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5月 26, 2009

首相の思いつき構想は迷惑

 麻生首相の思いつき構想や発言が多すぎる。突然、厚生労働省の分割構想を発表して関係を寝耳に水で慌てさせた。生活給付金をはじめとして、国の施策が首相の「一夜の思いつき」で実施されるケースや、発言撤回も多く、「首相の一言」の重みを肝に銘じて欲しい。
 こんどの、厚労省の分割構想は、発表前に政策担当や関係省庁によって検討された形跡はなく、麻生首相の"思いつき"とみられている。政府は慌てて、首相の指示に沿って、厚生労働省を社会保障省と国民生活省の二つに分割し、内閣府や文部科学省の部局を統合して再編、国民生活省に「少子化・児童局」を新設する構想を発表した。

 年金問題が浮上、医療保険問題の改編が課題になって、厚生行政の重要性が見直されたかと思うと、こんどは雇用問題の悪化が問題になって雇用対策、そして少子化問題と、社会保障と生活問題の比重が重くなってきた。だからといって、3ヵ月後には衆院議員の任期切れという時期に、こうした重要課題を提案するのは納得できない。
 2001年に中央省庁再編で、縦割行政の弊害をなくすため大幅な省庁の統廃合を実施、1府22省を1府12省に縮小してから8年しか経っていない。省庁の統廃合には、公務員を削減して人件費を節約するという狙いもある。
 麻生首相は、行政改革を骨抜きにして逆に公務員の数を増やしたり、官房副長官の増員など人員削減に逆行する動きが目立っている。その矢先の厚労省の分割発表である。省が増えれば、当然のように人員増になるから官僚は反対しない。
 省の数を増やしたからといって、社会保障や生活問題、少子化問題が解決するわけではない。それも、首相の一夜の思いつきだけで、事務当局で検討した末ではない。高齢者対策ひとつにしても、老人いじめをするだけで、これといった施策もなにひとつ打ち出さないで社会保障など、だれも信用しない。
 政治家や官僚には、もともと社会福祉という思想が薄い。贅沢三昧な生活をして生活苦の経験もなく生きたきた麻生首相に、社会福祉など理解できる筈がない。だから、省庁を増やせば解決すると安易に考え、思いつきで唐突に発表するのである。

 生活給付金は、麻生首相もまったくの思いつきで実施され、2兆円もの税金をつぎ込んだのは衆知の事実である。あの思いつきで、全国の自治体は大混乱、行政は停滞した。「金を恵んでやればよい」という首相の社会福祉思想は時代遅れである。それを補佐する側近も同様の頭脳しかないので、国民にはまったく迷惑である。
 しかも、任期も少なく、国民の支持も底をつき余命のない麻生首相が、社会保障や国民生活の改善を口実に省庁の分割という大問題を思いつきだけで断行されたらかなわない。殿様の一言とはいえ、現在の経済状況からみて制度改革は安直に同調すべきでない。
 その意味で、自民党内には少子化問題に関連する保育園と幼稚園の幼保一元化に慎重な構えをみせているのは歓迎できる。国民に迷惑をかける"思いつき施策"は、謹んで欲しい。低支持率を挽回しようと焦れば、焦るほど深みにはまる。麻生首相のノーテンぶりに、いつまでも付き合っているほど国民生活には余裕がない。

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5月 23, 2009

山崎豊子「運命の人」を読んで

 「沖縄を金で買うのか」といわれた日米密約漏洩事件をモデルにした山崎豊子の「運命の人」(全4巻・文芸春秋社)が発売された。「華麗なる一族」「大地」「沈まぬ太陽」などを発表してきた社会派作家の山崎豊子が沖縄問題をテーマに、最後の大作として取り組んだエンターティメント、37年前に問題になった密約を暴いた新聞記者逮捕の「国策捜査」「スキャンダルのすり替え」などを、どう問い直すのか読んでみた。
 「運命の人」のモデルになった外務省機密漏洩、通称「西山事件」は、沖縄返還をめぐり、米国が支払った土地の現状復旧費の400万ドル(15億円)、実は日本政府が米国側に払った肩変わり密約を、毎日新聞の西山太吉記者がスクープ、外務省が西山記者と外務省の女性事務官を機密漏洩罪として告発、検察が起訴して密約の存在を隠蔽しょうとした事件である。検察は、西山記者に密約文書を渡した女性事務官との間に男女関係があったことを公開、起訴状に「ひそかに情を通じて・・」と異例の記述をしたことから、国民の関心は「密約」から興味本位の「下半身問題」にすり替えられた。Photo_7
 「密約」は、米国の公文書公開で、その存在が確認されたことから、当時の外務省条約局長も数年前にそれを認めたが、政府はいまだに存在を否定し続けている。外交上の機密というよりも、国民を欺瞞する密約を隠蔽するため新聞記者を逮捕、「そそのかしの罪」として法定で裁くのは、国民の「知る権利」を損ねる問題として問題になったが、女性事務官との関係を暴くという検察の手口に国民もマスコミも、問題のすり替えという検察の罠にはまって、その本質を見失ってしまった。
 「白い巨塔」「大地」「沈まぬ太陽」など一連の社会派長編ドラマを書きつづけた山崎豊子は、「沖縄への強い思いゆえに」と10年の歳月をかけて西山事件を洗い直して、「運命の人」として1700枚の大作を書きあげ、その真相に迫ろうとした。
 この事件を扱った当時の作品、映画には見られない新聞社の内幕、マスコミの取材、政府と検察との癒着などを生々しく描きながら、西山記者を軸にした人間ドラマを展開してゆく。政府・検察の陥穽にはまったまま、男女問題としか捕えていない傾向が強いが、「運命の人」によって、疑惑に満ちた沖縄返還の日米交渉の真相、政府の意のままになる検察の権力の恐ろしさと、危うさを改めて知らされた。

 「運命の人」の中心となる毎朝新聞(毎日新聞)政治部の外務省詰めキャップ・弓成亮太(西山太吉)は、38歳、野心に燃え独特の個性をもち、政治記者として油ののりきった働き盛りである。外務省詰めは2度目で幅広い取材網の人脈を築きあげていた。記者嫌いの外務官僚からも「弓さん」と呼ばれ、親しみと畏敬を持たれる花形だった。
 彼は政治記者の駆け出し"番記者"時代、当時、佐藤政権の官房長官だった大平正芳(のちの首相) に食い込み、緊密な間柄を築きあげていた。外務官僚も、彼の政界への影響力を知って、積極的に近づいてそれにあやかろうとする高級幹部は少なくなかった。
 その中でも、外務省ナンバー2の安西審議官とは7年越しの付き合いで、部屋への出入りもフリーパスだった。キャップとして帰り咲き、審議官室を訪れて、たまたま出会ったのが審議官付きの女性事務官・三木昭子(蓮見喜久子) だった。10年のキャリアーをもち、代々の審議官付きをつとめるベテランで、38歳の既婚とは思えない若さと艶っぽさを漂わせる省内でも評判の美人秘書である。
 彼女は弓成記者のことは知っていたが、会うのは初めてだった。キャリアの高級官僚にはない個性的で精力的に仕事をこなすタイプに関心をもち、積極的に近づくようになった。
 1971年(昭和46年)5月、沖縄返還協定の調印を前に、新聞各社の協定内容をめぐる取材合戦は激化、そのピークに達していた。弓成記者の安西審議官室への出入りも頻繁になり、毎日のように顔を出し三木事務官との接触する機会がふえて親しく口を交わすようになった。上司のお気に入り記者ということもあって、審議官の留守中も招じいれて部屋に入れて、返還基地リストの機密文書を盗み見るチャンスを与えたりした。

 そして請われるまま、日米交渉に関わる機密文書コピーの束をこっそり持ち出して、赤坂見附の政治誌事務所に待っている弓成記者に届けた。文書の束は厚さ15㌢という膨大なもので、中から重要とみられる3通だけ抜きとって返され、彼女はなに食わぬ顔で役所に戻り同僚の男性事務官にも気付かれなかった。その3通が、のちに日米密約として問題になった電信文のコピーである。
 さらに、弓成記者が米国務省の招待で渡米すると、2週間の滞在中に機密文書3 通をワシントンの彼あてに送っている。
 ここまで読んでくると、二人の間には記者の取材常識を越えた異常なものを感じる。弓成記者の三木事務官への接触と機密を流させる方法には、特ダネのためには手段を選ばない強引さと節度に欠けた危険なものがある。一方の三木事務官が、国家公務員法に触れる恐れがある機密漏洩を大胆にやってのけ、なにが彼女をそうさせたのか疑いたくなる。多少の新聞取材経験のある者なら、だれもが首をかしげて疑問を抱くだろう。
 官庁取材では、文書の流れを押さえ、その関門でチェックすれば機密に接して特ダネにすることができる。関門で機密文書の出入りを受渡簿に記入していのは、下級職の女子職員が多く、文書の件名を書き移すだけだから、内容も知らず機密を扱っているという意識に欠ける場合が多い。目端のきく記者なら、予め問題を調べて見当をつけ、機密文書の決裁や稟議にまわされる頃に、それとなく文書の件名だけ尋ねれば、その存在を確認できる。
 三木事務官も秘書歴10年のベテランとはいっても、縁故採用で下級職の「外務省雇い」からスタート、運よく「事務官」試験にパスしただけで仕事の内容や意識は変わっていない。それに、外務省は「機密」書類が圧倒的に多く、安西審議官にまわってくる文書は大半が「極秘」扱いのため、機密にたいする感覚も麻痺、警戒心が緩んでいた。
 彼女が弓成記者に機密文書の束を渡しのも、機密ボケした意識の現れともみられる。

 「バナナ王」と呼ばれ九州一帯を仕切り、一代でのしあがった青果業者の長男に生まれた弓成記者は、稼業を継がす新聞記者を目指して慶応大に進学、箔をつけるため東大大学院で学んだ。毎朝新聞(毎日新聞)に入社、念願の政治部記者としてエリートコースを歩いた。自信家で強引さで政治家に食い込む当時の政治記者の典型的なタイプだった。
 妻の由里子は、逗子に代々続いた素封家の生まれで、父親は銀行員としてロンドン暮らしが長く、温厚な性格から「謙虚さに欠けている」と弓成記者との結婚に反対した。由里子に一目ぼれして2週間後には、いきなり逗子の由利子の家を訪ね、以後、日曜ごとに「ご馳走を戴きに来ました」と、一家の食卓に割り込んで新聞に書かれない政界の裏話などで話題を独占した。「うちの家風には?」と首をかしげていた母親や姉妹も、生まれや育ちが違う彼の精悍でエネルギーに魅了されて結婚に賛成した。
 強引さと自信家を物語る話だが、結婚後も、月給は全部仕事や付き合いに使うからと渡さず、由里子の実家からの援助で豊かな生活を送っていたという。夜討ち、朝駆けの政治記者暮らしで家族揃って食卓を囲むのは稀だったが、子煩悩で深夜に帰宅しても必ず二人の子どもの寝顔を覗き、由里子も愛車で送迎するなど円満な家庭生活だった。野心満々、自信家で精悍な弓成記者からは想像もつかない、家族思いの人柄を物語る隠されたエピソードである。

 さて、彼は三木事務官から、「密約」の存在を示す証拠となる3通の機密電文を手に入れながら、記事にするのを躊躇っていた。本来なら、国家を揺るがす大特ダネとして新聞紙面を飾り得意の絶頂に立っているのに、弓成記者は悩んでいた。
 密約の電文をナマのまま入手したとの報告に、本社の編集局は色めきたった。数日前、返還協定の全文を「朝日」にスクープされていただけに、これでリベンジが出来ると政治部長は興奮気味でデスクも弓成記者に原稿を督促した。弓成記者の態度いまひとつはかばかしくない。日頃、自信満々で精悍な彼らしい面影はなく、表情もいまひとつ冴えなかった。
 ある程度の予測はしていたが、いざ、密約を示すナマの電文を手にすると、その内容と影響力の大きさに弓成記者は身震いした。返還のため土地の復旧費として米国政府が日本に400万ドルを支払うと格好をつけて、その実、15億円もの巨費は日本が米国に支払ってやるという密約は、あまりに酷過ぎる。国民を完全に欺瞞したもので「肩代わりする」などという格好のよいものではない、と九州男児らしい義憤にからていた。
 米国は、ベトナム戦争の失敗で財政は底をついて、1円も払う余裕がないと議会は反対している。そして、日本政府は米国の顔を立てるために、そっくり払ってやるという密約。それなら、最初から土地の復旧費は日本政府が負担したほうがスッキリする。
 日米協定の内容は合意され、1週間後の6月17日には調印式が行われる。
 「入手してから何度、大スクープしてやろと思ったかもしれません。だが、下手に調印式前に書けば、これだけのネタですから、調印式のみならず、沖縄の復帰そのものにさし障りが出てこないかと、ついブレーキがかかってしまって・・」と、弓成記者は苦しい胸のうちを告白、ストレートの記事ではなく、署名入りの解説記事にしたいと懇願した。
 「そこまで考えた上でのことか」と部長は渋々了承したが、「こんな大特ダネをみすみす暖めるとは」とデスクは残念がる。そして、彼が躊躇っている理由をさらに聞かれた。「電信文の日付をみれば分かるように、入手してから8日しか経っていない。5月下旬からの僅かの間に3通すべてを目にすることが出来るのは外務省でもごく一部の者に限られる。電信文をスクープした記事を書けば、ネタ元を危険にさらしかねない」と、ニュースソースの三木事務官への配慮を説明、彼女との約束は破れないと、はじめて真相を明かした。
 結局、署名入りの解説記事にしたが、高揚感が湧いてこない。見出しに「軍用地補償費に疑惑あり」と大きく打ってほしいと整理部に掛け合ったが、裏付けがないと容れられなかった。3面左、8段抜きで大きく扱われたが、決定的な決め手に欠け、翌日、福田外務大臣が国会で「裏取引はありません」と疑惑を否定、手に入れた密約は陽の目をみなかった。

 年が明けて1972年(昭和47年) 2月、弓成記者は外務省詰めキャップから与党・国会担当の永田町クラブのキャップに異動した。出世の階段をひとつ上り、10名の記者を束ねる政治部記者の頂点を極めて、野心家の彼としては得意だったが、昨年、手にいれた沖縄返還をめぐる密約電文を懐に入れたまま、心に引っかかるものを抱えていた。
 国会では沖縄返還問題を野党が追及していたが。決め手がなく攻めあぐんでいた。前年の11月、社会党の横溝議員が弓成の解説記事に関心をみせて接触してきた。そのとき、密約の電文コピーをみせただけで別れた。そして、3月27日、衆院審議の最終日を1日残して、このまま密約電文に陽の目を当てず、歴史の裏側に埋没させてしまうよりは、有効に活かそうと決断、社会党担当を通して横溝議員に電文を渡した。
 予算委員会で横溝議員は、慎重に扱ってほしいという弓成記者の要望にもかかわらず、3通の密約電信文をナマのまま政府に突き付け、日付まで明かしてしまった。政府は困惑、言い逃れ答弁に窮して、外務省アメリカ局長は「保管してある電文と照合したいからと、議員席にきて電文を覗きこみ、すばやく文書回覧者の欄を読み取った。
 中二階の記者席で傍聴していた弓成記者は、唖然として声を上げそうになった。これをもとに外務省では密約漏洩の犯人探しが始まり、彼に文書を流した三木事務官に査問の手がまわることになる。
 ニュースソースを秘匿するため懸命になり、記事に書くのも拒んできた弓成記者の努力も空しく水泡のように消えたのは、思わぬ誤算だった。

 自分には犯人探しの手は及ばないと楽観していた三木事務官は、安西審議官付きの同僚事務官が人事課に査問されてから慌てて、弓成記者に3通の密約電文コピーを渡した当時の文書受渡簿だけを焼却処分して証拠隠滅をはかった。女の浅知恵でした受渡簿焼却が逆に彼女が犯人である証拠となって、彼女は機密漏洩の張本人として摘発され、弓成記者に機密の密約電文を渡したことを告白し、夫ともに警視庁に出頭した。
 4月4日、警視庁は三木事務官の供述により、弓成記者を国家公務員法違反の機密漏洩容疑て出頭を求め、その夜、逮捕した。これを機に、「西山事件」が暴かれたのである。
 弓成逮捕に対して毎朝新聞はじめ、マスコミは筆を揃えて「知る権利」の妨害、「政治逮捕」として検察批判のキャンペーン展開した。外務省職員から機密電信文を入手したからといって、国家公務員法違反で引っかけるのは卑劣だ。新聞記者の取材は、聞きだしたい情法を知る立場にある人間に対しては誰であれ、ありとあるゆる方法で接近して、政治家や官僚の机の引き出しを覗いて書類の盗み見をするする位の心意気がなければ、真実に迫る報道はできない、といった論旨で「弓成逮捕の不当」を国民に訴えた。
 「為政者に都合の悪いことは書くべからず。書いた者はこうなると、まさに見せしめ逮捕だ」と、新聞界の怒りが爆発、マスコミ対政府・検察の戦いへと発展する様相をみせて、一般の世論も同調し、連日のようにキャンペンが展開された。

 ところが、4月15日、東京地検は二人を起訴。、起訴状のなかで「弓成は三木とひそかに情を通じ、これを利用して三木に外交関係秘密文書ないしその写しを持ち出させて記事の取材をしようと企て・・」と、はじめて男女関係にあったことを公開にする挙に出た。
 「ひそかに情を通じてのくだりは、余事記載とはないか」と毎朝側は反発した。「余事記載」とは、「起訴状には犯罪の構成要件以外には触れてはならない」という決まり事である。「その点は内部でも議論を重ねたが、本件では弓成被告が三木被告を意のままに動かしたこど主要な要素で、余事記載に当たらない」と、検察側は答えた。
 密約の機密漏洩を裁くよりも、検察は弓成記者を最初からターゲットにしていたのである。その裏には佐藤政権をめぐる政権交代の自民党内の抗争があり、大平派に密着して主導権争いに影響を及ぼしていた弓成憎しという気持ちが佐藤首相にあった。
 機密漏洩に弓成記者が関わっていると聞かされた佐藤首相は、十時警察庁長官に指示して「弓成退治」を命じた。検察もそれを受けて動いたのである。機密を漏らした三木事務官は、検察側にとっては弓成退治のため、男女関係を証言させて彼を追い込む絶好の道具だった。それを知らない彼女は裏切られた男への復讐という

    

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5月 09, 2009

風光る五月の庭

 若緑がキラキラ輝いて風が光っている。花の季節が終わった若葉が輝く五月の庭は、一年でもっとも美しい。瑞々しさのなかに、新しい生命力が溢れている。そんな五月の庭が好きだ。

 猫の額ほどの狭い庭も、この季節には広くみえるから不思議である。丸く刈り込んだ笠のよう枝をなん段にも重ねた柘植(つげ)の若緑は格別である。高さは3㍍ほど、幹からのびた枝は半球状になって、その先に小さな葉をつける。40年になるが高さは当時のままで伸びず横に張り出す枝も変わらない。葉だけが、毎年、新しい
芽を出して新陳代謝を繰り返している。

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 年に2回、植木屋が枝の剪定をして形を整えるが、その跡に一斉に吹きだす新芽の美しさは圧巻である。正月前に形を整えるため剪定した葉が、五月になって一斉に若緑に芽吹く。
 柘植の葉は対生で、丸くて硬い。材は黄褐色で極めて緻密のため、印材、版木、将棋の駒、櫛などに利用されている。高級品としての用途に限られ、将棋の駒も代用品が普及し、今ではプロの棋戦に利用される程度となった。ツゲ材の製品は高価で工芸品としの価値も出てきた。
 その影響からか、高級な庭木とされ、垣根としてもっぱら利用されたものが、庭を引き立てるための中高木として珍重されるようになった。庭木用の低木性の「松」は格が高いが、狭い庭には不釣り合いのほか、形を整える手入れが大変なため柘植や槇がその代用として植えられた。
 わが家の柘植も、そうした当時の流行から石材の門を飾るため、その脇に植えられた。いまは、そうした流行も廃れて、柘植の垣根は姿を消し、庭に植える家も少なくなった。半球状に整えられた梢に芽吹く若葉の魅力は格別である。005_3

 柘植の脇でひと際高くのびて、分厚な幅広の葉を輝かせているのが、モッコクである。モッコクは高さ15mになる常緑の中高木。千葉県以西の温暖な地域にに生育し、南西諸島から中国・東南アジア・亜熱帯に分布する。
   葉は長さ3~7cm。鋸歯はなく、厚くて表面は滑らかで、裏面にも葉脈はほとんどみられない。葉柄は紅紫色を帯びる場合が多く、暗い林の中に生育するものでは赤味を帯びないこともあるという。
 庭木にもよく用いられ、根元にセンリョウやマンリョウを寄せ植えして「千両万両持ち込む」と読ませたりする、と図鑑に説明があるとおり葉は輝き、とくに若葉の美しさは圧巻である。09_003
 「真木」とよばれ庭木の核となる中心的な存在として、値も高く、植木屋自慢の木だった。ところが、花も滅多に咲かずに大きく成長するだけの変哲のなさに不満だった。こんな木がなぜ珍重がられるか不思議で、隣近所でも植える家は少なかった。中透きをしないと、鬱とおしくなって虫もつきやすいが、若い植木屋は自信がないのか、混み合った中の枝を切り落とさず表面の形を整えるだけである。
 若葉の頃が、この木の出番で、やや大ぶりぶ分厚な葉がキラキラ輝いて風に揺れる様は、まさに風光るそのものである。「真木」とよばれて格は高いが、素人目には葉が茂るだけの面白味のない木と思って、なんどか他の木に植えかえようとしたが、これだけのモッコクは勿体ないと賛成されなかった。
 玄人好みの木で、若葉の頃しか楽しめないので、つい邪慳に扱いたくなってしまう。神社や寺の境内には、モッコクの大木があるので、植木屋のいうことを聞いてそのまま残した。

 大きな石に這うように松を植えたが、いま新芽が棒のように立っている。そろそろ芽かきをしないいけないが、これも素人の手には負えない。それと、針のよう葉を透いて揃えるのも大変である。わが家の庭樹のなかでは、もっとも金かかかる"金食い虫"である。先日まで松の下でスズランが白い釣鐘のような清楚な花を咲かせていた。北海道の友人から贈られたもので、贈り主はすでに鬼籍にはいって久しいが、花だけはいもま毎年、咲かせてくれる。
  庭の若緑も、五月中旬には緑の濃い新緑となって瑞々しさが薄れてゆく。花の命は短いが、若葉の寿命もそう長くはない。いまのうちに楽しもうと、庭に出ては木々に感謝の声をかけるのが日課のようになった。 

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