映画「真夏のオリオン」を観て
第二次世界大戦末期、米軍の本土上陸を阻止するため出撃した潜水艦と、それを追い詰める米駆逐艦との激烈な海戦の影に隠された戦争ドラマが、64年ぶりにアメリカから届けられた一枚の楽譜から明らかにされた。その名は「真夏のオリオン」、青年潜水艦長が恋人から"お守り"として出撃前に贈られたものだった。
「亡国のイージス」「終戦のローレライ」の海戦映画でヒットした福井晴敏の監修による映画「真夏のオリオン」が公開された。特攻など戦争で散っていった兵士たちの鎮魂、軍国日本への反省などが主流となっていた戦争映画のパターンから脱したヒューマンな人間ドラマを主軸にし、さらにロマンを加味したストーリイは、いままでの戦争映画には見られない一種の爽快感と斬新さを感じさせた。
1945年8月3日、30歳になっばかりの倉本孝行海軍少佐(玉木宏)は、潜水艦イー77号の艦長として、米軍の補給路遮断作戦のため5隻の潜水艦と共に呉を出港、沖縄沖へ向かった。同行のイー81号潜水艦の有沢義彦艦長は、倉本と海軍兵学校同期の親友で、ともに27歳の若さで潜水艦長になった俊英である。
東京は下町の商家に生まれた倉本。有沢は鹿児島の、代々海軍士官を務める厳格な海軍一家に育った。兵学校同期125名の首席に近い成績の有沢は、海軍中枢の軍令部入りのエリートコースを約束されいたが、潜水艦乗務を望んでわざと試験を落として成績順をさげた。
倉本は、兵学校入学当初から頑なに潜水艦乗りを志望していた。戦艦や巡洋艦は艦長といっても、作戦行動中は連合艦隊司令部の命令に従わなくてはならない。その点、潜水艦は一艦で秘密裏に行動するのが基本で、一度港を離れれば艦長は誰からの指図も受けずに独自の行動ができる。その独立性と自由が倉本にとって大きな魅力だった。
そんな二人は意気投合、戦艦大和が東シナ海で撃沈され連合艦隊が消滅してから、海の一匹狼として暴れまわり米国の艦船攻撃を仕掛けることを生甲斐として親交を深めていった。ピアノが好きで音楽の道を志して親元を離れ、兄を頼ってきた有沢の妹、志津子(北川景子)は音楽学校を辞めて瀬戸内を望む家で戦災孤児の面倒をみていた。兄の親友である倉本にひそかに想いを寄せ、沖縄への出撃前夜、「必ず生きて帰ってきてください。お守りです」と渡した一枚の楽譜、自作の「真夏のオリオン」が、倉本艦長をはじめ94名の乗組員の命を救い、対戦相手の米駆逐艦長を感動させるドラマのキーワードになった。
オリオンの星座は、冬はよく見えるが、「真夏に輝けば、この上ない吉兆」と、船乗りの間では昔から信じられていた。オリオンはギリシャ神話の海神ポセイドンの子で、水上を歩く能力を授かった狩人。その巨人が棍棒を振り上げる姿が星座の形になっている。古代の船乗りにとって、この3つの星は航海の重要な目印だった。現在も、航路を見失い、道に迷う船乗りには、自分の居場所を教えてくれる守り神とされている。海軍一家に育った志津子は、海の守り神としてのオリオンを知っており、「迷わずにきっと帰ってきてください」と、倉本に自作の詩を添えた楽譜を渡した。
出港してから8日目の8月11日、倉本のイー77号は、はじめて作戦地域に入った。低気圧の接近で海は大荒れの中、潜望鏡は敵の石油タンカー2隻と護衛駆逐艦の船団の姿をとらえた。「総員戦闘配置」警報ブザーの音が鳴り響き、上官たちの怒声が飛び交うなか乗員たちは一斉に持ち場に走る。
先行していた他の4隻の潜水艦による防衛線は敵に突破されたのか。親友の有沢艦長のイー81号も仕留められなかったかという不安が倉本の脳裏をよぎる。それを押しのけるように「魚雷戦用意」を発令、4本の魚雷を次々に発射した。だが、発射後3分過ぎても、4本の魚雷は沈黙を続け雷撃は失敗に終わった。
失敗すると、敵の駆逐艦に77号の存在が知られて爆雷攻撃で逆襲される。倉本は即座に急速潜航を命じて敵の追及から逃れた。敵駆逐艦からの不気味な探信音がピーン、ビーンと77号の艦体をノックしはじめた。一刻も早く、この海域を離脱しないと危ない。攻守逆転である。倉本は一転して大胆な行動をとり、追ってくる敵駆逐艦の真下を潜りぬけ、また潜望鏡震度まで浮上して再び魚雷攻撃に出た。駆逐艦は完全に裏をかかれ、タンカー2隻に魚雷が命中して炎上、イー77号を追うのをやめてタンカー乗組員救助に引き返した。
倉本の作戦は成功したが、タンカーを仕留めるのに8本の魚雷を使ってしまった。物資不足で14本の魚雷しか搭載できなかったので、残りはわずか6本しかない。これからの作戦を考えると、戦果はあったものの効率のよい戦いとは言えなかった。艦長の苦悩をみて、乗り組んでいた特攻兵器の人間魚雷「回天」の搭乗員たちが、「回天なら一艇で一隻は沈められます」と出動を申し出た。
回天は"地獄の兵器"といわれる特攻魚雷で、高性能の爆薬を積んで搭乗員もろとも敵艦の体当たりして撃沈させる。米軍も「KAITEN」とよんで恐れていた。潜水艦に4艇の回天が搭載され、その発動権限は艦長に任されていた。
倉本は、「生きのびて帰ってくるために戦う、死ぬために戦ってはならない」と、常々、口にして「若い命を犠牲にしたくない」と、いままでの作戦では一度も回天の発動を許さなかった。「死ぬために」猛訓練させられてきた回天搭乗員たちの間でも、倉本の存在はよく知られていた。
潜望鏡を覗きながら「もったいないでしょう」と、回天搭乗員の申し出を倉本はさりげなく交わす。「出撃する機会も与えられず、このまま生き恥をさらす身にもなってください」という悲痛な訴えにも、瞬きひとつすることもなく搭乗員と見つめあって「ああ、実にもつたいない」と繰り返すだけで多くを語らない。
倉本は生粋の海軍士官として、命を無駄に扱う特攻作戦に反対した。終末兵器とさる回天の使用にも、表だって海軍首脳部の指示に背かずに「回天を使う状況に遭遇しない」と、自分の判断を述べるだけで軽くかわしていた。
倉本のイー77号潜水艦は、こんどの沖縄作戦に参加する前に、すでに13隻の米軍タンカーを撃沈していた。この戦いで新たに2隻のタンカーに魚雷を命中させ、合計15隻のタンカーを1年半の間に葬っている。
タンカーに魚雷を命中炎上させた直後、倉本は突如、近くの海上に潜水艦を浮上させて、敵にその姿をさらす大胆な作戦に出た。敵駆逐艦の砲撃を浴びない射程距離外であることを計算に入れての浮上で、魚雷攻撃で駆逐艦を撃沈させる絶好のチャンスだった。沈みかけたタンカーからの乗員救助中のため、国際ルールに従って水雷攻撃をせずに潜航、現場を離れた。
戦争末期で、食うか食われるか、国際ルールなど無視して戦闘する中での倉本の行動に米駆逐艦長も感動、好敵手として勝負することを決意する。米駆逐艦もこの作戦で、すでに倉本の親友である有沢艦長のイー81号など4隻の潜水艦を海の底に沈めており、日本のイ-77号潜水艦と米国の766号駆逐艦の秘術を尽くした虚虚実実の激戦を迎えるクライマックスシーンが、スクリーンに展開される。
米駆逐艦は、かすかなスクリューやエンジンの音をたよりに倉本の潜水艦の位置を探りながら執拗に迫ってくる。イー77号は潜航と浮上を繰り返しながら敵の追及をかわし、残った魚雷6本を注ぎ込んで駆逐艦攻撃の最後の決戦にでた。
魚雷発射には、深海から適正深度まで浮上しなくてはならない。敵に発見される危険を伴う賭けだった。倉本は深度20㍍まで一気に浮上、潜望鏡を覗くと、レンズを洗う波の彼方に艦ナンバー「766」、灰色の艦体がくっきりみえた。間一髪、「撃て!」と号令、残り全部の魚雷を20秒間隔で発射させた。続いて起きた爆裂音に「命中」と艦内はわいたが、潜望鏡には敵駆逐艦の健在な姿が映り、魚雷攻撃は完全に交わされ失敗とわかった。
敵もさるもの、魚雷を発見すると、とつさに爆雷を浅深度で爆発させて魚雷の進路を変えて交わしたのである。命中と思わせた爆裂音は駆逐艦が投下した爆雷の音だった。乗員たちから深いため息がもれた。
イー77号潜水艦は急速潜航が間に合わず、迫ってくる敵駆逐艦の真下に潜り込んだが、艦尾が敵艦の海底部に接触して潜航舵が破損、制御不能に陥った。頭から海底に突っ込む形でふらふらと海中を沈降してゆく。深度計の針はみるみるうちに振れ、30㍍・・40㍍・・50㍍・・と沈降が止まらない。いったんは、バラストタンクの排水で沈降速度が緩んだが、それも束の間、80㍍・・90㍍・・と沈降を続け、ついに安全潜航深度の100㍍を越えた。
警告を発するように艦内の電球がパリン、パリンと乾いた音をたてて次々に割れてゆく。思わず乗組員たちから怯えるような声が漏れた。映画でみていると、最悪の事態を実感させられて怯えてしまう。
110・・・120・・・130・・。倉本艦長は、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせたが、油圧がかからないから、沈降をとめる手段はない。「魚雷発射室浸水」「送油管損傷」と悲鳴があがる。機械のメーター類を覆っている厚いガラスが、次々に割れてメーターが剥き出しになる。165・・・170・・・とイー77号は沈みづける。ついに180㍍を越えた。いつ潜水艦が圧潰しても不思議ではない。
185・・・190・・・激しい衝撃が艦を襲った。前方に投げ出され、装備類、壁、防水扉に叩きつけられた乗員たちから悲鳴と呻き声がおがった。そして、沈降が止まった。深度計は190㍍を指したまま針は止まっていた。
海底に着いたまま、イー77号は救われた。まさに天佑だった。安全深度を90㍍も越えながら、依然として水圧に耐え続けている艦体を倉本は頼もしげ仰いだ。
倉本は海底から脱出するための艦内復旧作業を急がせた。海底に着低してから、すでに12時間を経過、艦内の酸素も限界に達していた。そこで、特攻の「回天」からの酸素放出を決断、充満した炭酸ガス濃度を少しでも少なくして、機関や魚雷発射の復旧に当たらせた。「回天」から酸素放出に踏み切った潜水艦長は例がなく、"悪魔の兵器"といわれる特攻兵器を潰して、乗員を生きて帰そうとする信念を物語っていた。その「回天」からの酸素放出も限界になり、2隻目の回天に手をつけなくてはならぬ緊急事態に追い込まれていた。
回天に搭乗する特攻隊員4人が、倉本を囲んで「艦長、われわれが行きます」と出撃許可を迫った。前にも「もつたいない」と彼らの要請を断ったが、生還の可能性が薄い海底に釘付けになったままという深刻な状況である。
倉本は「まだ魚雷が1本残っている」と、暗に回天の出撃拒否を仄めかして、特攻隊員らと沈黙のまま対峙した。その隙に一番若い20代の特攻隊員が、回天3号艇に通ずるラッタルを懸命に駆けのぼって、無断で出撃しようとした騒ぎがあった。倉本は、「いいか、俺たちは死ぬために戦っているんじゃない。生きるために戦っているんだ」「人間は兵器じゃない。たった一つの命だ」と、諭すように説得した。こうした「生きるため」という倉本の説得は、潜水艦の乗員たちにも伝わって海底から脱出するための復旧作業がはかどり、奇跡的に艦の修復は終わった。
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