愛用のパソコンが突然、故障をおこして修理よりも新調をといわれ新機種に買い替えた。Windows XpからVistaへ代り勝手の違いに戸惑っているが、パソコンの機能が「書く」ことから後退して、「検索」「メール」が強化されたほか「CDやDVDの視聴」を加えて、時代のニーズに応えるための様変わりとみて新機種に慣れるように努めている。
パソコンを始めたのは6年前、Windows Xpの全盛時代だった。その前の10年間はもっぱらワープロ、エッセーや旅行記、自伝を書くため3台をつぶすほど酷使した。ものを書くのには、慣れたワープロで充分、多くの機能がついているパソコンは不要と考えていた。関心もなく振り向きもしなかったが、ワープロは生産中止、インクリボンなどの入手が困難になり、やむなくパソコンに転向した。
そんな経緯もあって、パソコンはワードが最重点、文字やページ設定など、ワープロにはない多くの機能があるのを知って、「書くこと」では数段優れていることを知った。同時にインターネットによる情報検索の威力、メールの利便さにパソコンに取り付かれた。さらに、3年前からブログをはじめ数本のブログたけで86000件のアクセスに、自費出版の本を書くより多くの読者の目にふれることが分かってパソコンの虜になってしまった。
F社のノートパソコン、持ち運べるようワイヤレス、ADSLにした。機械には弱いから設定は業者に任せた。故障らしいものはなく、昨年、落雷被害にあってワイヤレス関係の修理をしただけ、毎日、パソコンなしでは暮らせない日々に、突然のこんどの故障にあわてた。
プロバイダーとの接続は異常がないのに、インターネットではページが表示されない。メールの送受信もダメ。それ以外のパソコン内の機能は正常、業者の診断で無線機能にも異常はなく、「注射で治ると思ったら、入院してリカバリー」とパソコンを持ち帰った。
入院は約1週間、パソコンの中身を全部だして空にするリカバリーを実施、そのあとスキュリティを入れればOKという診断だった。パソコンなしの生活は憂鬱で生活のリズムが狂って一日を持て余しながら、修理が終わるのを待った。
ところか、翌日、業者から深夜に連絡があり、リカバリーをしたが、完全には元の状態にもどりそうもない、さらに大がかりな修理となると費用と日数が嵩むので、新品に買い替えたほうが経済的のうえ確実でもあるということだった。
予想もしなかった新しいパソコン探し。運よくパソコン新機種のセールガはじまり、電気製品の量販店では台数限定の値引き販売をしていた。本体価格から3万円安い9万円が相場で、曜日ごとにメーカーが違い、台数が5台と限定されているため朝の開店前から行列ができる。目指したF社製品は手にはいらず、N社のものを入手できた。
ところが、Windows Xpはどのメーカーも製造せず、店頭にあるのはVistaばかり。XPは廃番となったと知らされて驚いた。HPの掲示板で、新機種のVistaは使い勝手が悪く困っているという記述が多く、不安だったが、無いものは仕方がないと決断せざるを得なかった。
マニュアルと首っ引きで操作を勉強したが、表示の用語がちがうし、プリンターやスキャナなどの周辺機器の大半はXP対応製品で、新機種のVistaには使えないものかある。
プリンターやスキャナを買い換えれば、値引き分を越してしまう。日本のメーカーは車をはじめとしてモデルチェンジが好きで、毎年のように新モデルを発表、古い機種は廃番にする。
さすが精密な電子機器のパソコンは、車のように簡単にはゆかず、XPからVistaへは10年かかったというが、ひところはガイドブックをはじめXPの全盛だったことを思うと、新機種にするのはよいが、旧機種もヨーロッパのように残して欲しいと痛感した。
たしかにVistaは、液晶版の画面が大きく、輝いて透明感があり、機能も増えていて魅力はあるが、まず最初に戸惑ったのは、Wマークのワードのアイコンが全然ないことだった。かつてはパソコンスクールでは、文字入力に多くの時間を割き、XPはじめどの機種でもWマークのワードのアイコンが各表示の王座を占めていた。それが見当たらないから、当然のように戸惑う。とくにパソコンをワープロに代わる「書く道具」として選んだものにはショックだった。
接続業者に聞いたらN社もののは、「オフイス」というアイコンの中にワードが隠れていた。そこから文章を書くワードを呼び出した。機能そのものはXPと同じだが、内容を示す用語やマークが違う。たとえば、XPでは「ファイル」からページ設定を選んで行数、用紙のサイズ、余白など「書式様式」を設定したが、Vistaには「ファイル」がなく、「ホーム」などから設定をする二重三重の手順と手間がかかる。
長年の習慣から脱却して、新しい手順をマスターするのは大変である。
「ワード」を隠したことは、私のよう"もの書き"にとっては、大きな変革だが、一般の人にはさほど問題ではないかもしれない。パソコンで文章を書く場合は大半がメール、ホームページやブログを持っている人は直接、文章が書けるから、「ワード」に何かを書く必要はほとんどない。非公開の日記や原稿を書くときにはワードが必要になるが、現在は、そうした人は少なくなり、Wマークのワードがなくなっても不都合ではない。
漢字を知らない人がふえて社会問題になっているが、ケイタイへの入力で若者は書くことから遠ざかり、パソコンで文章を練る人もなくなった。葉書や手紙の代わりにメールで電報のような簡単な文章を繋いでゆけば事足りる時代になった。
その意味から、vistaはワードを隠したのは時代の反映と解釈するしかない。書く道具としてのパソコンの使命は終わった、それをVistaがいちはやく示した。
次に、デジカメなどから写真を取り込んで使う「ピクチャー」は、XPでは「マイドキュメント」に包含され、その傘の下にあったが、Vistaはマイドキュメントからピクチャーを独立させて一本立ちさせた。このことに気づく人は案外すくないが、これは明らかに映像化時代への対応を物語るものである。
DVDなどの映像を簡単に見られる機能を搭載したのはVistaでXPにはない。それから、私はまだ十分に活用していないが。インターネットをはじめいたるところで情報の「検索」機能を強化したのは、情報化時代への対応であろう。
このように時代のニーズに対応する多機能を搭載したVistaは、使い勝手の不都合ばかりを口にして戸惑うよりも、時代の流れに沿った機種として使いこなすことの大切さを改めて教えられた。いつまでもXPにこだわっていると時代から取り残されてしまう。