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6月 19, 2009

映画「真夏のオリオン」を観て

 第二次世界大戦末期、米軍の本土上陸を阻止するため出撃した潜水艦と、それを追い詰める米駆逐艦との激烈な海戦の影に隠された戦争ドラマが、64年ぶりにアメリカから届けられた一枚の楽譜から明らかにされた。その名は「真夏のオリオン」、青年潜水艦長が恋人から"お守り"として出撃前に贈られたものだった。

 「亡国のイージス」「終戦のローレライ」の海戦映画でヒットした福井晴敏の監修による映画「真夏のオリオン」が公開された。特攻など戦争で散っていった兵士たちの鎮魂、軍国日本への反省などが主流となっていた戦争映画のパターンから脱したヒューマンな人間ドラマを主軸にし、さらにロマンを加味したストーリイは、いままでの戦争映画には見られない一種の爽快感と斬新さを感じさせた。0002_3

 1945年8月3日、30歳になっばかりの倉本孝行海軍少佐(玉木宏)は、潜水艦イー77号の艦長として、米軍の補給路遮断作戦のため5隻の潜水艦と共に呉を出港、沖縄沖へ向かった。同行のイー81号潜水艦の有沢義彦艦長は、倉本と海軍兵学校同期の親友で、ともに27歳の若さで潜水艦長になった俊英である。
 東京は下町の商家に生まれた倉本。有沢は鹿児島の、代々海軍士官を務める厳格な海軍一家に育った。兵学校同期125名の首席に近い成績の有沢は、海軍中枢の軍令部入りのエリートコースを約束されいたが、潜水艦乗務を望んでわざと試験を落として成績順をさげた。
 倉本は、兵学校入学当初から頑なに潜水艦乗りを志望していた。戦艦や巡洋艦は艦長といっても、作戦行動中は連合艦隊司令部の命令に従わなくてはならない。その点、潜水艦は一艦で秘密裏に行動するのが基本で、一度港を離れれば艦長は誰からの指図も受けずに独自の行動ができる。その独立性と自由が倉本にとって大きな魅力だった。

 そんな二人は意気投合、戦艦大和が東シナ海で撃沈され連合艦隊が消滅してから、海の一匹狼として暴れまわり米国の艦船攻撃を仕掛けることを生甲斐として親交を深めていった。ピアノが好きで音楽の道を志して親元を離れ、兄を頼ってきた有沢の妹、志津子(北川景子)は音楽学校を辞めて瀬戸内を望む家で戦災孤児の面倒をみていた。兄の親友である倉本にひそかに想いを寄せ、沖縄への出撃前夜、「必ず生きて帰ってきてください。お守りです」と渡した一枚の楽譜、自作の「真夏のオリオン」が、倉本艦長をはじめ94名の乗組員の命を救い、対戦相手の米駆逐艦長を感動させるドラマのキーワードになった。
 オリオンの星座は、冬はよく見えるが、「真夏に輝けば、この上ない吉兆」と、船乗りの間では昔から信じられていた。オリオンはギリシャ神話の海神ポセイドンの子で、水上を歩く能力を授かった狩人。その巨人が棍棒を振り上げる姿が星座の形になっている。古代の船乗りにとって、この3つの星は航海の重要な目印だった。現在も、航路を見失い、道に迷う船乗りには、自分の居場所を教えてくれる守り神とされている。海軍一家に育った志津子は、海の守り神としてのオリオンを知っており、「迷わずにきっと帰ってきてください」と、倉本に自作の詩を添えた楽譜を渡した。

 出港してから8日目の8月11日、倉本のイー77号は、はじめて作戦地域に入った。低気圧の接近で海は大荒れの中、潜望鏡は敵の石油タンカー2隻と護衛駆逐艦の船団の姿をとらえた。「総員戦闘配置」警報ブザーの音が鳴り響き、上官たちの怒声が飛び交うなか乗員たちは一斉に持ち場に走る。
 先行していた他の4隻の潜水艦による防衛線は敵に突破されたのか。親友の有沢艦長のイー81号も仕留められなかったかという不安が倉本の脳裏をよぎる。それを押しのけるように「魚雷戦用意」を発令、4本の魚雷を次々に発射した。だが、発射後3分過ぎても、4本の魚雷は沈黙を続け雷撃は失敗に終わった。
 失敗すると、敵の駆逐艦に77号の存在が知られて爆雷攻撃で逆襲される。倉本は即座に急速潜航を命じて敵の追及から逃れた。敵駆逐艦からの不気味な探信音がピーン、ビーンと77号の艦体をノックしはじめた。一刻も早く、この海域を離脱しないと危ない。攻守逆転である。倉本は一転して大胆な行動をとり、追ってくる敵駆逐艦の真下を潜りぬけ、また潜望鏡震度まで浮上して再び魚雷攻撃に出た。駆逐艦は完全に裏をかかれ、タンカー2隻に魚雷が命中して炎上、イー77号を追うのをやめてタンカー乗組員救助に引き返した。
 倉本の作戦は成功したが、タンカーを仕留めるのに8本の魚雷を使ってしまった。物資不足で14本の魚雷しか搭載できなかったので、残りはわずか6本しかない。これからの作戦を考えると、戦果はあったものの効率のよい戦いとは言えなかった。艦長の苦悩をみて、乗り組んでいた特攻兵器の人間魚雷「回天」の搭乗員たちが、「回天なら一艇で一隻は沈められます」と出動を申し出た。

 回天は"地獄の兵器"といわれる特攻魚雷で、高性能の爆薬を積んで搭乗員もろとも敵艦の体当たりして撃沈させる。米軍も「KAITEN」とよんで恐れていた。潜水艦に4艇の回天が搭載され、その発動権限は艦長に任されていた。
 倉本は、「生きのびて帰ってくるために戦う、死ぬために戦ってはならない」と、常々、口にして「若い命を犠牲にしたくない」と、いままでの作戦では一度も回天の発動を許さなかった。「死ぬために」猛訓練させられてきた回天搭乗員たちの間でも、倉本の存在はよく知られていた。
 潜望鏡を覗きながら「もったいないでしょう」と、回天搭乗員の申し出を倉本はさりげなく交わす。「出撃する機会も与えられず、このまま生き恥をさらす身にもなってください」という悲痛な訴えにも、瞬きひとつすることもなく搭乗員と見つめあって「ああ、実にもつたいない」と繰り返すだけで多くを語らない。
 倉本は生粋の海軍士官として、命を無駄に扱う特攻作戦に反対した。終末兵器とさる回天の使用にも、表だって海軍首脳部の指示に背かずに「回天を使う状況に遭遇しない」と、自分の判断を述べるだけで軽くかわしていた。

 倉本のイー77号潜水艦は、こんどの沖縄作戦に参加する前に、すでに13隻の米軍タンカーを撃沈していた。この戦いで新たに2隻のタンカーに魚雷を命中させ、合計15隻のタンカーを1年半の間に葬っている。
 タンカーに魚雷を命中炎上させた直後、倉本は突如、近くの海上に潜水艦を浮上させて、敵にその姿をさらす大胆な作戦に出た。敵駆逐艦の砲撃を浴びない射程距離外であることを計算に入れての浮上で、魚雷攻撃で駆逐艦を撃沈させる絶好のチャンスだった。沈みかけたタンカーからの乗員救助中のため、国際ルールに従って水雷攻撃をせずに潜航、現場を離れた。
 戦争末期で、食うか食われるか、国際ルールなど無視して戦闘する中での倉本の行動に米駆逐艦長も感動、好敵手として勝負することを決意する。米駆逐艦もこの作戦で、すでに倉本の親友である有沢艦長のイー81号など4
隻の潜水艦を海の底に沈めており、日本のイ-77号潜水艦と米国の766号駆逐艦の秘術を尽くした虚虚実実の激戦を迎えるクライマックスシーンが、スクリーンに展開される。
 米駆逐艦は、かすかなスクリューやエンジンの音をたよりに倉本の潜水艦の位置を探りながら執拗に迫ってくる。イー77号は潜航と浮上を繰り返しながら敵の追及をかわし、残った魚雷6本を注ぎ込んで駆逐艦攻撃の最後の決戦にでた。
 魚雷発射には、深海から適正深度まで浮上しなくてはならない。敵に発見される危険を伴う賭けだった。倉本は深度20㍍まで一気に浮上、潜望鏡を覗くと、レンズを洗う波の彼方に艦ナンバー「766」、灰色の艦体がくっきりみえた。間一髪、「撃て!」と号令、残り全部の魚雷を20秒間隔で発射させた。続いて起きた爆裂音に「命中」と艦内はわいたが、潜望鏡には敵駆逐艦の健在な姿が映り、魚雷攻撃は完全に交わされ失敗とわかった。
 敵もさるもの、魚雷を発見すると、とつさに爆雷を浅深度で爆発させて魚雷の進路を変えて交わしたのである。命中と思わせた爆裂音は駆逐艦が投下した爆雷の音だった。乗員たちから深いため息がもれた。

 イー77号潜水艦は急速潜航が間に合わず、迫ってくる敵駆逐艦の真下に潜り込んだが、艦尾が敵艦の海底部に接触して潜航舵が破損、制御不能に陥った。頭から海底に突っ込む形でふらふらと海中を沈降してゆく。深度計の針はみるみるうちに振れ、30㍍・・40㍍・・50㍍・・と沈降が止まらない。いったんは、バラストタンクの排水で沈降速度が緩んだが、それも束の間、80㍍・・90㍍・・と沈降を続け、ついに安全潜航深度の100㍍を越えた。
 警告を発するように艦内の電球がパリン、パリンと乾いた音をたてて次々に割れてゆく。思わず乗組員たちから怯えるような声が漏れた。映画でみていると、最悪の事態を実感させられて怯えてしまう。
 110・・・120・・・130・・。倉本艦長は、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせたが、油圧がかからないから、沈降をとめる手段はない。「魚雷発射室浸水」「送油管損傷」と悲鳴があがる。機械のメーター類を覆っている厚いガラスが、次々に割れてメーターが剥き出しになる。165・・・170・・・とイー77号は沈みづける。ついに180㍍を越えた。いつ潜水艦が圧潰しても不思議ではない。
 185・・・190・・・激しい衝撃が艦を襲った。前方に投げ出され、装備類、壁、防水扉に叩きつけられた乗員たちから悲鳴と呻き声がおがった。そして、沈降が止まった。深度計は190㍍を指したまま針は止まっていた。
 海底に着いたまま、イー77号は救われた。まさに天佑だった。安全深度を90㍍も越えながら、依然として水圧に耐え続けている艦体を倉本は頼もしげ仰いだ。

  倉本は海底から脱出するための艦内復旧作業を急がせた。海底に着低してから、すでに12時間を経過、艦内の酸素も限界に達していた。そこで、特攻の「回天」からの酸素放出を決断、充満した炭酸ガス濃度を少しでも少なくして、機関や魚雷発射の復旧に当たらせた。「回天」から酸素放出に踏み切った潜水艦長は例がなく、"悪魔の兵器"といわれる特攻兵器を潰して、乗員を生きて帰そうとする信念を物語っていた。その「回天」からの酸素放出も限界になり、2隻目の回天に手をつけなくてはならぬ緊急事態に追い込まれていた。
 回天に搭乗する特攻隊員4人が、倉本を囲んで「艦長、われわれが行きます」と出撃許可を迫った。前にも「もつたいない」と彼らの要請を断ったが、生還の可能性が薄い海底に釘付けになったままという深刻な状況である。
 倉本は「まだ魚雷が1本残っている」と、暗に回天の出撃拒否を仄めかして、特攻隊員らと沈黙のまま対峙した。その隙に一番若い20代の特攻隊員が、回天3号艇に通ずるラッタルを懸命に駆けのぼって、無断で出撃しようとした騒ぎがあった
。倉本は、「いいか、俺たちは死ぬために戦っているんじゃない。生きるために戦っているんだ」「人間は兵器じゃない。たった一つの命だ」と、諭すように説得した。こうした「生きるため」という倉本の説得は、潜水艦の乗員たちにも伝わって海底から脱出するための復旧作業がはかどり、奇跡的に艦の修復は終わった。

 

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6月 06, 2009

「女」の「オバさん」化

 日本女性の平均寿命は86歳にのびた。男性は79歳というから、女性はますます長生きして元気になり、女ならではの国も女性天国ならぬ"オバさん天国"になりそうだ。街や展覧会などには、中高年女性が溢れてそのパワーに圧倒されるがちである。
 いま評判の脳科学者・茂木健一郎氏が近著「化粧する脳」(集英社新書)の中で、「女」の「オバさん」化について書いていた。面白い観察とおもったので、その一部を紹介しよう。

 「世の女性はその実質において「女」と「オバさん」に分かれているように思う.。若さとか、見せかけの問題ではない。
 隠すのが上手い女性が「女」である。ところが、女性は「オバさん」化してしまうと、「隠す/見せる」のコントラストを欠いてしまう。それは顔や化粧の問題ではない。「言動」の問題である。時も場所も選ばず、何事も包み隠すことをしなくなってしまうのだ。僕はこれを「無意識の垂れ流し」と名付けている。
 おそらく、「女」も「オバさん」も思っていること、感じていることの「総量」は、そう違わない筈だ。しかし、「オバさん」は思ったことを片っ端から口にしてしまう。その一方で、「女」は口数が少ない。心に思ったことのうち何を表出するかを考え、言葉を選ぶからだ。たとえば、大勢の人の集まる場所で、冷房の効きが悪いとか蒸し暑かったとする。そんな場面で「オバさん」は、会場に入ったとたん、声をあげてしまう。
 「あー、暑いわね、暑い、暑いわよねえ、暑い、暑い。クーラーが壊れているのかしら。喉渇くわよね。ほんと暑い。窓、開けたほうがいいかしらね・・」と。
 このように、思ったことを逐一言われ続けると、同席者にとってはノイズになってしまう。周りは聴こえぬふりでもしてやり過ごすしかなくなる。「いちばん暑苦しいのは誰だ?」と心の中で呟きながら。Photo_2
 「女」は思ったことのすべてを口にしようとはしない。だから、「この部屋、暑いですね」と一言いったとたん、周りの男性たちはそわそわしはじめる。「何か冷たい飲物を持ってこようか?」「窓を開けようか?」。(中略)
 男はこういう状況になると、いてもたってもいられなくなる。彼女が発した「暑いですね」の一言の真意を探ろうと、必死になってしまう。要は発した言葉に駆り立てられるのではない。隠された言葉に駆り立てられるのだ」

 週に3回ほど、運動不足解消と股関節痛のリハビリをかねて、フィットネスクラブに通っている。ジムでマシンを使う筋トレのほかプールで水中歩行をしているが、オバさんラッシュに辟易させられている。若い女性よりも、時間がたっぶりある中高年女性が多く、なかにはクラブに通うのを日課にして、一日を過ごす女性もいる。
 朝一番に来て、午前中はジムで過ごし、エアロビグス、ヨガなどの教室をハシゴした後、午後はプールで水中ウォークやアクア、そして最後は入浴してさっぱりして帰る、といったパターンが多い。昼ごろになると、ロビーで彼女たちはお握りや弁当を広げて"会食"をはじめる。男性は座る場所もなく隅で小さくなっている。人の集まるロビーで平気でお握りをほうばる無神経さに呆れ、決められた場所以外では人前ではものを口にしないエチケットなどまったくないのに驚く。
 それに、迷惑なのは、プールの水中歩行コースで、立ち止まってお喋りしている。一定の速度で歩く人にとっては、リズムを狂わされて運動にならない。水中歩行は話しながら歩くくらいの速度でといわれているが、立ち止まったままのお喋りは傍若無人である。
 ほとんどが「オバさん」で、「女」を卒業した人たちだが、たまにコーチが注意しても平気でお喋りしている。運動をしにきているのか、お喋りをしにきていのか分からない。
 ある友人が講演を聞きにいったら、後ろの席にいたオバさんグループが、講師の話にいちいち頷く声が耳について集中できなかった、と話していた。彼女たちは真剣になって耳を傾けて相槌をうっているのだろうが、まわりの人にはノイズになってしまう。

 茂木センセイも、オバさんパワーに迷惑と感じたことがあるのだろう。化粧は周りの人を意識して他の人の視線を受け入れるかたちで自分を磨く。そのことの深い意味が、近年の脳科学の研究の中から浮かび上がってきた。化粧は人間の社会性の象徴である、と述べている。そうした難しい話はともかく、化粧は、隠すところはファンデーションなどで隠し、顔の表情に反映しやすい唇や目元などはアピールする。この「見せる/隠す」のコントラストが顔の美しさを生んでいると、解説しているのは、だれも理解できるだろう。
 いずれしろ、他の人の視線を意識することから、隠す、見せるという言動が生まれてくる。女性がある年齢に達すると、化粧はするものの「隠す」という意識が次第に薄れて、周りの人の視線を意識する度合が減ってくる。だから、万事が大っぴらになって、傍迷惑も考えずに行動する。こうなると、もう「女」ではなくなって「オバさん」化すいうのが茂木説である。
 「自分の言動を選択し洗練させることで、「女」は男性を惹きつける。これは、化粧と同じである。自分の言動も隠すところは隠し、見せるところは見せる。このコントラストをつくれるだけでずっと美しくなれる」と、茂木氏は結んでいる。
 これは、年齢に関係なく、自分は「女」と思っている女性でも、その言動によっては、すでに「オバさん」化していることになり、すでに男性を惹きつけることに関心がなくなった女性でも、「女」であリ得ることを意味している。女性はいつまでも「女」であってほしい。

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6月 02, 2009

山崎豊子「運命の人」佳境へ

 沖縄返還をめぐる日米密約漏洩事件をモデルにした山崎豊子「運命の人」(全4巻・文芸春秋社)は、好評裡に第3巻が発売された。毎日新聞の西山太吉記者が密約電文をスクープ、それにかかわった外務省の女性事務官とともに逮捕、起訴された「西山事件」の経緯を克明に描いてきた第1、2巻から、問題の核心に迫ってドラマチックに盛り上げてゆく。タイトルの「運命の人」をより鮮明しながら、山崎豊子ならではの本領をみせる佳境に入った。

 37年前の事件、沖縄返還にさいして米国が復旧費として支払った400万ドル(約15億円)は、実は日本政府が米国側に払った見せかけのものだった。国民を欺いたその密約を暴いた新聞記者の努力も、女性事務官との男女問題にすり変えられた問題だけに、山崎豊子が沖縄問題への熱情を傾けて書きあげた長大作が、果たしてどこまで読まれるかという声をよそに40万部に迫るベストセラーになった。それたけに、第3巻への展開が注目されたが、国家権力の罠にはまって失意のドン底に落ちた弓成記者(西山記者)と家族の過酷な運命、男女問題へのすり変えられた国民の知る権利と報道の自由との戦い、国家機密の名の下に密約の存在を隠蔽する外務省首脳、さらには検察に乗れられて罠とも知らずに微妙に揺れるの女心の女性事務官などをリアルに描きだしていた。3_2

 第3巻は、検察の男女問題へのすり替えから風向きが変わった国民の関心をよそに、問題の核心である密約の存在を外務省首脳に追及する弓成弁護団の法廷戦術、そして、報道の自由のため証言台に立つ各社の新聞記者が取材手段の内幕をのべる証言を克明に伝える書き出しから始まる。事件が明るみに出て夫の情事にショックをうけ弓成との深い溝に悩む妻、由里子と崩壊寸前の家族の悲惨さ。また、「弁護団の方針は上品すぎる。そそのかしか、そうでないか、法廷でなぜはっきりさせないのだ」と弓成記者を励まし、「あの底の知れん女に悪乗りされるぞ」と苛立つ同僚他社の政治記者などの結束ぶりを書いている。
 公判当初は、世論の関心をそそるため弓成記者と女性事務官の関係を中心に、「情を通じ、それを利用して」と、密約漏洩の「そそのかし」と勢いよく攻勢に出ていた検察側は、女性問題には一切ふれず密約と、その存在を論理的に追及する弓成弁護団に押され気味で迫力がなくなっていった。密約問題について深く勉強せず、「知る権利」など報道の自由は国家のためには無視という傲慢さが裏目にでて、検察の敗色が濃くなった。

 こうした空気を反映、初公判から1年7ヵ月ぶりに判決公判迎え、本山裁判長は女性の三木事務官に国家公務員法違反として「懲役6ヵ月、執行猶予1年」の有罪判決をくだし、一方の弓成記者には「無罪」と判決した。弓成側の完全勝利だった。
 「弓成記者の行為はことさら執拗、強引に行われたとは認められない。肉体関係を利用してなされたことは認められ、取材の正道を逸脱したものとして社会的非難を免れないが、より正確な取材をしようとした記者の熱意や職業意識は理解できなくはない。
 三木被告との関係は、倫理的非難に値するとしても、法が深く立ち入るべきではない側面のあることなどを考えると、正当行為性がないとまで判断することできない」
 無罪の判決理由を本山裁判長は述べており、国家公務員法違反の最高刑である1年を求刑した検察側は完敗である。男女問題は「法が裁くものではない」という一言に検察の主張を完全に斥けられたのである。この判決に検察側は控訴、"弓成退治"を命じた佐藤栄作前総理は「あの裁判長はアカ(共産党員)だ」と激怒したという、
 弓成記者は、無罪判決を勝ち取ったものの、毎朝新聞がこの問題で50万部を失い社内首脳部の風圧が強まったことから、判決を機に辞表を提出して社を去った。朝、毎、読といわれる全国3大紙から毎日が脱落して、発行部数も朝日、読売が900万代をキープしていのに毎日だけは300万部に落ち込むという凋落ぶりに、弓成問題が拍車をかける形となった。その責任を感じた弓成記者は、予想される控訴審の準備に専念するという口実で生涯を賭けた新聞記者の仕事から身を引いて、ひとつのケジメをつけたのである。

 一方の女性事務官は、「早く裁判が終わって世間から忘れられたい」と公判当初から語り、控訴せず判決を認めたが、弓成記者の無罪判決に怒って「私の告白・三木昭子」を「週刊潮流(週刊新潮)」に発表して、弓成記者との関係を一方的に暴露した。
 初公判の法廷では、泣き崩れたか弱い女性を演じて世間の同情をかい、一部の女性運動家たちは「三木さんを守る会」を結成、街頭募金活動をはじめた。マスコミや世間から身を隠すため弁護を担当した坂元弁護士事務所に逃れてアルバイトを続け、女性運動家との接触を避け、差し出された街頭募金も返却して身を潜めていた。心身の不調を理由に公判の法定も欠席、姿をみせたのは初公判と判決公判の2回だけだった。
 「早く世間から忘れられたい」という彼女の意を汲んだ坂元弁護士の指示によるものだったが、坂元氏に隠れてこっそり週刊新潮の松中記者に接触、新宿・京王プラザホテルの45階のラウンジで、カクテルのサイドカーを含みうっとりとした声を漏らしてインタビューに応じていた。半年もこうした甘い雰囲気のインタビューが続き、二人の雰囲気は、キャンドルライトのもとで寄り添うように語らっている周りのカップルたちの一組として、溶け込んでいた。
 法廷でよろよろと泣き崩れた彼女には到底考えられない、彼女の別な顔があった。松中記者への接触も彼女のほうから積極的に仕掛けたものである。こうして弓成記者との情事の詳細にも触れる告白文を書かせ、判決当日にぶつけるというタイミングを計った。「早く世間から忘れられたい」と、細々と漏らす彼女からは想像もつかない大胆さだった。
 週刊新潮の松中記者も、スキャンダルの渦中にある女性の思わぬ接近に警戒したが、告白文の大特ダネを独占するために、45階の高層ビルのラウンジから夜景を楽しむ恋人まがいのインタビーに応じ続けていた。
 「弓成憎し」で貫いた膨大な告白を載せた週刊新潮は100万部が増刷され、密約と報道の自由を掲げて無罪判決を評価する新聞ジャーナリズムと、三木事務官の男女問題告白を満載する週刊ジャーナリズムとの激しい戦いが展開された。
 「法廷で無罪判決を勝ち取った弓成と新聞ジャーナリズムに対する痛烈の週刊誌判決であった」と、山崎豊子は小説のなかで書いている。

 そして、検察控訴から2年後、二審の東京高裁は、弓成記者に「懲役4月執行猶予1年」の有罪判決をくだし、弁護側の控訴に最高裁は、その2年後に「上告棄却」を決定、弓成記者の有罪が確定した。逮捕から約6年にわたる長い法廷闘争の末、弓成記者は一縷の望みを託した最高裁にも裏切られた思いにかられて、家族とは別居して独り九州の"バナナ王"とよばれる父親のもとに帰って、家業を継ぐのである。
 東京近郊の会社勤務の三木元事務官は、一審の坂元弁護士からの電話で最高裁の決定を聞くと「一審で自分だけ有罪にされ、片手落ちと不審を募らせていただけに、ようやく胸が晴れました。日本の裁判はやはり公正なんですね」と、語ったという。
 「告白」を発表したあとも、テレビのワイドショーにまで出演している彼女の態度に、弓成弁護団は控訴審公判で「弓成記者との関係が明るみに出るのを恐れて戦々恐々としてたという供述には似つかわしまない」とのべ「辣腕記者にダマされた。いいなりにされてしまったという被害者立場をとる心情と理由はできない」と問題にした。
 事件発生から6年も経つと事情も変わるだろうが、彼女の激しい豹変ぶりに、世間を騒がせた「情を通じて・・」は、なんだったのだろうとという疑問がわく。その間、終始、その問題には沈黙し通した弓成記者に対して、彼女の気遣った芯の通っている潔さが伺われるという声もでて、「密約漏洩事件」も次第に忘却の彼方に消えていった。

 国家権力と検察などによる過酷な運命に苛まされた弓成記者やその家族にとっては、事件は終わったわけではない。彼は妻子を残して独り九州の実家に戻って家業を継ぐが、バナナ王と呼ばれ九州一円を仕切っていた弓成青果は、大型スーパーの出現など時代の波に押されて後発企業に吸収され、廃業に追い込まれた。
 生涯を賭けるつまりだった新聞記者の仕事、最愛の家族、誇りをすべて失い、家業による再生の道も断たれて、競馬などギャンブルにのめりこんでゆく。小倉競馬場に通う日々を過ごすある日、日頃から贔屓にしていたスズカブライトに賭けた。夏の小倉記念杯を制覇すれば、秋の天皇賞、暮の有馬記念へと進む本命とされいたが、ゴール直前に失速して倒れた。だれにも止めることができなかったスピード故の突然の骨折事故だった。
 弓成は悲鳴をあげその瞬間、脂がのりきった政治部与党担当キャップだった時、自らの記者生命を断たれた衝撃が脳裏にうかび、五体がわなわなと震えた。いつ全レースが終わったか定かでない虚脱状態で、パドック横の庭園をさまよい、散水用の生ぬるい水をごくごくと飲む。水溜まりにぼんやり映っている窶れ、魂の抜け殻のような顔が、現在の自分の姿なのか、愕然とする。
 骨折したスズカブライトは、治療不可、痛み緩和のため即安楽死の処置がとられるだろうが、自分にはその道はない。さりとてありあまる時間がありながら、何かをする気力も失せ書物さえ絵空事としか思えなくなり、活字からも遠ざかっている。このまま無為に過ごしていれば、もっと堕落した惨めな人生しかないだろうーー。そして、弓成は「この土地を離れなければいけない」と、夏の終わりの夕陽が暗い雲間に沈む中、定まらぬ足もとで歩きはじめた。第3巻のラストシーンが、いつまでも脳裏から離れなかった。

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