当に世論にたいして体面をつくろう「綴じ蓋」でしかなく、諺どうりの意味しかない。
 世論支持がノーと出たら、潔く身を引いて別の政権にバトンタッチする本来の民主主義は、日本では育たないのだろうか。多数決の数の論理だけを教える民主主義は、半世紀にわたって政治を独占してきた自民党の罪悪である。
 失業が続出する未曾有の雇用情勢に対して、国民に見捨てられてから急に政策の柱に雇用対策を据えるという麻生首相の感度の悪さ。すでに自民党は泥舟どころか、完全な割れ鍋になっていて飯も炊けなくなる。綴じ蓋などは役に立たないのが現状である。
 雇用対策などのご馳走を入れても、鍋では煮ることはできなくなっていたる。一日も早く、新しい鍋に買い替えないと日本はダメになってしまう。

 

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