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2月 26, 2009

麻生流の外国への逃亡外交に異議

 日本の歴代首相には、国内支持が下がって政権維持が危なくなると、外国との首脳会談を策して「外国へ逃げる」悪習がある、近くは安部、福田両首相が記憶に新しいが、いずれも不発に終わっている。いまの麻生首相はその最たるもので、国内支持は底知らずの下落を無視、7月にG8サミット、中韓首脳会談を策定して解散封じを狙っている。
 政権維持が不透明で先行き知らずの首相は、延命のため外国首脳との会談を持ち掛けろのは、各国にとってはいい迷惑、失礼でもある。それを恥じずに無理押しする麻生首相に対して「外国ににげる政権ドロボウ」と陰口をたかれてもやむを得ない。

 オバマ大統領との会談を終えて帰国、羽田空港で専用機のタラップを降りる麻生首相は満面に笑みを浮かべて晴れやかな表情だった。国内では各メディアの世論調査による支持率が10%を割る退陣ゾーンに入り、記者会見や国会答弁では苦渋にみてた冴えない表情から、神経衰弱説まで囁かれてる。それとは別人の顔に驚いた。
 「外交は自分の得意とするところ」と、帰国後の会見で胸をはり、麻生節もとびだしそうだった。とろが、オバマ大統領をはじめ米国首脳の会談後のコメントは全然違った。「麻生首相と会談するのが目的では、日米パーナーシップの日本という国家に礼を尽くすため、各国に先駆けて最初に会談した」と、公然と会談と語る。
 会食はおろか昼食もなしで、たった1時間余で終わる冷遇さ。1万1千㌔もはるばる飛んできて、この有様である。明日をも知らぬ麻生政権の基盤の弱さは、米国は百も承知ですべてが織り込みずみで、政権延命に手を貸そうとする気持ちなど毛頭なかった。
 各外国メディアの麻生・オバマ会談にはきわめて冷淡で儀礼的としか受取っていない。
 中国の新華社系の新聞は「麻生首相の訪米は冷遇された」と伝え、英国の主要メディアは一行もふれていない。ロシアイル。タス通信は「日本側から必死の要請で首脳会談のトップに掲げたものの、麻生政権は長くは持たず、親密ふりを示すのは不摘出と判断した」と報じてたと伝えられている。

 日本でも国民の大半は、そうした内幕は予測している。景気対策など国会では野党追及に渋い顔をして、外国へゆくと「外交は得意」と胸をはり、同行記者団にも大見得をきる麻生首相は、やはり首相としての資質と品格に欠けるといわざるを得ない。
 専用機に多くの同行者と乗り組み、記者団を同行しての大名旅行には、多くの税的が費やされる。政権維持のため、国会議員任期を終わる寸前まで、目白押しに外国訪問日程を組まれては、税金の無駄もかなりのり額に達する。
 外国首脳も、すぐ辞める首相と展望を語ったり、約束をかわすのはナンセンスであり、ときには迷惑でもあるだろう。「弱い首相に軽い外交」と「朝日」は主説を掲げたが、外交のことよりも、景気対策など国内政治に全力を投入して、国民のために締めくくりをして欲しい。
自民党も、解散封じには好都合と、麻生首相の外国への"逃亡外交"を利用せすに、堂々としてほしい。諸外国に迷惑をかけることも許すべきではない。

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2月 24, 2009

パソコン業界の驕り体質

 パソコンを買い換えて新機種にしたが、操作に戸惑うことが多い。モデルチェンジで時代の流れに即応した新機能を搭載するのは当たり前、操作の手順や表示マークが変わるのはやむを得ないが、メーカーのユーザーへの対応に問題があるのを痛感させられた。
 愛用していたWindows XPが原因不明の故障で修理のメドが立たず、6年ぶりに新機種のVistaに乗り換えた。使い慣れたXPにしたかったが、新品はVistaしかないといわれ止むを得ず買い換えたので、操作や表示の違いは覚悟していた。
 メーカーもF社からN社に変えた。従来どうりF社製品をえらびたかったが、量販店の在庫の関係からN社にした。業界の販売シェアーでは国内で首位を競う製品なので問題はないと思っていた。メーカー各社には、それぞれの方針があって画一にはゆかないのは承知しているが、ユーザーへの対応の不親切さと横暴さは二大メーカーに共通していた。
 パソコン買い替えの顛末を書いたブログに、「パソコン業界には横暴な体質がある」と読者からコメントがあった。機種が変われば慣れるまで多少の不都合はつきもの、慣れて使いこなすしかないと、コメントを軽くみていたが、使い進むにつれ「横暴」というコメントに共鳴させられることが多くなり、Vistaの良さにと憑かれていたのが一変して憂鬱とやり場のない憤りになった。表だって口にはしないが、同じように感じる愛好者も少なくないだろう。

 パソコンはユーザー、使う人の目的意識によって重点をおく機能も違う。人が使うから自分もといった軽い気持ちだけでは使いこなせない多くの機能を搭載した機種が登場、パソコンの魅力がふえる一方では、それ就いて行けずにに諦めてパソコン離れの現象も起きる。
 メールで交流の場を広げ、インターネット検索で知識をふやし生活の便利さやデジカメの写真取り込み、ときにはCDやDVDで音楽、映画を楽しむなど生活を豊かにするのに欠かせない道具になった。一方では商品売買から税金申告まで日常生活でもパソコンなしでは暮らせない時代が到来しつつある。価格も買いやすいリーズナブルなものが出回った。
 私の場合は、ブログのほかに文章を書くことを目的としてパソコンを使う。そのためワードの機能を重点にどう使いこなすか腐心している。前にも書いたが、一般のユーザーはメールを書いたり、ブログを書く人がふえて、決められた枠内に手軽に書けるから、ワードを使わなくても済むようになり、かつてのようにワードはパソコンのメインでなくなって後退した。
 それはやむを得ないとしても、ワードの重要性は変わらない。まだまだ日本では「横書き」に馴染めない分野の文章がある。小説などおおそれたものでなくても、エッセーなど横書きでは雰囲気がでない。新聞が一向に横書きになる気配がなく、相変わらず「縦書き」の伝統から抜け出そうとしない。技術革新の時代で、横書き新聞への転換は可能でその分野での研究も進んでいるが、各新聞とも縦書き方式を守っている。伝統というよりも、読者の目への馴染みと、縦書きのもつ雰囲気がそうさせているのだろう。

  ワード機能は、XPとVistaでは各種の操作を示す表示マークが違う。メイン機能から後退したのだからと割り切っても、必要な操作は見落とせない。一般の人にはほとんど関係のない文章の「横書きから縦書きへの変換」は、ものを書く人には欠かせない。XPでは簡単にみつかったが、N社のVistaではなかなか見つからない。不慣れということもあり、マニュアルを読んだり、パソコン内蔵のガイドをみてもダメ。仕方なく、N社が誇る「コンタクトセンター」の登録番号を取得して電話コール、問い合わせの殺到で40分後にやっと繋がった。それも自動音声による指示で、なんどかプッシュを繰り返しで、その間、電話は繋ぎ放しにして順番を待つての結果、やっと獲得したチャンスである。
 オペレーターに接しホットして「ワードの縦書き転換について聞きたい」と告げた。内容の問い合わせもなく「ワードは私の会社とは関係がない、マイクロソフト社に直接電話してください」とにべもなく断られた。「特別にややっこしいことでなく、縦書きへ転換の所在を示す記号とマークを知りたいだけです」と食い下がっても、「マイクロソフト社へ」を繰り返すだけで相手にしない。その女性オペレーターだって、縦書き転換は使ったことがあるだろう。目の前にもパソコンを開いているのだろうから、ちょつと覗いてこの記号をクリックすればぐらいは答えられる筈である。ユーザーは縋るような気持ちで聞いているのである。
 それを頭から無視して、「当社では分かりません」を繰り返す。「N社である貴女の会社が責任をもってマイクロソフトのワードをPCに搭載したのでしょう。売りつけた商品としてもキチンと説明する責任がある。それを無視するのは企業倫理にも反する」と懇願するように訴えても、不毛な押し問答に終わるだけの空しい思いをさせられた。

 N社のパソコンを使っている友人が、4、5年前操作をめぐって同社ともめ、その都度「マイクロソフト社に問い合わせ欲しいといわれ、マイクロソフト社は満足に答えずにトラブルとなっていた。当時、なぜマイクロソフト社と話し合うのか疑問に思っていた。N社のPCを使ってはじめてその理由がわかった。応対した女性オペレターの個人的な問題ではなく、あきらかにN社の体質である。これはF社も似ており、ユウーザーからの操作質問は件数が限られ、それを越すと有料になっている。N社の場合、登録して購入から一年は問い合わせは無料だが、2年目から有料、それも3分間325円という法外な料金である。パソコンを操作しながら質問して指導を受けていれば10分ぐらいすぐ過ぎてしまい、一回の質問に1000円の料金が掛ってしまう。こんな横暴ともいえるユウザー対応を平然としている、業界がほかにあるだろうか疑問である。
 車の場合、オーディオやナビゲーターの故障に対して、その都度、オーディオメーカーに直接問い合わせろと販売店はいわない。N社のように自社製品にМ社のワード機能を搭載しながら、それ自体の操作に関する質問はМ社に直接して欲しいという商法が罷り通っているのは不思議で、国や県の消費者センターで問題にすべきである。
 モデルチェンジすると、それまでのタイプの機種は廃番になって旧製品は中古でしか手に入らないのもパソコン業界の特徴である。車も同じ傾向だが、修理のための部品は10年保存が法的に義務付けられている。車とパソコンは価格が桁違いだが、その辺のところがどうなっているのかはっきりしない。
 これからは、IT時代でパソコンは生活必需品となる時代である。通商産業省など政府もパソコン業界の驕り体質を野放しにせず、メスを入れて改善をうながす責任がある。システムが複雑で理解できない中高年のノンパソコン世代は、理由も分からずに泣き寝入りさせられている現状を国はしっかり掴んで欲しい。

 多機能の新機種が登場するのは歓迎するが、操作ボタンはパソコン用語で英語やローマ字で日本語表記は避け、それも最近はマークも記号化されて操作を示す日本語の説明は、記号ボタンに隠くされる傾向が強い。ソニーが高齢者にもとラジカセの操作に日本語を使った機種を出したが、いまはそれも消えてしまった。
 この業界には、日本語表記はダサイという意識が強いのだろうか。理解しにくい記号マークやローマ字表記をユウザーに押し付けて平然としている。これも、パソコン業界の独りよがりの横暴体質の現れとみられても仕方ない。
 ケイタイの機能がふえてメール画面が広くなり、インターネットの検索もできるようになって、映画や音楽も楽しめる時代になった。操作はパソコンより簡単で分かりやすい、値段もケタ違いに安く、接続、通話料金も大差なくなると、みなケイタイに走る。
 パソコンメーカーも、安閑とはしておれない時代がくる。横暴で驕り体質から早く脱却する意識改革をして、ユウザー本位に考え直して欲しい。

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2月 20, 2009

「ありふれた奇跡」大詰めへ

 フジテレビの連続ドラマ『ありふれた奇跡』(山田太一)は、七話を終えて大詰めを迎えた。視聴率も10%台が続いて、山田ドラマとしてはイマイチだが、最終回が近づいて家族の在り方を問う山田イズムの本領がみえはじめ、その結末が注目される。
 もともとは「大人のドラマ」で、回を追うごとに興味で引きこんでゆくストリーではないが、山田作品にしては珍しくテンポが遅く、歯切れのよい明快さがみられなかった。なにを訴えようとしているのか掴みにくい場面もいくつかあり、山田ファンの範囲内にとどまって、視聴率が尻上がりに伸びていった倉本聡の「風のガーデン」との相違を感じさせられた。
 19日放映の七話も、視聴率は10・4%と盛り上がりは見られなかったが、ドラマは核心に近づき山田ならではの場面がいくつかあった。中城加奈(仲間由起恵)と田崎翔太(加瀬亮)の恋を核に物語は展開するが、それに絡む双方の家族環境、そのほかの人間模様が加味されて内容が厚みを増してきた。
 その中で、「自分の家族に限っては問題はない」という中流階級の思いあがり、その家族観を暴いて問題を投げかけ、男やもめ同士で一見恵まれないと見られがちな下町の家族の暖かさを対比させるかのように描いた場面は、山田ドラマの本領とみた。

 加奈には、過去の過ちから中絶して子どもが産めない身体になった暗い傷があり、それを恋人の将太に告白、結婚を諦めさせようとするが、翔太の加奈への想いは強まるばかり。加奈の傷を隠して「子どもは要らない」と、翔太が発言したことから、双方の家庭は絶縁状態になる。これが六話までの展開で、破局を思わせた。
 七話では、加奈への想いを断ち切れずに翔太は、独断で加奈の留守を狙って中城家を訪れる。「子どもは要らない」といったのは本意でなく誤りだったと詫びをいれて祖母(八千草薫)に、取り成しを頼もうとするが面会を拒否される。翔太の執拗な粘りにまけて八千草は家の中へ入れるが、在宅していた加奈の父親(岸部一徳)に罵倒される。
 そのうえ、翔太がセールスで業績がノルマに達せず自分の金を注ぎ込んで失敗、絶望の果て自殺をはかり救急車で搬送された過去を暴いて家族を驚かせる。「子どもは欲しくない」と、重大なことを思いつきで口にし、それを簡単に訂正するようないい加減な男に娘はやれないと怒鳴って翔太を追い返す。
 気色ばむ岸部の罵倒ぶりに、八千草も驚き制止しよとするが「下町のしがない左官屋の馬鹿息子に大切な娘はやれない」という意識も手伝ってエスカレートするばかり。翔太は「申し訳ない」とひたすら頭を下げるだけで耐え続けていた。加奈の秘密は口が裂けても言えないと我慢、それも限界になって中城家を飛び出して電柱にもたれて涙を流す。
ドラマのスタート当初から、何事にもはっきりしない頼りげのないグズ男とみられていた翔太が、今回は打たれても罵られても屈せず、加奈への想いを貫こうとする粘り腰をみせて頼もしくなった。翔太を演ずる加瀬亮の起用は成功、逆に加奈の仲間由起恵が霞んでしまった。女性に人気のある加瀬を起用した山田太一の狙いは的中した。

 中城家は、妻の不倫騒動などから一家バラバラになっていて、一家揃って食卓を囲むこともできないのに、娘の加奈の暗い過去も知らずに翔太を悪者扱いにして見下して罵倒する岸部こそ哀れな存在である。「うちの娘に限って」と尊大な態度で見下すのは身びいきもいい加減にしろ、と言いたくなった。とかく、いまの上中流階級の家庭には、虚飾がみちていて数々の事件や問題を起こす典型のように映つた。山田太一は、そうした点を描いて問題提起をしたかったのだろうと見るのは深読み過ぎるだろうか。
 女装趣味に凝ったり、ダメ男を演ずるキャラクターの岸部一徳が模範的な父親ぶって、自分では正論のつもりて意見したり怒鳴るのをみると、滑稽である。山田はそれを計算して演技させたのだろう。こうした問題提起のシーンは、このドラマの本質にかかわる見せ場とみたが、視聴者はどんな風に感じたろうか。

 加奈の祖母を演ずる八千草薫と、翔太の祖父役の井川比佐志が街の喫茶店で出会って解決策を話し合うシーンは、ヴェテラン俳優同士の好演ぶりが印象に残った。井川は孫の翔太をかばい、過去には自殺未遂など問題があったが、いまは立派に立ち直って、あと1年すれば1級技能士の資格もとれて、左官といえども年収1000万円の収入は固いと力説。「欠陥のない人間など世の中にはいませんよ。いたとしたら片輪者です」という台詞がよい。
 八千草も、翔太をよい若者と惚れているが、「子どもは要らない」といった言葉にこだわって加奈との結婚はなしにして欲しいと、井川に頭を下げる。二人の穏やかなやり取りがよい雰囲気で、なんとなく加奈と翔太の将来に希望を匂わせていた。
 翔太の田崎家は、3人暮らしの男所帯。翔太が留守だと食事を作る者がいない。井川がコロッケだけで炬燵で独酌をしているところへ父親役の風間杜夫がコンビニの弁当をぶらさげて勤め先の水道局から帰ってくる。「コロッケに酒だけでは栄養が足りないよ」と言いながら炬燵に入って弁当を広げるが、父親の井川には分けてやらない。そこへ翔太が外で夕食を済ませて帰ってくる。3人で炬燵を囲みなから団欒がはじまる。
 人情の厚い下町にある暖かい雰囲気で、男所帯の侘しさを感じさせない。
 大手機械メーカーの部長をつとめる岸部の中城家の冷え切った雰囲気とは対照的である。左官屋風情がと翔太を見下した岸部の家族とは比べられないほど、幸福感が溢れていた。下町育ちの山田太一らしいドラマづくりを感じた。

 加奈の秘密を知っているのは翔太と、二人が偶然助けた自殺男(陣内孝則)だけ。陣内が自殺を企てたのは、出帳中に妻子を焼死させて生きる希望を失くしたからで、加奈と翔太が子どもを持てないことから破局になろうとしているのに同情、苦慮した結果、里親制度で解決できないかと独断、加奈に里親制度のパンフレットを渡して姿を消す。
 処置に困った加奈は、パンフレットを机の引き出しに隠す。部屋を掃除していて祖母の八千草がパンフレットをみつけ、翔太が「子どもは要らない」といったのは、彼が子どもができない"種"なし男ではないかと、独り合点してしまう。
 八千草は翔太と加奈が結ばれるのを諦めきれず、なんとしても一緒にしてやりたいと執心するあまり、"種"なし男"説を家じゅうに振りまいて、またひと騒動になる。
 ここで七話は幕になるが、次回は加奈は父親の岸部が翔太を一方的に罵倒したり、祖母が、"種"なし男"説を家族にふれ回り、翔太たけが悪者にされているのを知る。自分の過去の傷を隠すことであらぬ誤解を与え、迷惑をかけているのに悩んだ末、家族に自分の秘密を告白することに踏み切り、それを聞いた八千草がショックで倒れる。そのシーンが予告されていた。大詰めを迎えて、ドラマから目を離せなくなった。

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2月 18, 2009

新しいパソコン始末記

 愛用のパソコンが突然、故障をおこして修理よりも新調をといわれ新機種に買い替えた。Windows  XpからVistaへ代り勝手の違いに戸惑っているが、パソコンの機能が「書く」ことから後退して、「検索」「メール」が強化されたほか「CDやDVDの視聴」を加えて、時代のニーズに応えるための様変わりとみて新機種に慣れるように努めている。

 パソコンを始めたのは6年前、Windows  Xpの全盛時代だった。その前の10年間はもっぱらワープロ、エッセーや旅行記、自伝を書くため3台をつぶすほど酷使した。ものを書くのには、慣れたワープロで充分、多くの機能がついているパソコンは不要と考えていた。関心もなく振り向きもしなかったが、ワープロは生産中止、インクリボンなどの入手が困難になり、やむなくパソコンに転向した。
 そんな経緯もあって、パソコンはワードが最重点、文字やページ設定など、ワープロにはない多くの機能があるのを知って、「書くこと」では数段優れていることを知った。同時にインターネットによる情報検索の威力、メールの利便さにパソコンに取り付かれた。さらに、3年前からブログをはじめ数本のブログたけで86000件のアクセスに、自費出版の本を書くより多くの読者の目にふれることが分かってパソコンの虜になってしまった。

 F社のノートパソコン、持ち運べるようワイヤレス、ADSLにした。機械には弱いから設定は業者に任せた。故障らしいものはなく、昨年、落雷被害にあってワイヤレス関係の修理をしただけ、毎日、パソコンなしでは暮らせない日々に、突然のこんどの故障にあわてた。
 プロバイダーとの接続は異常がないのに、インターネットではページが表示されない。メールの送受信もダメ。それ以外のパソコン内の機能は正常、業者の診断で無線機能にも異常はなく、「注射で治ると思ったら、入院してリカバリー」とパソコンを持ち帰った。
 入院は約1週間、パソコンの中身を全部だして空にするリカバリーを実施、そのあとスキュリティを入れればOKという診断だった。パソコンなしの生活は憂鬱で生活のリズムが狂って一日を持て余しながら、修理が終わるのを待った。
 ところか、翌日、業者から深夜に連絡があり、リカバリーをしたが、完全には元の状態にもどりそうもない、さらに大がかりな修理となると費用と日数が嵩むので、新品に買い替えたほうが経済的のうえ確実でもあるということだった。
 予想もしなかった新しいパソコン探し。運よくパソコン新機種のセールガはじまり、電気製品の量販店では台数限定の値引き販売をしていた。本体価格から3万円安い9万円が相場で、曜日ごとにメーカーが違い、台数が5台と限定されているため朝の開店前から行列ができる。目指したF社製品は手にはいらず、N社のものを入手できた。

 ところが、Windows  Xpはどのメーカーも製造せず、店頭にあるのはVistaばかり。XPは廃番となったと知らされて驚いた。HPの掲示板で、新機種のVistaは使い勝手が悪く困っているという記述が多く、不安だったが、無いものは仕方がないと決断せざるを得なかった。
 マニュアルと首っ引きで操作を勉強したが、表示の用語がちがうし、プリンターやスキャナなどの周辺機器の大半はXP対応製品で、新機種のVistaには使えないものかある。
 プリンターやスキャナを買い換えれば、値引き分を越してしまう。日本のメーカーは車をはじめとしてモデルチェンジが好きで、毎年のように新モデルを発表、古い機種は廃番にする。
さすが精密な電子機器のパソコンは、車のように簡単にはゆかず、XPからVistaへは10年かかったというが、ひところはガイドブックをはじめXPの全盛だったことを思うと、新機種にするのはよいが、旧機種もヨーロッパのように残して欲しいと痛感した。
 たしかにVistaは、液晶版の画面が大きく、輝いて透明感があり、機能も増えていて魅力はあるが、まず最初に戸惑ったのは、Wマークのワードのアイコンが全然ないことだった。かつてはパソコンスクールでは、文字入力に多くの時間を割き、XPはじめどの機種でもWマークのワードのアイコンが各表示の王座を占めていた。それが見当たらないから、当然のように戸惑う。とくにパソコンをワープロに代わる「書く道具」として選んだものにはショックだった。

 接続業者に聞いたらN社もののは、「オフイス」というアイコンの中にワードが隠れていた。そこから文章を書くワードを呼び出した。機能そのものはXPと同じだが、内容を示す用語やマークが違う。たとえば、XPでは「ファイル」からページ設定を選んで行数、用紙のサイズ、余白など「書式様式」を設定したが、Vistaには「ファイル」がなく、「ホーム」などから設定をする二重三重の手順と手間がかかる。
 長年の習慣から脱却して、新しい手順をマスターするのは大変である。

 「ワード」を隠したことは、私のよう"もの書き"にとっては、大きな変革だが、一般の人にはさほど問題ではないかもしれない。パソコンで文章を書く場合は大半がメール、ホームページやブログを持っている人は直接、文章が書けるから、「ワード」に何かを書く必要はほとんどない。非公開の日記や原稿を書くときにはワードが必要になるが、現在は、そうした人は少なくなり、Wマークのワードがなくなっても不都合ではない。
 漢字を知らない人がふえて社会問題になっているが、ケイタイへの入力で若者は書くことから遠ざかり、パソコンで文章を練る人もなくなった。葉書や手紙の代わりにメールで電報のような簡単な文章を繋いでゆけば事足りる時代になった。
 その意味から、vistaはワードを隠したのは時代の反映と解釈するしかない。書く道具としてのパソコンの使命は終わった、それをVistaがいちはやく示した。
 次に、デジカメなどから写真を取り込んで使う「ピクチャー」は、XPでは「マイドキュメント」に包含され、その傘の下にあったが、Vistaはマイドキュメントからピクチャーを独立させて一本立ちさせた。このことに気づく人は案外すくないが、これは明らかに映像化時代への対応を物語るものである。
 DVDなどの映像を簡単に見られる機能を搭載したのはVistaでXPにはない。それから、私はまだ十分に活用していないが。インターネットをはじめいたるところで情報の「検索」機能を強化したのは、情報化時代への対応であろう。
 このように時代のニーズに対応する多機能を搭載したVistaは、使い勝手の不都合ばかりを口にして戸惑うよりも、時代の流れに沿った機種として使いこなすことの大切さを改めて教えられた。いつまでもXPにこだわっていると時代から取り残されてしまう。

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2月 07, 2009

春は帽子から

 立春が過ぎて春めく日が続くようになつた。余寒もあって、コートは脱げないが、せめて帽子ぐらいは春らしいものにしたくなって、新しいソフトハットを新調したら、気分も春めいてきた。
 帽子ひとつで、シャツ一枚分の暖かさが保てるとわれ、ことしは男性もとくに熟年から老年の間にカジュアルな帽子が流行した。とくに、前つばの長いゴルフ帽はやりで、街には老いも若きもゴルフ帽が氾濫した。ドライブやアウトドアにはよいが、盛り場を歩くのにも、改まった店へ行ったり、人と会うのには気が引けるので、季節ごとにソフトハットに愛用している。
 たまたまデパートの帽子売り場を覗いたら、生地はウールよりも薄手のニット製、つばの広さもほどほど、クラウンとよばれる帽子の天井の高さも適当、色はカーキと呼ばれる深みのあるグレーと黒の中間色のオーストリア製のソフトハットが目に入ったAki_kiku_243
 値段もセール、この手のものとしてはリーズナブルな高級ブランドに即決して、手に入れた。愛用していたウール素材の紺色のハットも気に入っていたが、ぼつぼつ季節に合わなくなてきていた。
 たかが、帽子ひとつに安いジャケットが買える金を払うのは、いささかおかしいとも言われるが、帽子マニアはまた別である。
 謡曲の稽古仲間にも帽子マニアがいる。同年輩のリタィヤ組だが、どの店にこんなブランドが入荷したとか、情報交換をする。帽子の愛用者はふえたがブランドものは売れず、買い物街から帽子店は姿を消し、大手のデパートも売り場を縮小、品揃いが極端に悪くなった。マニアには変な意地があって、人と同じものは被りたくない。
 一頃は、イタリアの本場、伝統のあるボルサリーノが流行った。アランロドロン主演の同名の映画が人気があった頃で話は古くなる。それに日本製のボルサリーノがスーパーの衣類売り場に並ぶようになて、マニアは見向きみしなくなった。わが家にもボルサリーノが幾つもあるが、いまは庭手入れの作業帽になっている。

帽子に感心を持ち始めたのは、20年前、海外旅行をはじめてからである。旅先は大半がヨーロッパで、とくに炎熱防止の必要はなかったが、当時、海外旅行のツアー参加の旅支度には帽子は欠かせなかった。カジュアルの服装だから、帽子も当然、携帯に便利で折りたたんでバッグに入るカジュアルなソフトハットということになる。
  スペイン、トルコなどシーズンによつては、強い日光を避ける帽子とサングラスは必需品で、いつかそれが当り前の習慣のようになり、旅とは関係のない日常生活にも帽子は欠かせなくなり、頭が薄くなったのを隠すためにも、手離せずにいつの間にかマニアのように、素材や形などに凝るになった。
 外国旅行は教会訪問は付き物で、教会に入るとき男性は帽子を脱ぐよう決められている。蝋燭だけの暗い聖堂で、小脇に挟んだ帽子をうっかり落とすとなかなか見つからない。
 イタリヤのミラノで、ツアーに同行した男性が観光スポットのドーモ大聖堂見学で帽子を紛失してしまった。広い聖堂、観光客で賑わっていては探す術もない。旅行のため張り込んだ高価なものらしく、同行の奥さんから小言はいわれるし、あれだけ大きな街に帽子屋がない。ミラノ近郊には、ブランドのボルサリーノ本舗があり、世界じゅうにニューモデルを輸出していのに、市内には店が一軒もない。
 旅の4日目に訪れたフィレンツの街で、ウィンドに飾ってあつた登山帽をみつけて手に入れた。安物のうえにサイズが小さく頭に載せるだけだったので交換しようとしたが、店には1点だけしかなく、残りの旅はそれで通したが、炎熱地獄のポンペイ遺跡では気の毒だった。ファッションのイタリヤで、男物の帽子が売られていないのが不思議だった。
 スイスでもまったく経験をした。アルプスの山登りがメインでなく、美術館を巡りながら町々を訪ねる旅だったが、やはりツアーの同行者が旅の途中で、ソフトハットを紛失した。イタリアと同じようにどの街にも帽子屋がなく、ようやくウインドにある登山帽を探したが、これもサイズがあわずに頭にちょこんと載せるだけ。スイスにはアルプスのチロル地方に伝わる登山用のチロルハットが有名なのに、なんとも解せない話だった。

 帽子の呼び名もややっこしい。いま愛用し新調しのもソフトハットとよばれているが、「ソフト」というと、フエルト製の中折れ帽子、かつてはサラリーマンのシンボルだった。いまは折り畳んでバッグなど入るからソフトと呼ばれ、形もカジュアルつぽく、かしこまらないラフな服装によく似合う。かつてのソフトとは印象が全然違うし、帽子屋でもあまり扱っていない。その昔、ルンペン帽とよばれた形に近い。
 「サアファリーハット」や「アルペン」と呼ばれるトラベルハットに、つばの長さやクラウンという帽子の天井の形も似ている。ひところ、つばの短い「カメラマンハット」が流行、海外の旅には持っていたが、デジカメ全盛になって、シャツターに顔を近づけてファインダーを覗く必要がなくなってから姿を消した。
 いもドライブには、つばの長いゴルフ帽を愛用、日よけがわりにしているが、いつの間にか高齢者の間にゴルフ帽まがいの帽子が流行している。目深に被ると、若くみえて年齢を隠せる、そんな利点もあるし、気持ちを若く持とうとして流行は廃れないだろ。「キャンペンハット」ともいわれるように、どこか前向きな姿勢にも見える。

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