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3月 31, 2009

エイプリル・フールの思い出

 毎年、4月1日になると、50年も前のその日の出来事が懐かしく思い出される。まだ駆け出し時代で、長野支局に勤務していたころの話である。
 当時、支局には6人ほどの若い記者がいて、支局長は東京本社から赴任してきたばかりで、仕事に厳しいが自由闊達な典型的な"朝日人"だった。

 春の遅い信濃路にもようやく、春の訪れを思わせる穏やかな日だった。
 「ご主人が転勤になりましたから、いらっしゃつてくれませんか」
 支局長からの電話に、支局員の奥さんたちは服装を改める余裕もなくあたふたと駆けつけた。どこへ転勤せられるのだろう、北海道かしらと異動先のことしか頭にない。支局のドアを開けるのももどかしく中に入ると、同僚の奥さんたちが顔を揃えていて「お宅も」と顔を見合わせた。

 人事異動は、本人の意向を事前に確かめるなど一切せず、本社から電話で通告してくるのが当時の習わしだった。いまにして思えば、民主的と思われる「朝日」で、きわめて封建的な制度だったが、それが厳重に守り通されてきた。事前の内示や打診はいっさいなく、それが当たり前と割り切っていた。
 
10人足らずの支局で、全員が揃って転勤ということはあり得ない。おかしいと、当然、気づくべきだし、本人でなく、その妻に伝達することはありえない。ところが、異動と聞かされただけで動顛した奥さんたちは、それを考える余裕はなかったらしい。

 「みなさん揃いましたね。きょうは、どんな日か思いだしてみてください」
 支局長は涼しい顔をして、はじめてエイプリル・フールの種明かしをした。
 亭主が異動を逃れたという安堵から、奥さんたちはどっと笑い声をあげて、殺風景で狭い支局は、一転して華やいだ雰囲気になった。
 「さあ、出掛けましよう」と、支局長はみなを誘って街へ繰り出した

 春の遅い長野にしては、よく晴れ上がり心が浮き立つような日だった。見知らぬ土地で、事件事故などに追われて亭主の帰宅時間もままならない侘しい生活をしている奥さんたち。それを慰めようと、支局長はエイプリル・フールにかこつけて一計を案じたのである。
 行きつけの喫茶店に案内して、お茶をご馳走して歓談した。
 
日頃、謹厳をもって鳴り、仕事には厳しい支局長だっただげに、奥さんたちも、そんな一面があったとは知らず、見事に騙されてしまった。

 4月1日になると、毎年、この話を思い出し「いい時代だった」と当時を述懐しては若い頃を懐かしむ。その支局長も15年前に長寿を全うして他界し、エイプリル・フールでかつがれた奥さんたちの中にも亡くなったり、ご主人を失った人もいる。
 テレビなどなかった時代で、娯楽といえば映画ぐらいしかないなかった。日頃の些細なことにもユーモアをみつけて楽しむ。そんな日々が蘇って、エイプレル・フールも、よき時代への回想として貴重におもえた。

 エイプリル・フールは、17世紀初めに西洋に根付いた風習だという。
 ヨーロッパでは、16世紀の暦法の改正までは、3月25日から4月1日までが新年とされ、春分の祭りが行なわれた。
 その最後の日には贈物をする慣習があり、品物だけでなく、ジョークなどをやりとりして互いに軽い嘘で人をかつだりして楽しんでいた。その日をエイプリル・フールデーとよび、騙された人をエイプリル・フールといったというのが定説になっている。日本では「四月馬鹿」、中国では「万愚節」ともいわれたという。

 物が豊かにになって、娯楽にも事欠かない昨今は、言葉遊びが廃れるとともにエイプリル・フールはすっかり忘れられるようになった。当時は4月1日は騙されたり、かつがれたりしないよう注意して出社した。職場には、もの好きがいて、どうして騙そうか一計をねる者がいたものだ。
 人に害を及ばさない程度の嘘はついても許されることになっていた。欧米では通信社が事件、事故の偽情報をながして、新聞社を慌てさせることもあったが、エイプリル・フールとして咎められなかった。
心にゆとりがなく、家庭や職場の人間関係にも潤いがなくなって、いつしか四月馬鹿の風習はすっかり忘れられ、そうした慣習を知らぬ世代がふええた。

 バレンタインデー、母の日、父の日にはじまってホワイトデーまで登場したのに、17世紀以来の風習が廃れるのは解せない。バレンタイン・デーなどは、チョコレートなど様々な贈物をするから、デパートなどが絡んで商魂たくましく宣伝する。
 商売にはならない、エイプリル・フールはデパートも見向きもしない。パソコンのブログで、エイプリルの傑作を募集したが、いまひとつ盛り上がらなかったという。
 一年じゅう、人を騙したり、嘘で固めている日が多く、毎日がフールデーの世の中では、四月馬鹿などといっても新鮮味がないのかもしれない。

 騙したり、騙されるのかが当り前になっているのなら、発想を180度転換して、4月1日は「軽い嘘もいけない日」と決めるのも、案外面白いかもしれない。
 こんな途方もない考えが浮ぶのも、エイプリル・フールの日だからだろうか。

 

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3月 20, 2009

『ありふれた奇跡』余韻のこして終幕

 フジテレビ開局記念ドラマ『ありふれた奇跡』(山田太一)が、19日、最終の11回放映で終幕した。最終回は予想を覆す思わぬ展開の連続に、孤独と絶望を抱えて生きてゆく男と女、その家族が不器用な交流を続けながら心を開いて希望に結ばれる山田太一らしい人間ドラマの本領をみせた。
 2ヵ月半におよんだ連続ドラマは、ともすれば起伏に欠け高揚感も乏しく、視聴率が落ちたこともあったが、最終コースに思わぬドンデン返しで巻き返した。最終回は、そのドンデン返しをまた覆し、さらに予想外の展開を次々に見せながら、ゆっくりしてテンポでほのぼのした心の暖かさを感じさせて締め括る。
 そして、ドラマの終末を感じさせに、そのまま進行するかのような錯覚を誘う余韻をのこす結末に、最終回の満塁ホームランのような興奮と感激をおぼえた。

 前回の最後に、愛を確認しあった加奈(仲間由紀恵)と翔太(加瀬亮)の前に、突然、見るらぬ若い女性があらわれて赤ん坊を預けて姿をくらます。「子どもを産めない身体」をめぐって、二人の家族の間で揉めたり、加奈が決断に迷う堂々めぐりが続いただけに、天からの預かりものと期待を抱かせた。
 最終回は、預かった赤ん坊の処置に戸惑い、二人が右往左往する場面からスタートする。
5分で戻ると言ったその女性は、20分経っても戻ってこない。加奈はトイレに女性を探しに行くが、その姿はなく、慣れないながらもミルクをあげたり、おしめを換えたりと懸命になる。
 翔太は赤ん坊のミルクを買いに走り、本屋で慌てて求めた育児本を参考にしながら世話を焼く。通りかかった熟年の女性が加奈と翔太を夫婦と思って、赤ん坊をあやしながら歳を聞いても要領がえないので不審に思われる。
 
駅ビルの警備員に見とがめられて翔太は言い訳を繰り返しながら、警察に届けようというが、加奈は「もう少しこうしていたい」と本音を漏らす。数時間が経過するが、女性は現れる気配はなく、翔太は加奈に内緒で藤本誠(陣内孝則)と警官の権藤(塩見三省)を呼んで赤ん坊の処置を、駅前広場で話し合う。
  赤ん坊は加奈になついて笑うようになる。
女性が姿を消してから2時間が経過した。そこえ、突然、女性が引き返してきて「棄てようとした」と謝り、権藤と藤本が女性を説得、赤ん坊を引き取る。加奈は情が移って別れを惜しむ。翔太はほっとするものの心が残る。この赤ちゃん騒動で二人の心は一つになり、夜更けて帰りようがなく、ホテルで一夜を明かす。
 加奈は慣れない赤ん坊の世話に疲れきって眠ってしまい、翔太はそのままにしてソファーで眠る。そのまま夜明けを迎え、朝焼けの美しい街景色をみながら、二人は赤ちゃん騒動を語りながら、加奈が「眠ってしまって・・」と翔太に詫びる。高層のホテルから、燦然と輝きはしけめた日の出の太陽を眺めながら胸を寄せ合う二人、清々しい日光の中で抱き合って愛を確かめあう。赤ん坊は母親の手に帰っていったが、二人の愛を不動なものにする。その朝焼けのシーンが素晴らしい。

 加奈は父親の朋也(岸部一徳)と母親の桂(戸田恵子)、祖母の静江(八千草薫)に翔太との結婚の決意を告げる。加奈の決意が固いことを知って、はじめて承諾する。そして、桂は翔太の母親・律子(キムラ緑子)の部屋を訪れる。若いときに夫の重夫(風間杜夫)を捨てて、若い男と出奔し田崎家からは離縁されたが、また町に舞い戻り重夫と暮らしている。そうした事情から、加奈の母親である柱が家族付き合いを懸念しての突如の訪問と察した律子は「加奈の中城家とは付き合わないから心配しないで」と明るく言い放つ。
 中年女性同士で、互いに曰くを抱えた身たげに、心が通じあい親密な雰囲気が生まれる出会いとなる。一方、加奈の父親ほ朋也
と翔太の父・重夫も喫茶店で会っていた。女装癖がバレた時を心配し、二人の結婚のために女装はやめるべきかを話し合う。加奈と翔太を結ばせようと周囲の環境は整いはじめていた。
 ところが、こうした動きに対して、ひとりだけ頑強に拒否しつづける人物がいた。
 翔太の祖父で、田崎家の当主、左官の親方、である。
 加奈は立派な娘と気に入っているが、子どもが産めなくては孫の顔をみらない、というのが反対の理由で、だれの説得にも応じようとしなかった。
 そこえ偶然、ひとつの問題が持ち上がり、それが四郎の心をほぐして加奈と翔太の結婚を認めることになり、ドラマの後半の主役は四郎(井川比佐志)となる。井川のベテランらしい渋い演技がストリーを盛り上げた。

 田崎家で、左官の職人として住み込んでいた神戸幸作(松重豊)が、北海道の田舎に残してきた妻と子を呼び戻して、ここで一緒に暮らしたい、親方の四郎に頼み込んだ。介護をしていた舅も亡くなり、別居の必要がなくなったので、男所帯の田崎家には、妻が食事の用意をするし、子どもいると賑やかで明るくなるという神戸の話に、四郎は他人に母屋を取られたくないと拒否する。
 左官としての腕も確かで、人柄も気にいっていたが、四郎は意地になって神戸の願いを聞き入れようとせず、ときには非難した口調になった。
 たまたま、そのやり取りをこっそり聞いていた翔太は、祖父の態度に憤慨して抗議する。はっきりした口調でものを言わず、引きこもりのぐず男と思っていた翔太が、正坐して筋をとおして抗議する態度に四郎は虚を突かれた。「他人は信用できない。いつかは裏切られるかも知れない」という四郎に、「神部さんは爺ちゃんを信用しているから、頭をさげて頼んだのだろう。それを信用できないというのはおかしい。神部さんに謝れ」と、強く迫る翔太の態度に驚き、悩んだ。
 くず男と思っていた翔太が、敢然としてものいうように成長したのが内心なによりも嬉しかった。これも加奈との交際の影響と考えて、結婚を許す気持ちに変わってゆき、神戸の願いも認めようという気持ちになった。

 そして、数日後に四郎の呼びかけで、中城家と田崎家の家族がレストランで顔を合わせることになった。結婚には反対している四郎の提案なので、みなまた結婚への反対を押し付けられるのか疑心暗鬼で落ち着かなかった。
 
立ち上がった四郎は全員を見渡すと、静かに話し始める。自分は戦災孤児でドン底の中で育ち、他人を信用することが出来なくなっていたと、自分の生い立ちを加奈の家族の前で淡々と語る。そして、いつも心配し過ぎといわれるほど、自分の家族を守ることしか頭になかった。それを翔太に意見されて、引きこもりとされていた翔太が、いつのまにか、こんなにはっきりものをいう男になった成長ぶりに驚いた。これも加奈さんの影響とわかって感謝したい、と二人の結婚に同意を仄めかす発言に、席上にほのぼのとした暖かい空気がながれた。
 加奈の祖母・静子も「ドン底といっても、いまの人には想像もつきませんね」と相槌をうつ。二人のベテラン同士のやりとりが絶妙で「悲しいことには必ずいいことがついてゆきます」という八千草がしんみり話す台詞が印象に残った。
 絶縁されている翔太の母親律子は列席しなかったが、「遠くから二人の幸せをみつめています」という伝言が伝えられと、「なんか電報みたい」と朋也の岸部が茶化す。いつのまにか二人の結婚を祝福する席に変わっていた。
 左官職人の神部一家が田崎家で暮らすという問題が出なかったら、翔太の成長ぶりに祖父の四郎は気づかず、相変わらず孫にこだわり続けて結婚に反対したかもしれない。偶然、なにが幸いするか分からない。これも「奇跡」と呼べるのだろうか。

 ドラマは、もうひとつの"奇跡"を産んだ。
 妻子の焼死から自殺をはかって加奈と翔太に助けられた藤本(陣内孝則)は、二人の縁結びの役を果たす結果になり、仲人を頼みにゆくと、藤本は「俺はもう独りじゃあないんだ」と張り切っている。そして、でてきたのが、二人に赤ん坊を渡して逃げようとした若い女性と赤ん坊だった。まさかと二人は目を疑い加奈が一度は抱いた赤ん坊と久し振りのご対面をする。
 「誤解しちゃあいけないよ。われわれは親と子と孫なんだ」と、3人一緒に写真を撮ってくれとカメラを渡される。こんな"おまけ"の奇跡をつける山田太一の演出が心憎かった。神部一家を迎えて笑顔の四郎を囲んでの田崎家のスナップ写真撮り風景で幕となるが、それをみていると物語がさらに続くような錯覚に陥る。
 加奈と翔太が結ばれるだけでなく、二人を取り巻く多くの人が幸せになっゆく。加奈の中城家では母の桂と祖母の静子が人形づくりの粘土こねに励み、女装趣味のある二人の父親は、そろって女装して街に繰り出す。
 そこまで描かなくてもといたくなる物語は、山田太一が75才を迎えて最後の連続ドラマと宣言したためだろかと、つい余計な詮索をしたくなってしまう。

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3月 17, 2009

「落日燃ゆ」33年ぶりのドラマ化

 「広田弘毅という人物をご存じですか」という字幕ではじまるドラマ『落日燃ゆ』(原作・城山三郎)が、テレビ朝日開局50年記念ドラマとして放映された。1976年に同名のドラマとして同じテレビ局で放映されてから、実に33年ぶりである。
 原作は城山三郎氏の代表作としてベストセラーになって読み継がれているが、城山氏はすでに亡く、ドラマの舞台となった連合国による極東国際軍事裁判も歴史の一コマとして風化されつつある。国民の大半が戦争を知らぬ世代で占めるなかで、装いを新たにしたこのドラマの再登場の意義はおおきい。

 広田弘毅という稀有な外交官、政治家に惹かれたのは、城山三郎氏の「落日燃ゆ」からだった。福岡の石屋に生まれて外交官を目指した広田は、華麗な外交官とは違い、出世のため上流階級の子女と結婚するのが通例とされている中で恋愛したごく普通の娘と結婚、夫婦愛と家庭愛を貫いて一外交官で甘んじていた。
 彼は「自らを計らず」を生涯の信条として、出世などのために動かなかった。東京裁判で戦犯として裁かれた際も、「自らを計らず」の信条を守りとおして、一度も証言台に立たず、一言の弁明もせずにA級戦犯の中でただ一人の文官として絞首刑に処せられる悲運にも悔いを残さなかった。
 その「自らを計らず」の生き方に感銘、さらに戦争回避のため軍部と徹底して戦いながら、裁判では一言も弁明しない潔しさに感動した。

 こんどのドラマは、広田弘毅に北大路欣也、妻の静子に高橋恵子が起用されたが、33年前のドラマは、滝沢修、高峰秀子の組み合わせだった。時代の流れを忘れさせる好演ぶり、広田の三男に山本耕史を当てるなど若者向けも計算されている。筋立ても、戦争を天皇の統帥権を盾に強引に進める軍部との戦い、平和外交を唱える広田と同時に、家族愛の人間ドラマといった面にも重点が置かれている。自分たちの利益や地位に恋々として「自らを計らう」ことばかに汲々としいる現在の政治家、また家族が一丸になって愛し合う家庭愛を知らない現代家族にも是非みてほしかった。

 ドラマは原作に忠実で、その粗筋をかいつまんに紹介しよう。
 昭和に改元された日本は、アメリカ・ウォール街での株価暴落のあおりをうけ、空前の不況に見舞われていた。そして、この状況を打開するため、一部軍人は広大な満州の地に目を向け、昭和6年9月、満州事変が勃発した。
 
そのころ、駐ソ大使を務めていた廣田は、ソ連政府に厳正中立を求めることに全力を注いでいた。血を流さずに国益のために戦う。廣田はそんな独自の哲学を持って日本の平和を願い、活動していた。
 
任期を終え帰国した廣田は妻の静子(高橋惠子)と湘南海岸を散歩していた。
「これ覚えていますか?」静子が取り出したのは貝殻細工の指輪だった。江ノ島に新婚旅行に行った際に、金がなかった廣田がダイヤの指輪の代わりに静子にプレゼントしたものだった。
  「もちろん覚えているさ」 廣田にはいくつか名門の娘との縁談話があったがすべて断り、学生時代に知り合った静子と結婚していた。
廣田の元に、首相秘書官より一本の電話が鳴り、昭和8年9月、廣田は斉藤実(織本順吉)内閣の外務大臣に任命され、就任した。
 盟友の吉田茂(津川雅彦)を特命大臣に据えて、世界各国、とくに中国との親善回復を目指した平和工作を目標に掲げるが、『国賊』と揶揄する者も少なくはなかった。つづく
岡田啓介(窪田弘和)内閣でも外務大臣に留任し、中国駐在代表を公使から大使に昇格させるなど、依然として平和工作を中心とした外交を展開する。そんな中、非戦派の永田軍務局長(笹木俊志)が皇道派将校に暗殺され、軍内部は統制がとれないほどの混乱状態にあった。

 そしてその直後の昭和11年2月26日、雪の降りしきる中を、1500名あまりの将兵が蜂起して、霞ヶ関一帯を占拠、高橋是清蔵相(神山繁)、斉藤実内大臣、鈴木侍従長(東孝)、松尾伝蔵大佐(江原政一)らを次々と襲って殺傷した。世にいう二・二六事件である。
 
クーデター鎮圧後、元老・西園寺公望(大滝秀治)を中心とした重臣たちは次期総理大臣を誰にするか重苦しい雰囲気の中、西園寺が思いついたように「次は背広を着たやつがいい」と発言、廣田を首相にと吉田茂に打診させる。
 「こんな時期の首相就任は貧乏くじだ。だが俺も協力する。引き受けろ」 逡巡した廣田を励まして、それを受け入れさせた。 「私はこの国を潰したくない。君たちのために、イヤ、日本国民のために」と、 長男・弘雄(木村彰吾)、三男・正雄(山本耕史)、次女の美代子(遠野凪子)、三女の登代子(原田夏希)、そして妻の静子など家族の前で力強く宣言する。
 
軍部は“統帥権の独立”を楯に次々と独断で行動を起こしていく。ドイツ・イタリアと組んでいた防共協定を三国同盟へと発展させ、アメリカ・イギリスと対立。東条首相(小峰隆司)政権のさなか、太平洋戦争へと突入していく。

 昭和20年8月、日本は敗戦を迎え、日本を占領した連合軍総司令部は、東条首相や東条内閣閣僚を中心に、100名あまりの戦犯逮捕状を出した。その中に、廣田の名前もあった。「なんでお父様が戦争犯罪人なの?お父様は戦争を起こさないためにあんなに頑張ってきたんじゃない」 そんな登代子を静子は優しく抱きしめるのだった。
 
昭和21年1月15日、広田は連合軍司令部に出頭する。見送る家族に「私は疚しいことは何もない。常に国のために命を賭してきた。しかし、一切の弁解もしない」 と語る。その言葉に、家族はただ涙を流した。その年の5月、広田は東条首相らとともに、A級戦犯として裁かれることとなる。
 罪状認否では逡巡しながらも「無罪」と答え、家族たちは安堵するが、廣田は裁判で自身の言動に関し弁明は一切しなかった。
その後、面会室で会話をする廣田と静子。懐かしい話に花が咲き、笑顔で振舞う静子だったが、その表情には、何か決意めいたものが秘められていた。そして、広田の絞首刑の前に自ら命を絶った。それを知らされた広田は「自分も、間もなく君のそばにゆくから」と、獄中から妻あてに手紙を送った。

 周囲や裁判関係者からの証言や弁明の勧めにも、自分が喋れば誰かに罪が及ぶと、拒否して、ここでも「自らを計らわず」の信条を守りとおした。東条元首相ら戦犯同士の間では戦争の罪から脱がれようと、責任のなすりあいが行われるなかでの広田の毅然とした態度は、多くの感動をよんだ語り草として伝えられた。
 処刑当日、他の6戦犯は出されたコップの酒を含みながら絞首台にのぼり「大日本帝国万歳」と叫んで死んでいったが、広田は酒を口にせず、「万歳」と叫ばず従容と絞首台の露と消えていった。そのシーンが広田の生き方、戦争責任の取り方を物語るかのように感動させられた。
 処刑から数か月後、占領軍から遺骨を遺族に返還されたが、広田は誰のものともわからず、7人の戦犯の骨と灰を一緒にしたものは受け取れないと広田の遺族だけが拒否した。
靖国神社への合祀にも応ぜず、他の遺族との交流をさけて静かに広田の霊を遺族だけで弔い続け、広田の信条を守りとおそうとする家族愛がドラマの随所にみられた。
 「
このドラマは時代の大きな渦に巻き込まれた人間ドラマであると同時に、“夫婦の愛情ドラマ”でもある。戦争という大きな渦に巻き込まれた夫とそれを支える妻。戦争犯罪人として連行された夫のために妻は自ら命を絶つことを選択する。そして夫はそんな妻の思いを受けて、妻の死後も獄中から妻宛の手紙を書き続ける。そんな夫婦の姿は多くの人々の涙を誘うのではないだろうか」と、ドラマ制作者 は、その制作意図を語っている。
 靖国の戦犯合祀が、中国、韓国などから問題にされ、首相の靖国参拝が外交、政治問題として浮上、国内にも7戦犯の戦争責任を見直し戦争犯罪を否定する動きがみられるようになった。こうした動きを反映してか、33年前の「落日燃ゆ」とは、やや違った"世界最大の家族、夫婦愛"とうたったキャッチフレーズにみられるように広田の生き方をめぐる「人間ドラマ」としての色彩が濃くでていた。

 天皇の名を盾に戦争を強行拡大する軍部に敢然として戦う広田の姿を強調、クローズアップした前作との相違を感じた。「天皇の統帥権」といわれても、それがいかに軍部の専横独断に利用されて、日本の運命を狂わせたか理解できない者が多いだろう。それに敢然と反対しながら、押し切られて戦争突入をみとめざるを得ない広田の苦衷をもっと鮮明に描いて欲しかった。
 戦犯という名前さえも、否定され、風化されてゆく中で、「自らを計らわず」だけでなく、国の指導者として生命を賭けて軍部と戦った広田の姿を、戦争体験のない世代にも理解しやすく、感動をよぶような克明な描写が欲しかった。その点、城山三郎の原作に、もう少し忠実であったらと願わずにはおられなかった。
 最近、各テレビ局の開局記念ドラマに、占領中や終戦直後の問題がとりあげられるケースが多い。NHKが土曜ドラマとして「占領を買った男・白州次郎」を取り上げ、2回目の放映で白州がマッカーサー元帥にたいして「天皇陛下からのクリスマスプレゼントを床に置くとは何事だ。日本は戦争には負けたが、奴隷になったわけではない」と怒りをぶつけプレゼントを持ち帰ろうとする。鬼より怖いといわれたマッカーサーも白洲の気迫に押されて謝罪するシーンがあった。これをみて胸がすーっとしたと感想を漏らす声を多く聞かされた。
 こんどの「落日燃ゆ」のドラマをみて、城山氏の原作を是非読んでみたいという声が若者の間に強かったのを聞いた、このドラマの遺したものの貴重さをあらためて知った。

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3月 15, 2009

「納棺夫日記」を読んで

 映画「おくりびと」を観て感動したあと、この映画が生まれるきっかけとされる『納棺夫日記』(青木新門、文春文庫)を読んだ。「日記と題していながら、日記でもなければ、自叙伝とも小説とも言えず、宗教書でもなければ、哲学書でもない。あえていえば、ノンフィクションかなと思ってみたが、そうともいえない」と、著者自身が書いている内容の"死の世界"に迷いこんで、「おくりびと」の感銘を反芻しながら深く考えさせられた。
 「おくりびと」の主役を演じた本木雅弘さんは、15年前に「納棺夫日記」に出会って感動、映画化を思い立って著者で納棺夫をしていた青木さんに承諾を求めようとしたが、同意を得られなかった。本木さんは諦めきれずに何回も足を運んで青木さんの了承を取り付けたが、映画には原作はともかく「原案」と表示することもない、まったく別のドラマづくりとなった経緯があるImage0001_3
 「おくりびと」がヒットしてブームになるや、「納棺夫日記」も22刷りを重ねるベストセラーになった。
アカデミー賞の受賞が爆発的ともいえるブームを巻き起こす一因ともなったが、「おくりびと」というネーミングの題名が、「納棺夫日記」という馴染みにくい書名の印象を乗り越えて、ともにブームをよんで日本人の精神風土に一石を投じる結果となった。別モノとはいえ同根には相違なく、双方に触れることによって理解をより深めるだろう。
 
正直にいって「おくりびと」は映画としての出来は素晴らしく、だれにもわかりやすいが、「納棺夫日記」の後半は宗教や哲学書の引用が髄所にでてきて、そうした面の知識に欠ける者には難解の箇所がある。ただ、穢らわしいという差別に耐えて、天国への旅立ちを手伝う仕事と認識を改めさせる体験を物語る迫力は、「納棺夫日記」の映画を上回る生々しさに感動、深く考えさせられた。

 青木さんは文筆を志して富山から上京、早稲田大学に入学するが、中退して故郷に帰り富山市で飲食店を開く。地方の文化人や文学関係者が出入りする文学酒場となって繁盛するが、やがて倒産の憂き目にあう。再就職がみつからず、やむなく葬祭関係の湯潅と納棺の仕事をはじめることにした。
 二、三日逡巡していたが、広告を出した手前もあり、舞い込んだ注文を断れずに思い切って実行した。湯潅といっても死者を湯浴みさせるわけではなく、アルコールで拭き、仏衣と称する白衣を着せ、髪や顔を整え、手を組んで数珠をもたせて納棺するまでの一連の仕事と割り切っていた。
 はじめての経験だが、いざ実行してみると思うように行かず、汗ばかりかき、硬直した腕を仏衣の袖
に通すのも大変な作業だった。帰宅して自分で風呂のスイッチを入れると、妻が怪訝な顔をしていた。しばらく依頼がなかったが、急に仕事がふえて日に3件の納棺をすることもあり、とうとう「納棺夫」にされてしまった。
 広辞苑を調べたら、「納棺夫」という用語はみつからなかった。
 そして、親戚にも納棺の仕事を知られて、叔父に「何代も続いた家柄の本家の長男が納棺夫になりさがるとは・・」と強くなじられ「一族には教育者や警察など国家公務員も多く、社会的に地位の高い者もいる。その一族の恥だ」と転職を促された。聞き入れないなら絶縁と言われたが、意地になっていた。

 いつの間にか妻に納棺の仕事が知られていた。夜、体を求めたら拒否され、仕事を辞めない限り嫌といわれ、子どもたちの将来も考えてほしいと泣かれた。話しあって、再度、求めると「穢らわしい、近寄らないで!」とヒステリックに拒否されて、その夜はイライラして寝付けねかった。
 「穢らわしい」という言葉に怒りを覚えた。過去にも浮気したときに、同じ言葉を妻にいわれて拒絶されたことがあったが、そのときには腹もたたず、気にもならなかった。こんどは、鋭い刃物で切り付けられたような衝撃を受けた。
 青木さんは、日記の中でそのショックを告白している。ここまでの粗筋は「おくりびと」の本木さんがチェロ奏者をやめて、故郷の酒田市に帰り「旅たちの会」という広告に勘違いして納棺夫になり、旧友に絶交され、妻は東京に帰って別居するドラマと似ているが、「穢らわしい」といわれて怒るシーンはない。
 汚れた仕事と罵倒されても、死者を送り出すという仕事、忌み嫌らわれても、ときには感謝されることもある、という自負にも似た体験があったからである。それがドラマと、実体験を書いた「日記」との違いかもしれない。
 そして、「穢れ」とは、なにか、と青木さんはその言葉の歴史的な背景の追及をはじめる。葬祭や火葬に関係する人たちを賤業とみる社会的慣習にならされて、多くの疑問を持たなかったが、「おくりびと」の感動的なシーンに、「穢れ」の根拠と起源を辿ってみたくなって「納棺夫日記」を読み進んだ。

古代の「延喜式」という格式法典に「穢れ」について詳しく規定されて説に、青木さんは辿りついき、それが1000余年後の現在まで続いているのを明らかにした。醍醐天皇の延喜5年(927年)に決められたのが起源、その中で「死穢(しえ)」と「血穢(ちえ)」の二つが穢れの最たるものという発想で、仏教とはなんの関係もなく、むしろ平安中期の皇室を中心とする神道に根差して、死や死者を不浄のものとしてとらえ、死にまつわる一切のものは不浄、穢れといるという思想が生まれたのを突きとめて、その説を「日記」に書いた。
 穢れを清めるために、死者の家には忌中の張り紙を貼り、火葬場から帰れば「清めの塩」で清める風習が現在もっ続いているが、これは古事記にでてくる神話によるという説も明らかにした。
 イザナギノミコトが黄泉の国から、この世に帰ってきたとき、黄泉の国は不浄の世界であったと告げ、穢れた身体を海水で清めたという説である。これが「清めの塩」の起源で、葬式の清めの塩と手桶水、料亭などの打ち水と盛り塩、大相撲の塩撒きといった
形で現在に伝承それていると、青木さんは著書のなかで指摘している。
 通夜や葬式から帰ると、家に入る前に「清め」と称して体に塩を振りかける風習が続いているが、禅宗の葬儀に列席して、住職の高僧が「清めの塩は仏教思想に反する、仏教には死者を穢れとする思想はない。自分の寺では塩も水も一切使わない」と、説教で述べたのを思い出した。
 清めの塩は神道的発想で、葬祭業者の思惑で勝手に使われるのを黙視しているのは、仏教の堕落とまで指摘されたのを記憶している。最近、清めの塩を出さない葬祭場もふえてきた。となると、死者を穢れ、納棺夫を不浄の仕事とする根拠は薄れてくる。「納棺日記」を読んで、はじめてそれを知って納得した。

 死をタブー視する社会通念の曖昧さや矛盾をつきとめた青木さんは、納棺夫が穢らわしいという見方を変えるため行動にでた。医療器具店で医師の手術着やマスク、薄いゴム手袋を求めて納棺に当たった。服装を整え、礼節にも心がけ自信をもって堂々と真摯な態度で納棺するように努め、脳幹夫に徹した。
 途端に周囲の目が変わってきて、山麓の農家で納棺を済ませるトム、死者より年長の老婆が「私が死んだら先生様の手で納棺していたたけませんか」と真剣な顔で頼み込む。また、別の納棺で僧侶から「先刻より見せていただいたのだが、あなたは偉い。われわれ僧侶も見習わなければならない、ところで、どこの大学の医学部を出れたのですか」と問われて、返答に困った。
 いままでの納棺のイメージを変えて、蔑ませられるよりも、敬われるようにさえなったのである。死と常に向き合いながら、死から目をそらして仕事して、自分の職業を卑下、社会から白眼視されるのを苦にしていてはいけないと諭している。
 ある日、納棺によばれた家は偶然、昔の恋人の家だった。自分の優柔不断から恋は実らず彼女は横浜へ嫁いだ。30年も前の話で忘れていたが、納棺の相手は彼女の父親だった。納棺は難渋したが、その彼女が傍にきて寄り添うように汗を拭いたりして、納棺が終わるまで手助けしてくれた。ふと見ると涙をためた大きな瞳が光っていた。その瞳の光に納棺夫の道を全うすることを決意した、と青木さんは日記に書いている。
 映画「おくりびと」にも、穢らわしい仕事だと絶交された友人の母親の納棺をした本木の仕事ぶりらに感動して感謝されたり、「いままで一番美しい顔だった」と思わぬ感謝を受けたシーンがあったが、「納棺夫日記」には、さうした類の話が現実味をもって、いくつも紹介されている。

 「毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐るのぞく込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。驚き、恐れ、悲しみ、憂い、怒りなどが錯綜するどろどろとした視線が、納棺していると背中に感じられるのである」
 青木さんは数多くの納棺を手掛けた実録の「納棺夫日記」に書いているのが印象に残った。この日記や映画「おくりびと」をみた多くの人が、死の尊厳に繋がる納棺という仕事に、いままでとは違った印象と理解を深めるだろうと思いながらページを閉じた。



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3月 13, 2009

「ありふれた奇跡」にまた"奇跡"

 フジテレビの木曜連続ドラマ『ありふれた奇跡』(山田太一)は、10回(12日放映)を終わって、最終回まであと一回となった。緩やかなテンポで盛り上がりに欠け視聴率も下がってきたが、大詰めを迎えた10話の最後になって、思わぬドンデン返しの"奇跡"が生まれて、ドラマの結末が見えてきた。
 このまま幕になる筈がないと期待していただけに、奇跡にはじまったドラマを奇跡で締め括る山田太一らしいドラマづくりに、ファンも納得しただろう。

 妻と子が出帳中に焼死したことから生き甲斐を失くし、列車に飛び込み自殺をしようとして中年男を、見ず知らずの男女が自殺から救ったことから、恋が生まれるという奇跡からスタートしたドラマは、それぞれの暗い過去のキズを抱え、家族環境の違いも絡んで二人は結ばれぬまま物語は進展せずに大詰めを迎えた。
 家族は、それぞれに問題を抱えていて、幸福そうにみえながらもバラバラの場合が現代の家族には多い。それがなにか事件や問題が起きるとひとつにまとまって危機から守る、というのが山田太一の家族観で、彼のホームドラマはそうした視点から描かれている。「ありふれた奇跡」は、偶然に出会った奇跡からおもいうようになった若い男と女のラブストリーを中心にして展開してゆくホームドラマとしての性格をもっている。それたげに、多面的な要素が多く、道草をたべながら進むので、テンポに歯切れが悪く、ときには堂々めぐりを繰り返して、11回という連続ドラマに見飽きたり、山田太一らしくないという声も出たりした。
 「ありふれた奇跡」というテーマとは別に、ドラマはどこにでもある"ありふれた"内容どはないのも、このドラマの特徴である。だが、これといった見せ場があるわけではなく、巧みな会話の台詞で日常どこにもありそうな話を紡ぐように繋げてゆく。そして、突然、予想もされなかった展開を織り込む手法は山田太一ならではの魅力である。その背景には、優しさ、思いやり、暖かさが秘められている。

 さて、第10話は、加奈(仲間由起恵)は、家族の反対や過去の傷による不妊の身へのこだわりから、想いを寄せる翔太(加瀬亮)と別れる決心をしたものの、想いきれない日々を送る。翔太に教えられたケルト神話にてでくる過去の思い出や記憶を食べてしまう怪獣の人形ずくりをしている。そこえ祖母(八千草薫)があらわれて、加奈の翔太への想いを察しながら優しくいたわるシーンから始まる。
 ケルト神話の怪獣にあやかって、翔太への想いを断ち切ろうとする加奈。それを優しく思いやりながら笑顔でじっと見守る祖母のシーンは、加奈と翔太の間は終わっていないことを暗示して、希望をほのめかせる。
 自殺を翔太と加奈にたすけられた藤本(陣内孝則)は、駐車場の案内係などしながら細々と生活しながらも、二人をなんとか結ばせたいと躍起になって奔走する。翔太の田崎家は、左官を請け負っていた会社が倒産、仕事がなくなる。そこへ藤本が訪れ、結婚に猛反対する翔太の祖父(
井川比佐志)を説得するが、生活費に困って金の無心にきたものと誤解されて追い返される。
 藤本は、屈辱感にまみれて傷心するが、諦めない。こんどは、加奈の父親田崎四郎(岸部一徳)を喫茶店に呼び出して、翔太と結婚させてほしいと懇願する。この問題は解決済みで、第三者の貴方にとやかくいわれたくない。録な仕事もない癖にと侮蔑され、金が欲しいんだろうと、1万円を渡して四郎は席を立つ。

 藤本は定職もなく、その日の暮らしもやっとの状態だが、加奈と翔太に助けられなかったら電車に飛び込んで自殺し生きていなかった。生きることの大切さを若い二人に教えられた恩になんとしても報いようと懸命になる。左官の仕事がなく、失業中の翔太を呼び出してキャッチボールをして明るく振舞って励ます一方で、加奈とも会って翔太とあって話しあうように勧める。そのため、二人はメールを毎日交換しあい以前にもまして想いを深めるようになる。
 消息を絶った藤本を心配して、二人は彼のアパートを訪ねたりして交際が復活する。そして、ある日、突然、藤本から3人で一緒に食事したいと電話がある。二人は指定された店へゆくと、一流の割烹料理店だった。その日の生活もやっとで姿を消した藤本が、こんな豪華な店を指定するとはと首をかしげる。
 案内された部屋で、藤本は立派な背広姿で待っていた。会社にいるとき社用でよく使った料亭で、一度は3人で食事をして自殺を助けてもらったお礼を言いたかった、と述べる藤本に、加奈と翔太は信じられずに戸惑ってしまう。
 藤本は、横浜でマンションセールスの職を得て5室を販売、その成功報酬として100万円をもらったと札束をみせる。そして、二人に「ありがとう」と正坐して頭を下げた。翔太と加奈は藤本を祝福、話がはずむ。藤本は過去の過ちから不妊の身になって翔太との結婚に躊躇している加奈を「子どものない夫婦は多く、みな幸福になっている。翔太もそれを承知しているのだから結婚したら」と説得する。
 加奈は、自分が不妊の身体と知って絶望、電車へ飛び込もうとホームに立った。なんどか試み、こんとこそ飛び込もうとしたら、誰かに胸を押し返されて果たせなかったが、誰がとめてくれたのか分からなかった、と初めて告白する。
 この回は、藤本がキーマンのようになって二人が結ばれるために動く。ドラマの最初に戻ったように、この3人を中心にドラマが展開される。

 料亭での食事のあと、加奈と翔太は2人だけで野外のオープンハウスでお茶を飲みながら話しあう。もう完全な恋人のカップルである。翔太が突然、席を立って帰ろうとするのを加奈が引き留める。「これ以上一緒にいると、変な行動に出そうになる」という翔太に「ケルト神話の話を聞かせて」と加奈は翔太の気持ちをほぐし、「変な行動って何」と聞く。不器用な翔太は恥ずかしそうに「ホテル」と小声でいう。「この前は私が予約して誘ったのを断ったのに」という加奈に「あのときは、別れる前のという話だったからだ。そんなのは嫌だ」と翔太ははっきり答える。
 恋の駆け引きではないが、もう二人は結ばれているといった雰囲気で、加奈は時計をみて「いま3時だからチェックインできるわね」と、首を縦にふって同意を示す。翔太は清水の舞台から飛び降りたような気持ちで決断、加奈の同意にもじもじして落ち着かないでいる。
 そこえ、赤ちゃんを抱えた若い女性が現れて「トイレへゆくので、その間、この子を預かってください」といって、赤ん坊の衣類が入っているらしいバックごと押しつけるようにして、その場から立ち去る。そして、全速力で逃げるようにビルを飛び出して姿を消した。翔太は浮かぬ表情をしているが、加奈は母親のように赤ちゃんをあやしている。
 子どもが産めないと悩んでいた加奈に、天から子どもが授かったような"奇跡"が起きた。藤本の提案で里親制度の話がでて、なにも知らぬ加奈の家族から翔太は「種なし男」にされて、ひと悶着を起こしたこともあった。どんな形にせよ、天から赤ん坊を授けられて、二人の結婚の障害はなくなった。
 山田太一は、10回目のドラマが幕になる寸前、こうしたドンデン返しを演出して二人が結ばれる結末を暗示した。ドラマの展開が「子どもを産めない」をめぐってもたつき、苛々していただけに、この奇跡にホッとしたとろで幕となり、いよいよ次回の最終回へと進む。予告篇でも、それを仄めかしていた。

 

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3月 09, 2009

映画「おくりびと」を観て

 「映画を観にゆく」というと「おくりびと?ですか」と異口同音のように聞かれる。映画館は列に並んでも入れず予約券を買うという空前のブームを産んだ『おくりびと』(滝田洋二郎監督)を、早朝から並んで視た。81回アカデミー賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞の受賞作品とはいえ、人間の死を扱う重いテーマの作品に、前例のないほどの異常なブームを巻き起こすは信じられなかった。
 昨年9月に公開され、アカデミー賞の受賞が発表された途端にブームは爆発した。作品を産むキッカケになった「納棺夫日記」(青木新門・文春文庫)は、映画化をきっかけに増補改訂版がベストセラーとして22刷という重版ふりで、品切れ状態が続いた。
 死者を清めて納棺する風習は、地方にはいまも残っているが、それを職業とする葬送関係業に対して、賎業として忌み嫌う傾向が強かった。それが「死者を安らかに旅立ちさせる"おくりびと"」として見直されはじめた背景はなんだろうと考えさせられた。数々の賞を受ける作品たげに、その出来栄えと内容には感動を呼ぶが、「死の尊厳」に対する日本人の「こころ」に変化の兆しを感じさせる感銘が心に深く残った。
 興味やこれといったヤマ場のすくないドラマなのに、130分という時間をまったく感じさせられなかった。ぐいぐい惹きこまれていく内容でもなく淡々と進められてゆくなかで時間を経つのを忘れさせられるのが不思議だった。

プロのチェロ奏者として東京のオーケストラに所属していた小林大悟(本木雅弘)は、突然、楽団が経営不振で解散の憂き目にあ。奏者としての実力を知らされ、夢を諦めてて1800万円出して購入したチェロを売り払い、妻とともに田舎の山形県の酒田へ帰ることにする。就職先を探していのと、「旅のお手伝い」という広告に目を留め旅行代理店か何かだろうと考えて、その会社を訪ねる。
 旅行代理店としては雰囲気がおかしいと思いながら、面接を受ける。社長(山崎努)から広告は誤植で性格には「安らかな旅立ちのお手伝い」という死者の納棺が業務内容で、納棺(Nokan)のNとKをもじって「NKエージェント」という社名にしたと告げられ愕然とする。そういえば、店内には各種の棺桶が展示してあった。
 即座に断ろうとしたが、社長に「これも縁だから試してみたら」と強引に勧められ、いきなり現金で2万円を渡して月給は50万円という条件を提示された。戸惑う本木に、山崎は月給として「これでは?」と片手を示し「5万円」かと聞くと「50万円だ」とやりとりする場面は、滑稽で納棺という暗いイメージを一瞬、忘れさせる。山崎勉らしい演技である。それ以外に仕事のあてがなかった本木は断り切れずとりあえず就職を決めた。
 帰宅後、妻(広末涼子)に、どんな会社か聞かれても、さすがに「納棺」とは明かせず、「冠婚葬祭関係」とだけ伝え、妻は結婚式場に就職したものと勝手に思い込む。そして、最初の仕事は、納棺の手順を解説するDVDづくりで、遺体役を押し付けられて顔にカミソリ傷をつけられ、妻に不審な目でみられて言い訳に苦しむ。
 最初に訪れた現場は孤独死で死後二週間も経った老女の遺体納棺。異臭と崩れたかけた遺体の痛みに嘔吐しかけ、死臭がうつったか気になる。帰途に街の銭湯で全身をごしごし徹底的に洗い清める。納棺の辛さに嫌気をさして辞めようとするが、現金で日当を支給され、辞めるに辞められなくなって、とりあえず納棺師への道を歩む。
 場数を踏み、遺族に感謝されて、僅かずつ納棺師の仕事に充実感を見出し始めていた。ある日、例のDVDを見た妻に納棺師になったことが発覚、「そんな汚らわしい仕事は辞めてほしい」と懇願される。しかし木本はそれを受け入れられず、妻は東京の実家に帰って別居状態になる。納棺師になったことを知った昔からの友人からも「もっとましな仕事に就け」と絶交を宣言されて、完全な孤独状態に陥る。

大悟(本木雅弘)は、汚れた賤しい仕事と冷たい目で、家族や友人から見られてゆくなかで、社長(山崎努)の職業意識を離れた「おくりびと」精神と、その心の籠った納棺の儀式指導に感化化されて、納棺夫の道に励み、世間の目も気にせず神聖な仕事と思うようになる。
 ある日、納棺した中年女性の夫から、到着の遅れを強くなじられたが,納棺が終わって帰るとき、「妻はいままでで一番綺麗でした。ありがとう」と心から感謝を述べられれる。そして、納棺夫のような仕事をやめろと絶交された旧友の母親(吉行和子)の納棺をする巡り合わせになった。妊娠とわかって大悟の許に帰ったものの、依然として納棺夫に反対する妻のツヤ子をも旧友の母親の納棺に立ち会わせる。
 汚れた賤業とみていた旧友と妻も、イリュージョンの幻想をともなう神聖な美の極致を思わせる大悟の納棺ぶりに思わず感動、旧友とも和解、妻も理解するようになる。このシーンが深く印象に残り、感動を誘われた人も少なくないだろう。
 葬祭業者の「人の死」に慣れた職業意識から、言葉だけが丁重な荘厳さで心が入っていない納棺とは雲泥の差で、心の籠った手順をゆっくり繰り返しながら、遺体の死化粧を施し、身体が見えないように死に装束に着せ替えしていく手法は美し儀式そのもので、天国への旅立ちを連想させる。遺族の新しい悲しみと同時に感動をよび「いままでで一番綺麗だった」と遺族に真底から感じさせる。そのシーンは圧巻である。

 「納棺夫日記」の著者、青木新門さんは富山市で著述のかたわら納棺業の20年も携わり続けているが、著書の中で納棺について次のように述べている。
 「どの場面でも同じように、胸がつまって、止めどなく涙がでてしかたなかった。
  死に近づいて、死を真正面から見つめていると、あらゆるものが光って見えてくるのだろ   のだろうか。それは、どんな光だといわれても、説明のしょうがないもののように思えた。
 私の手を握って"ありがとう"といった叔父の顔にも、多くの死者たちの顔にも、あの光の残映のような微光が漂っていた。
死に対峙し、死と徹底的に戦い、最後に生と死とが和解するその瞬間に、あの不思議な光景に出合うのだろうか。人が死を受け入れようとした瞬間に、何か不思議な現象が生じるのかもしれない」

 チェロリストから納棺夫になった 大悟(本木雅弘)も、青木さんと同じように 、人の死に直面してあの光を感じるようになったのかもしれない。納棺社の社長(山崎努)も、9年前、奥さんの死に遭遇してから、納棺夫に転業している。人はいつかは死に直面しなくてはならない。さして、それぞれに曰くのあった人生を納棺夫によって洗い清められて、あの世に旅立ってゆく。「死の尊厳」にかかわる納棺夫を不浄や賤しい仕事という誤った先入観を捨てて
「おくりびと」として見直させた映画の感動をあらためて噛みしめた。
 この映画の異常ともいえる爆発的なブームの裏には、やはり人の死にまわる「千の風に乗って」の歌が一昨年からプームになって、多くの人たちに歌い継がれているのと軌を共にするものではないかと、ふと思われた。いま精神は崩壊したといわれながらも、ある世代からは精神風土が新しく蘇った証拠ではないかと思われてならない。
 1996年に「納棺夫日記」に感銘を受けたり、ロケ先の地方で納棺の風習にん感動して映画化を思いつき、以来、9年間も映画化に奔走した主役の本木雅弘の執念の演技、それに社長を演じたベテラン俳優も山崎努の好演が光って、ドラマを盛り立てた。また、チェロ演奏を挿入させた音楽効果も見逃せない。
 アカデミー賞の受賞に相応しいく、それがたまたま爆発的ブームのきっかけとなったが、なにかを目指す日本人の精神風土に訴え、共感させるところが多い作品とみた。

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3月 06, 2009

「ありふれた奇跡」最終コースに

 フジテレビの開局記念連続ドラマの『ありふれた奇跡』(山田太一)は、第九話の放映を終わり、最終回の19日まであと二回の大詰めになった。ここ2週ほど盛り上がりの高揚感に欠け視聴率も一桁台に下落、山田太一らしい見せ場が乏しいという声もある。
 ドラマづくりの名手とされる山田太一が最後の連続ドラマと称しているだけに、この流れのまま終わるとは考えられず、「奇跡」を実らせるドンデン返しや山田イズムの本領をみせる最後のストレッチコースの結末に興味が注がれる。

 ドラマの粗筋は第七話まで紹介したが、第八話からは中城加奈(仲間由紀恵)の「子どもを産めない体」をめぐる田崎翔太(加瀬亮)の態度と、両家の言い分から確執におよぶ経緯に終始して、視聴者にドラマの流れと山田の意図に不審を抱かせたり、期待や興味を殺いだ面があったのは否めない。
 八話では、翔太を加奈の父親(岸部一徳)が激しく詰ったものの、実は娘の加奈に人工中絶による不妊という過去の暗い傷があり、自分のほうに非があることを、加奈の告白で知らされて一家は愕然とする。大手機械メーカーの部長として、かが左官屋風情の息子を相手にはできないと高飛車に出ていただけに、引っ込みがつかず、母親(八千草薫)の将太の田崎家に謝罪しなさい、という説得に言葉を濁して態度を明らかにしない。
 八千草はたまりかねて、独りで田崎家を訪ねて翔太の祖父になる四郎(井川比佐志)に、子どもを産めない原因は加奈にあり、翔太を勝手に"種なし男"と決めつけたことを謝罪した。「美人で気だてもよく素晴らしい娘さんで残念だが、翔太とは結婚させません」と井川に言われたショックから、八千草は貧血で倒れて救急車で田崎家から運ばれる。
 井川と八千草の話し合いは穏やかで、ヴェテラン俳優らしい演技でよい雰囲気をだしていた。井川は病院にで付き添って面倒をみる。後日、加奈と直接会って、「本当に残念に思うが、翔太との結婚は認められない。自分も孫が欲しいから」と静かに諄々と諭すように伝え「これがあなたと会う最後です」と別れを惜しむ。その好演ぶりが素晴らしい。山田が井川比佐志を起用した理由が納得できる。
 岸部はこっそり翔太のセールスマン時代の失敗による自殺未遂を調べあげて、罵倒、追及する、とかく上流社会にありがちな傲慢さと、下町の雰囲気がある井川比佐志とは好対照である。しかも、加奈は不妊の身体と知らされても、あっさり認めて理由は聞かない。翔太も加奈の中絶の事実はだれにも明かさない。父親の風間杜夫も翔太になにも聞かない。
 下町育ちの山田らしい、計算と狙いが読み取れた。人の過去や傷を詮索して掘り返さずに暖かく包んでやる下町の雰囲気を伝えたかったのだろう。

 さて、第九話(3月5日放映)は、加奈は、四郎(井川比佐志)から翔太(加瀬亮)との結婚は許可できないと言われたことや、それが原因で祖母(八千草薫)が倒れたことで気持ちが混乱する。翔太からのメールにも返事ができずに悩む場面からスタートする。
 そして、結婚は諦めるしかないと決めながら、翔太への想いは以前にも増して翔太に傾斜してゆく自分の心を自覚して悩む。不妊となった中絶の理由や別れた元カレについては誰も聞かない。父親の岸部はそれに触れるのを避けて加奈に言葉もかけない。
 一方、翔太は加奈に会う勇気が持てずに、自殺未遂で二人を結ぶ奇跡のきっかけとなった男(陣内孝則)に相談する。将来より今を大事にして、加奈に会うべきだとアドバイスされて、翔太は、その言葉をメールで加奈に伝える。
 加奈はすべてを忘れて、初めて会った時の気持ちで会おうと翔太に提案する。休日、二人は公園で初対面のふりをしてデート。それぞれ架空の自分や家族を作り出して会話する。すると、加奈が突然、ホテルを予約してあると言い出した。
 その唐突さに翔太は驚いて、「それを最後の思い出づくりにしよう、という気持ちか」と加奈を責める。別れを前提としたようなホテルゆきは絶対反対だと拒否、怒って立ち去る。不器用な生き方しかできない男とされる翔太の純粋さが出ている。
 加奈がホテルを予約、最後の別れの場にしようとしたのも翔太への想いが断ち切れなかったからだろう。ホテルといっても、超高層で眺めのよい一流豪華ホテルのスイートだけに密会といった厭らしさを感じない。加奈も恋には不器用だったのかもしらない。

 豪華なスイートの部屋でひとりで過ごすのは侘しい。仕方なく母親を呼んで一緒に一夜を明かすことにした。家庭ではあまり口を利かない母子だったが、母親は加奈の気持ちをくみ取って話し合う。そして、自分が人形づくり教師の男と50才の身で不倫関係を続け、一時は遊びでなく本気になろうとした。相手は遊びだけのくだらない男と気づいて、吹っ切れたと加奈にはじめて告白する。
 加奈はそうした気配は感じて母親を敬遠、祖母の八千草薫としか親しくしなかった。心は翔太のことで、母親の告白話など耳にはいらかったらしく、無視する場面も印象に残った。父親の岸部は、翔太を罵倒、田崎家を見下した手前、反省もせず問題から逃げていたが、母親は娘の加奈の中絶、不妊騒ぎをまったく知らなかったことに責任を感じて、不倫も清算して人形教室を再開、加奈の力になってやらねばと生活態度を一変させた。
 八千草は、息子の岸部に対して「加奈から逃げて無責任な態度をとらず、もっと真剣に娘と向き合えなさい」と諫める。そして、加奈に対して、「子どもは当てになせない。私が同居しているのは加奈と一緒に暮らせるからで、あのような息子だけなら、さっさと別居している」と
説得しと、「子どもが産めない」と翔太との結婚に心を閉ざした加奈を励ます。
 ヴェテランの八千草薫らしい演技が、いい雰囲気をつくりふあげていた。

 翔太の祖父である田崎家の当主(井川比佐志)が、「子どもを産めない女はダメ」と、加奈の素晴らしさを惜しみながら強硬に翔太との結婚に反対する理由を、はじめて明らかにした。東京大空襲で両親は焼死、戦災孤児になって施設で育った。結婚した女性(翔太の祖母)も戦災孤児で施設育ちだった。
 だから、家庭の暖かみや一家団欒を知らずに人生を終えようとしている。翔太に結婚させて孫の顔をみながら一家団欒するのが生涯の夢である。だから、「子どもは要らない」などと口にしないで欲しいと、懇願されると翔太は「子どもは必要なのか」と思い、「それでは加奈との結婚を断念しなくてはならない」とまた迷う。
 家庭には、それぞれ複雑な問題を抱えている。普通のときは顔をださないが、なにか事があると、その問題が顔をだして悩んだり、また、逆にバラバラだった家族がひとつに纏まることがあ。これが山田太一の考え方で、彼の多くの作品には必ず、それが貫かれている。
 そして、事があれば纏まるのが家庭・家族なのだ、という信念のもとにドラマを書きつづけてきた。加奈の「子どもを産めない」たげで、堂々めぐりのように3話を費やしたことへの批判もあるが、彼の筆法をもってすれば、これはなにかの伏線ではないかと思う。
 残りの2回、最終のコーナーをまわってゴール直前のストレッチコースに入ったドラマで、こうした伏線が活かされて、予想外の結末を迎えるかもしれない。
翔太になった加瀬亮が「脚本をよまされたとき、これなら絶対に引き受ける」という気持ちになったと書いている。なにが加瀬亮をそこまで衝き動かしたのか、その答えはあと2回に迫った最終コースに秘められていると思うと、これからが楽しみである。

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