:検察リークに振り回されるマスコミ
西松建設マネーの東京地検特捜部の捜査態度は、「検察国家」への道を突き進む恐れがある、と元東京地検特捜部長が危惧するコメントを発表している。民主党小沢代表の秘書に対する地検の強制捜査に対して、検察首脳の一部に批判があると伝えられていたが、これほど明確に論理的な問題提起は初めてである。
小沢代表に対する「政治と金」をめぐる金権政治批判もさることながら、検察が政治を支配する「検察ファッショ」の再来は、日本を恐怖国家に陥れるおそれがある本質的な問題として、国民はこんどの地検の手法を注視すべきである。
小沢代表秘書にたいする地検の捜査手法に疑問をもち「特捜の体質変容を危惧する」コメントを4月1日付けの「朝日」に載せたのは、リクルート汚職事件などを指揮した元東京地検特捜部長の宗像紀夫氏で、かなり長文のものである。
こんどの地検の強制捜査の時期、手法には、検察の伝統と歴史のなかで異例なものとして、過去の汚職摘発の歴史と対比させながら克明に批判している。
そのなかで、とくに印象に残ったのは、小沢代表の大久保秘書を起訴したときの東京地検次席検事の新聞発表への疑問である。
「政治資金収支報告書の虚偽記載は国民を欺いて、その政治判断をゆがめる重大悪質な事案と判断した」という地検次席検事の談話に対して、宗像氏は「わざわざ、こんな趣旨の説明は不要で、最後まで事件の進展を見ていただきたい、といえばよい」と真っ向から批判している。
そして「なぜなら、検察の伝統的な考え方では、政治資金規正法違反は、たとえば多額のウラ金を取得していたというケースでない限り、事件の最終目的とはなりえないからです」と語っている。「第二、第三の、贈収賄や脱税などのより悪質な犯罪の摘発が控えているときのみ、政治資金規制法違反による強制捜査といった例外的な捜査手法が許される」と明言している。
こんどの大久保起訴は、そこまでいっていないので、地検に焦りがあり、居丈高に「悪質、悪質」と強調する次席検事談話となった。捜査に確信がある場合は、多くを語らずに淡々と起訴事実の説明だけで、感情むき出しのコメントなどしないのが通例である。「負け犬の遠吠え」にさえ聞こえる次席検事談話に、些細な取材経験の身からも不審に思っていた。まさに、宗像氏の指摘どおりである。
さらに、こんどの地検捜査では、捜査が進展しないためか、マスコミの一部に情報をリーク(漏えいする)が異常に多い点に疑問をもった。リークというのは捜査に自信がないから、予測や虚偽の情報をもっもらしく漏らす、検察や警察の手法である。かって、ある地方の名門小学校が火事にあい、警察は火事見舞いを出す癖のある精神薄弱者を犯人に仕立てた。弁解能力のない精神薄弱者を犯人として、こっそりM紙だけにリーク、特ダネとさせた。疑問や記者の意地から警察発表のウラを徹底的に洗いなおしたら、完全な冤罪で、リークして捜査課長は免職ととなる事件を担当した経験からも、リークと特ダネは紙一重の危険性がある。
こんどの事件でも、大久保秘書が容疑を全面的に認めたと一部のマスコミが報道、弁護士側はそれを否定して問題になった。先日の国会でNHK予算審議にかんで無所属議員から追及され、ニュースソースは明かせないとNHKは逃げるだけでニュースの真偽には確答をさけた。
これはあきらかな、検察のリークで、マスコミが振り回された例である。その後、大久保秘書の容疑を認めたという報道は嘘のように消えて、後追いする新聞もなくなった。いまのマスコミには意地かなく、発表に頼りきりという記者が多い。
かつては、抜かれたニュースは後追いせずに、その真偽を調べなおすのが記者の意地でもあった。だから、簡単に捜査などのリークに振り回されなかった。これはマスコミの堕落ともいえる。
こうしたリークに関連して宗像氏は、検察とマスコミの関係にも言及している。
「マスコミは検察と一体になっていますね。弱者の目を持たなければならないのに、強者の目で事件をみているように思える。在職中は検察に好意的な記事を読むと心地よかったが、検察の現場を離れた今、そうした記事を読むと異様な感じがします」と、率直に語っている。
自民党の二階産業経済大臣の西松建設からのマンション提供など数千万円の便宜供用容疑が取りざたされながら「地検は強制捜査の方針を固めた」と、マスコミは報じてから10日余を過ぎても、検察は一向に動かない。
宗像氏の言う検察の伝統的な政治資金規正法違反の捜査手法からすれば、職務権限があり、便宜供用が民主党の小沢代表よりも証拠がそろっている。それにもむかかわらず「固めた」とリークして世論の目をかわす検察の態度は不公正である。一説によると、現職閣僚は首相の同意がないと強制捜査ができない内規が検察との間にかわされいるという。
麻生首相が、先月来、数回、書類整理と称して帝国ホテルにこもって密会しているといわれる。そして、その翌日に極まったに検察の動きがあると伝えられ、密会の相手は検察首脳と囁かれている。真偽のほとは確かめようがなく、大手マスコミは、こいした件はいっさい報道しない。
小沢代表が辞任せず続投している裏には、検察との駆け引きがある。検察の動きを見守っているのは知る人ぞ知るで、代表の椅子にこだわっているわけではない。国民は、検察が喧伝するイメージ作戦ただけにとらわれず、検察と政府が組んだら、なんでも出来るという強権、恐怖国家への道を歩む危険が潜んでいることを見逃さないで欲しい。
「検察はいつでも、どんな事件でもむやれるといことになったら、"検察国家"iになってしまいます」と、元特捜部長の宗像氏が、コメントを締めくくっているのは、なにを意味するのか、よく考える必要がある。
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コメント
絶大な権力を持つ検察にノーと言えるのは国民であり、その国民に検察の暴挙を伝える事ができるのがマスコミだと思う。
その役目を放棄した時点でマスコミは自らの存在価値も一緒に放棄したと思う。
投稿: ヘンガー | 4月 02, 2009 08:03 午前